本文へスキップ

PSO+PSU+PSO2のファンサイトリンク
Bland New Tea☆Time♪

Bland New Tea☆Time♪

このページは、オリジナル小説十二神座の入口となります。
(HP小説の無断転載を禁じます。)
この物語ははフィクションです。
小説内に登場する個人・企業・組織・団体は架空のもので、実在する個人・企業・組織・団体とは無関係です。
掲載されている十二神座の著作権は、小説を書いた作者:フィーのモノです。
ご理解のうえ、お読みください。

十二神座・第三幕(作者:フィー)pso-novel

「忠義の剣士」 
 大陸の南西部に位置するリシュメイア。
竜族の地に近く人族が首都を攻略する足掛かりとなる重要な場所であるにも拘らず、
竜族の占領下に置かれる前は然程守備部隊が配置されていなかった。
 リシュメイアは険しい山岳地帯の中でも比較的なだらかな高原にある為見晴らしが良く、
地盤が緩い為巨大な建造物を建てられないという典型的な『攻めやすく守りにくい』という地方だ。
後々の戦いの補給線としての意味合いが強いこの地を人族に渡さぬ為、
ヴィノは再び攻めてくるであろう人族を警戒し二千もの部隊をこの地に駐留させていた。
夜も明けて足元の草に朝露が残る時分、
斥候の一人が報告時間を過ぎても戻らぬ事にヴィノは杞憂していた。
遮蔽物も少なく弓兵の射程に入る前に部隊を発見出来るであろうこの場所で、
一体何があったというのか。
 「失礼しますよ、道士ヴィノ」
 そう言って天幕に入ってきたのは青い術衣を纏った術師の少年。
 「ヴァーティマか。外の様子はどうだった?」
ヴァーティマと呼ばれた少年は肩を竦めおどけた様子で言った。
 「静かなものですよぉ。敵軍が居た形跡すら残ってはいません」
穏やかに微笑む少年の声に若干の震えを感じ取り、ヴィノは僅かに目を伏せた。
 「そうか」
 短く答え、ヴィノは天幕を出る。
丁度斥候が戻ってきていた。亡骸となって。
此度の戦争は自らを生ける屍として同胞を逃がす為のもの。
犠牲となる事も目的の一つではあるが、流石に速すぎる。
死体には大きな外傷も無く、一見しただけではどのように襲われたのかさえ分からない。
 「投擲武器で襲われたような傷も無く、目立った痕跡さえ無いとはな。
  魔術の類だとしても他の者に全く気付かれずに術を使う事が難しいこの状況下……
  一体何に襲撃されたと……?」
 竜族軍最初の死者に黙祷を捧げ、ヴィノは辺りを一望出来る高台へと向かう。
数分と掛からずに目的の場所へ到達する。
死んだ同胞はこの高台に偵察に来ていた。
ここは他の場所よりも叢の背が高く、
余程注意深く見ていなければ眼下の草原からこちらを視認する事は出来ない。
 「何より、ヴァーティマが様子を見に来た時には一切の襲撃は無かった……なぜだ?」
その疑問を掻き消すような強い風が舞う。
 「っ!」
 突然現れた気配にヴィノは身構える。
高台の中心に聳える一本の樫の木の根元、そこに彼は立っていた。
長身に漆黒の短髪、精悍な顔立ち。
何より目を引くのは、射竦められただけで何かを断ち切られそうな程に鋭い眼光。
蒼黒に彩られた術衣を纏ってはいるが、彼が術師でない事を腰に提げた鞘が示している。
虚空に引き込まれそうな深紅の瞳はただヴィノを映している。
 「……何の用だ、人間よ?」
 先に口を開いたのはヴィノだった。
敢えて人間と口にしたのは彼が他の人族と大きく異なっていたからだ。
 彼の双眸。
 それはヴィノやノーヴィーと同じ色。
この世界に置ける目の色は先天的な物で決まる訳ではない。
全ての種族、全ての生物は皆一様に白き瞳を持ってこの世に生まれる。
魔力に深く携わる者は瞳が青、自身の武を鍛える者は黒といったように、徐々に瞳の色は変わる。
 だが、深紅の瞳を持つ者はほとんど存在しない。
深紅の双眸。
それは世界の真理を垣間見た旅人の証。
それは死にさえも見放された罪人の証。
それは真なる世界に招かれた客人の証。
世界には力が満ちている。魔力に限らず、この世界に住む者は等しくその力を手にする事が出来る。
その力の全てを手にする為に、求める者は果てしなき道を彷徨い旅をする。
だが、それは時に求める者を狂わせ一筋の光さえ届かぬような奈落に堕とす。
 闇。
 それはそう呼ばれている。
感覚としてでは無く、概念として理解した者に、闇は自らの力を与える。
この男も、そうした力を闇より与えられている。
警戒を解かずに不敵な笑みを浮かべるヴィノに、
男は何の感情も読み取れぬような抑揚に乏しい声で答える。
 「久しいな、主人」
 「……さて、生憎我はお前など覚えていないが」
 記憶を辿ってみてもこの男と以前に出会った事は無かった。
何故この男が再会の言葉を口にするのか、何故主人と呼ぶのか解らない。
 そんなヴィノの様子を意に介する事も無く男は何かを待っている。
男に攻撃の意思が無い以上先程の言葉が何らかの悪意を持ったものでは無い。
だとすれば、それは何を意味すると言うのか。
思考を重ねるヴィノは一つの結論に辿り着いた。
確証が無い以上推論でしかないが、恐らくはこれが正しい答えだろうと確信していた。
 「……人間よ、名は何と言う?」
 「ラヴィス」
 「ではラヴィスよ。お前が忠誠を誓った相手は我ではない」
 その言葉に初めて男が反応を見せた。
男の周りを流れる風が不意に揺らいだ程度のものであったが、動揺していると見て間違いない。
 「一つ問おう。先程この場にいた竜族を葬ったのはお前か?」
 「いや」
 男は短く答えた。
暫く男の真意を探るように目を見ていたが、その言葉に偽りはないと悟り警戒を解く。
それと同時に男は消える。初めからそこに何も存在していなかったかのように、姿は消え去っていた。
気配を探ってみるが、やはり痕跡は見付けられない。
 「よく解らぬ奴だ」
 ヴィノは空を見上げた。
いつの間にか太陽は身を潜め暗雲が広がりつつある。
風が僅かながら湿り気を帯びてきた。
 まぁいい、とヴィノは思考を頭から打ち消す。
出向いては来たが、結局誰が同胞を葬ったのかを確かめる事が出来なかった。
だが竜族の戦士達は萎縮するどころか人間の中にも我等と張り合えるだけの力を有する者がいると
より戦意を昂揚させている。
 「ならばこの機を逃す手はない」
 報復という訳ではないが、今度はこちらが先手を取り人族の出鼻をくじく。
踵を返し高台を後にする。
背中に向けられていた視線に気付く事無く、ヴィノは陣地へと戻って行った。
 視線の主は暫くヴィノが立っていた辺りを眺めていたが、不意にクスクスと笑い声を上げた。
 空間が歪み、樫の木が人の姿へと変わる。
碧翠に染め上げられた外套に身を包んだ年端も行かない少年。
双眸は蒼く濁っており、虚空を映しているかのような瞳が見る者を惑わす。
その顔に浮かぶのは年不相応の歪んだ笑み。
 「あれが竜族最強と謳われた幻竜の末裔か。ふふっ、どれ程恐ろしい怪物かと思えば……」
 彼はそこまで言うとまた笑い出した。その笑みが示すのは侮蔑と嘲り。
少年は懐から小指程の水晶玉のような物を取り出し、何の躊躇いもせずに飲み込む。
それが少年の喉元を過ぎた瞬間、爆ぜるような魔力が巻き起こる。
辺りの草木は瘴気に中てられたようにその身を黒い焔で焦がされていく。
 「ははっ、これが竜族の魔力か」
 少年は満足そうにニヤリと微笑む。
周りの空間が歪み少年の姿が消える。
雨が降り出すまで、そう時間はかからなかった。


幕間――ガザ平原、連合軍前線基地


 ガザ平原は大陸中央部に広がる広大な平原である。
温暖な気候と肥えた土地を有する住みやすい環境であるこの地方には多くの都市が形成されている。
都市部から離れた場所に築かれた城塞がある。
 ガザ砦と呼ばれるこの要塞は人族の幾重に渡る戦争を耐え抜いた、正に難攻不落の砦である。
魔術全般の干渉を阻害する特殊な金属で形成された厚く強固な外壁と迷路のように張り巡らされた
通路から成り、三年以上の籠城にも耐え得る豊富な兵糧が備蓄されており
有事の際には民を避難させる事も可能な居住区を東西の塔に備える等城塞都市としても申し分無い。
一般的な砦とは一線を画す大きさから城と言っても差支えは無いのだが、
あくまで有事の際の拠点として利用されている為に呼称は砦である。
そして今、ガザ砦には多くの兵が駐屯している。
カルタナから前線に部隊を進めリシュメイア攻略を目標とする連合軍が出陣の時を迎えようとしていた。
 砦の最上階に割り当てられた私室でノーヴィーは空を見上げていた。
昨日までの晴天が嘘のように曇天が空を支配し、大粒の雨が大地に降り注いでいる。
その陰鬱な景色は彼女の思考にも少なからず影響を与えていた。
 (……戦場に出た私を、兄さまはどう思うのかな……多分、いい気はしないわよね)
 覚悟は決めた筈だった。
だがヴィノの姿が脳裏を過る度、心のどこかが切なく痛む。
それが罪悪感からくるものなのか、今の彼女には見当も付かない。
 物心付いた時から常に二人一緒だった。ヴィノにしてみれば只のかわいい妹だったのかもしれない。
しかし彼女にとって彼は、唯一の家族であり、尊敬すべき師であり、何より最愛の恋人であった。
その兄を自分は裏切っているのではないだろうか?
彼の役に立ちたい、その一心でここに来た。だがそれさえ、自分の独りよがりなのでは?
悲観的な考えばかりが頭に浮かぶ。
何度振り払っても、亡霊のようにそれは付き纏ってきた。
 「私は……」
呟く声が、答えを求めて部屋を彷徨う。
 (この前と何も変わってない)
 ヴィノを送り出した日の夜も、同じように迷い続けていた。
自分にも何か出来る事があるのではないだろうか?
もっと兄の役に立てる場所があるのでは?
ただ待つ事しか出来ない自分が嫌で、なけなしの勇気を奮い立たせて此処にやってきた。
自分から行動する事で、待っているだけの自分を変えたくて。
 「兄さま……」
 愛しい兄の姿を思い描く。
正直なところ竜族や人族の争い等どうでもよかった。
自分を認めてもらう手段として、丁度それが目の前にあっただけ。
手間の掛かる妹としてではなく、一人の女性として見て欲しい。
対等な存在として、兄の傍にいたい。自分の全てを兄に求められたい。
自分の欲望が異常である事等解っている。
人族のように禁忌とはされていないものの、兄弟姉妹の間でそういった感情を抱く竜族は殆ど居ない。
 (それでも、私は兄さまを……)
その時、耳元で囁くような声が聞こえた。
 ――欲シイカ?
 (また……まただ……)
 闇が誘っている。
闇の力を手にした時から、声が聞こえ始めた。
享楽の深淵へと誘う声。
闇に触れた者全てに聞こえる声。
それは果てなき欲望を生み出し、声に従ってしまった者は尽きる事のない苦痛と
満たされる事のない渇きに(さいな)められ続ける。
 堕闇(だあん)
闇に魅入られた者はそう呼ばれている。
ノーヴィーにも、闇の声が囁いている。
普段は聞こえないのだが、今のように心が不安定になった時、闇は囁きかけてくる。
 ――兄ガ、欲シイカ?
 「……っ!」
思わず部屋を見回す。誰かがこの部屋にいるのかと思わせる程、はっきりとノーヴィーの耳に届いた。
 ――奪エバイイ。望ムモノ、全テ。
 「うるさい、うるさいっ!」
耳を塞いでも、それは聞こえてくる。
 ――手ニ入レレバイイ。愛スル者ヲ。
 「違う、私は……っ!」
 不意に、声は聞こえなくなった。
乱れた呼吸を整える。いつの間にか全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。
溜息を吐き壁に凭れ掛かる。
もう闇は語りかけてこない。それを認識しただけでもすっと心が軽くなったように思える。
 聞こえてくるのは雨が地面を叩く音だけ。
暫くどこか遠くから響いてくるような雨音に耳を傾けていたが、
肌を撫でるような空間の乱れに意識を呼び戻された。
 「これは……転移術?」
何が、という疑問を抱くと同時、いくつもの箇所で轟音が鳴る。
 「くっ!」
 体を揺さぶられ床に手を付く。
ズ……ズン、と砦全体が揺れたのを契機に剣戟の音が微かに聞こえてくる。
 (この音は……まさか敵襲?)
 「ちょっと、大変よ!」
扉を開け鷸が駆け寄ってくる。
 「一体何が起きたの?」
 「竜族が砦のあちこちに突然現れて、物凄い勢いで攻め上がって来てる!
  複数の箇所で戦闘が始まってるわ!」
 その言葉にノーヴィーは歯を噛み締める。
先手を取られた。
 リシュメイア攻略を目前に控えての襲撃。
しかも強固な城塞を正面から突破するのではなく、転移術を用いて脆い内側から攻撃を仕掛ける。
迎撃の用意をさせず短時間でこちらの戦力を大きく削り敵陣深くに入り込む戦術。
 (間違いない、兄さまが……!)
 部隊単位の人数を数か所、しかも同時に送り込むだけの魔力を持ちえるヴィノだから
出来る戦法だが、その可能性を予想していなかったのは痛い。
 「全部隊に通達して!重歩兵を総動員して通路に一直線に並べ両手に槍を構えて敵に向かって突撃、
  弓兵・歩兵は遠回りになるけど通路を迂回して敵部隊の背後に回り込み挟撃!
  術師は重歩兵を突破してきた敵を各個撃破して!」
 冷静且つ迅速に戦術を編み出すノーヴィーに少しばかり感心していたが
すぐに鷸は回廊の先へと走って行った。
すぐさま魔力の奔流を辿ってみるが、どの場所にヴィノが居るのかは解らない。
 「私だって、いつも兄さまの横で軍略を学んでいたもの……守り切ってみせる!」
 決意を新たに廊下へと駆ける。
階下から響く剣戟の音が少しずつ近付く。
入り組んだ構造の城塞は攻める方には難解な迷路であっても、守る方には持ってこいだ。
階段を転がり落ちるように駆け降りる。
先程の魔力探査で竜族の大まかな位置は解っている。
ここから一番近い戦場、北西部の回廊に向かって走っていると剣戟に交じって高く透明な音が聞こえてきた。
 風の鳴る音。
 それが雹鋼によるものだと理解した時、通路の奥で孤軍奮闘する女性が見えた。
人化の術を解いた竜族数人を相手に、両手に構えた短銃で互角以上に渡り合っている。
壁際には自軍の兵士が項垂れるように凭れかかっており、その全てが既に息絶えていた。
 「猪口才な人間め!」
 女性の横に回り込んだ竜が体の捻りを利用した裏拳を繰り出す。
迫り来る拳を避け、体勢を崩したところに長い尾が延びる。
 「くぅっ!」
咄嗟に構えた短銃で受け止めるが衝撃は大きく、女性は後方へ跳ね飛ばされてしまう。
 「っと、大丈夫?」
 それを受け止め、ノーヴィーは女性の顔を覗き込む。
すると女性は目を見開き動揺した様子で言った。
 「ヴィノ……違う、貴女は誰?」
 「へ?」
 よく知った名前が出てきた事に思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
呆けていたところにどよめきが聞こえた。
 「道士……?」
 「いや、道士ではない……何者だ!」
 うろたえる竜族の隙を衝き、女性は素早く引き金に手を掛ける。
高濃度に圧縮された魔弾が正面にいた竜を強靭な鱗ごと打ち抜き、キィィィ……ンと高い音を奏でる。
その一撃で闘争本能を呼び戻した竜達はノーヴィーの事を一先ず思案の外に置き、再び攻撃を開始する。
三方向から迫る竜族の攻撃。
 「障壁、だと?」
 しかしその拳撃は突如出現した魔力の壁によって妨げられる。
それはノーヴィーによる防御術。
自らの魔力そのもので物理的な障壁を形成し、ありとあらゆる衝撃を弾き返す魔術である。
 「今のうちに!」
 言うより早く、女性は駆け出していた。
目の前の竜族に肉薄すると密着状態で魔弾を打ち出し意識を深く沈める。
女性が次の標的に短銃を向けたのと同時、ノーヴィーの背後から声が響く。
 「ほう、人族の中にも豪胆な者がいるか」
 咄嗟に身を前方に投げ出した瞬間轟音と共に今まで立っていた足場が砕け散る。
態勢を整えながら声の方へ目を向けると、真っ赤な鱗に身を包んだ高齢の竜がこちらを見下ろしていた。
よく見ると鱗を染めていたのは血だった。恐らくは葬った兵士達の返り血だろう。
立ち上がり眼前の竜を睨み付ける。
不意に老竜の姿が揺らぐ。残像を残して移動したのだと解った時には、既に体が宙に浮いていた。
次の瞬間弾かれるように吹き飛ばされ、壁に背中を強く打ち付ける。
 「――っ!」
 激痛に呼吸が止まる。息を吸い込もうと口を開けるが肺が思うように動いてくれない。
倒れそうになり前のめりになった処へ拳が飛ぶ。
鳩尾に入った拳は新鮮な空気を肺に送り込んだが、意識が途切れる程の激痛をもたらす。
体をくの字に曲げたまま柱に叩きつけられた。
無意識のうちに障壁で衝撃を和らげてはいたが、
ノーヴィーの動きを止めるのに充分過ぎる程の威力は残っていた。
詠唱無しで治癒術を唱え、なんとか踏み止まる。
たった数撃喰らっただけだというのに膝の笑いが止まらない。
果敢に立ち向かっていた女性も短銃を弾かれ蹲っていた。魔力を振り絞り女性を傍らに転移させる。
 「転移術か。しかしその体では動けまい」
 老竜の言う通り、倒れないように立っているのがやっとだった。
霧散してしまいそうな意識を無理やり束ねた所為か頭が酷く痛む。
 「これでも……喰らえっ」
魔力を集め光の矢を紡ぎ出す。ノーヴィーの意思に従い矢は老竜の喉元へ放たれる。
 「かぁっ!」
 老竜は裂帛の気合だけで光の矢を掻き消し、詰まらなそうにフンと鼻を鳴らす。
続けざまに光弾を放つが悉く弾かれた。
再び魔力を充填しようとするが、肺から熱い蒸気のような空気が上がり咽てしまう。
 「げほっ……」
 咳き込むと胃から何かが込み上がってきた。躊躇う間もなく吐き出されたのは血の塊だった。
内臓が悲鳴を上げている。軋むような痛みに耐え切れず膝を折った。
逃げられない。
一秒にも十分にも感じられる時間が過ぎる。
ゆっくりと迫る老竜の姿を見上げた時、視界は真っ赤に染まっていた。
 「ウガ……ァァ……!」
 苦悶の声を発しながら老竜の肉体が崩れ落ちる。
細かな肉片となって生の脈動を終えた物体の横で、男が立っていた。
 蒼黒の術衣を纏った剣士。
まだ何が起きたのか理解出来ないノーヴィーはその男の名を呟くように呼んだ。
 「ラヴィス……?」
 「遅くなった、我が主よ」
 一瞥さえせずにラヴィスは残った三人の竜族へと歩み寄る。
竜達は老竜を討ち倒された事に若干怖気付いたようだがすぐさま囲むようにして攻撃を開始する。
力も速さも申し分無い拳撃が迫り来るが、ラヴィスは体を半身傾けるだけで避ける。
腰元の鞘から黒く鈍い光を放つ片刃を抜いたと同時、手前の竜の体が斜めに斬り落とされる。
振り向きながら抜き身の刀身を潜らせ二体目の竜を貫く。肉体を切り裂いた刃の先から血が滴り落ちる。
刀を引き抜くと鮮血が勢いよく飛び散り、術衣を赤く染める。
驚愕にその顔を歪めたまま竜の体は床に崩れ落ちる。
最後の一人となった竜に向き直るラヴィス。
 「な……何者だ、コイツ……」
 完全に気圧された竜はじりじりと後ずさる。
ノーヴィーの目の前まで下がった時、竜の体は真っ二つに裂けた。その裂け目から覗く紅き瞳。
噴き出す血液が顔を汚しても介せず、その眼に魅入っていた。
 「同じ……色?」
 闇を知る者だけが纏う色彩を、眼前の剣士は得ていた。
ラヴィスは刀を鞘に納めると、恭しく跪く。
 「我が主よ。貴女の剣として馳せ参じた」
 「……貴方、本当にあのラヴィス……?」
 「如何にも」
 顔を上げ真っ直ぐに此方を見詰める。
遠い昔、知り合った頃の彼とは全く似付かぬ程の強い意志が瞳の中にある。
 「古に交わした盟約に従い、我は貴女を唯一の主として魂を捧げる」
 「盟約、ね……ごほっ」
 彼が言う盟約とはかつて交わした血の取引。
数百年の昔、ノーヴィーが彼と主従の契約を闇の名の元に行った。
有事の際に剣として、盾として機能する忠実なる従者とする盟約。
 「早い話が、私に協力してくれる訳ね」
呼吸を整え、両足に力を入れる。
 「ぐっ……!」
 体を起こそうとすると全身に激痛が走る。
それでも力を振り絞り、よろよろとふらつく体を叱咤して立ち上がる。
 「まだ敵軍は退却していない……ラヴィス、迎撃に向かって」
 まだ襲撃からそう時間は経っていない。
鷸やフォウが善戦しているとしても、このままでは味方に甚大な被害が出る恐れがある。
たった一人とはいえ圧倒的な強さを誇るラヴィスさえいれば、前線の竜族の勢いを削ぐ事が出来る。
仕掛ける時期、彼我の戦力差、進攻の速さから見てもこの戦いは後三十分もしないうちに終わるだろう。
自軍の消耗を最小限に抑える牽制の意味合いを込めた戦い方だからこそ、
早期退却を謀るヴィノの戦術には付け入る隙がある。
 「前線でも特に士気の高い部隊から順に潰して。
  逃げようとする竜族は放って置き、彼等を予定よりも早く撤退させるのよ!」
 頷く事さえしなかったが、ラヴィスは一言「了承」と言い残して消えた。
治癒術を自分と女性に掛けながら、ノーヴィーはその場に座り込む。
 いくら初陣とはいえこっ酷くやられてしまった。それでも一矢報いる事は出来るだろう。
何より、頼もしい味方が増えたのが嬉しい誤算だ。
そこまで考えた時、笑いが込み上げてきた。
千年を優に越える時間を経て再会したというのに、何の躊躇いもなくラヴィスを信用していた。
 「兄さまは簡単に他人を信用し過ぎだって言うけど」
 そういう性分なのだから仕方が無い。
今は逆にそれが役に立った。疑ってかかっていたなら味方の死傷者は増えるばかりだろう。
先程まで立ちはだかっていた同胞の死体に目をやる。
これが見知った顔であったなら、今頃は半狂乱になっているところだろう。
 「これが戦争……」
怯えるでも、泣き出すでもなく、ノーヴィーは笑っていた。
 「兄さまが背負うもの……私も背負ってみせる」


 「余り深追いはするな、返り討ちに遭っては元も子もない。
  広範囲に展開し敵の防御網を厚くさせるな、徐々に戦線を上げて行け」
 血気盛んな同胞を押し留めるように指示を飛ばす。
数百もの竜族を同時に転移させたというのに、疲労の色は全く見えない。
 「一時間の後、全部隊を撤退させる。それまで充分暴れる事だ」
 不敵な笑みを浮かべる道士に呼応するかのように拳を突き上げ、
竜族の戦士達は各々の戦場へと向かう。
彼等が手にしているのは転移石。名の通り自身を思い描く場所に転移させる魔具の一種だ。
ガザ砦攻略の難しさを知っているヴィノは、まず拠点攻略の全部隊を
砦の東北部――リシュメイア側とは反対方向に転移させた。
こちら側は警戒が薄い上小さな針葉樹林が多く点在している為、身を隠すには持ってこいの場所である。
 そうして移動させた部隊を四、五人の小部隊に分けた後
砦内部の数十ヶ所に転移させ、迎撃する間を与えず殲滅させる。
その個別の転移の為に、彼は転移石を持たせたのだ。
 「さて、我等も行くとしよう」
目を向けた先で、待ちくたびれたと言わんばかりの笑みを浮かべるトゥーガ。
 「じゃあ俺は西側の塔からだ。お前は東。へまやらかすんじゃねぇぞ?」
 「お前もな」
 軽口を叩きながらトゥーガは転移石を手に取る。
そのまま出立するかと思いきや、彼は振り返りからかうように問い掛ける。
 「人間達の中で誰かいい女がいたらお前の為に捕虜にしてきてやろうか?」
 普段色恋沙汰に全く興味を持たぬヴィノに、彼は時々このような冗談を飛ばす。
大抵は軽くあしらわれて終わるのだが、ヴィノが放った言葉は
彼のいやらしい笑みを引き攣らせるには充分だったようだ。
 「そうだな、頼もうか」
 「だと思ったぜ。これだからお前は……ん?おい、今何て言った?」
 見た事も無い生物を目にしたかのように驚愕を顔に張り付けて固まるトゥーガ。
その様子をククク、と喉を鳴らしながら見るヴィノ。
 「お前から尋ねておきながらその反応か?」
 「いや、だって、なぁ?」
 「何が『なぁ?』なのかは判り兼ねるがな。それよりお前に頼み事だ」
 動揺を抑えつつ彼は何かを考え込んでいた。
しかしすぐに合点が行ったのか問い詰めるような口調で詰め寄る。
 「さてはこないだカルタナで出陣前に姿を消したのはそういう理由かコラ?
  兵達は意欲充分に先陣切って敵軍に攻め込む中、お前は優雅に逢引か?」
 「興味が湧いたのでな」
 しれっと答えるヴィノに大きな溜息を漏らす。
立て板に水という気がしてきた彼は説教を諦め、代わりに改めて尋ねた。
 「まぁいい。で、どんな奴を連れてくればいい?」
 「緋色の髪に茶色の双眸、雹鋼で出来た銃を持つ女子だ。背丈は我より少し低い」
 「期待しないで待ってろ。というか自分で探せ」
 何故か笑みを浮かべるトゥーガ。
 「気色の悪い笑みを向けるな」
 「へいへい、っと」
 空間を歪ませてその姿は消える。
それに続くようにして、ヴィノは意識を束ねる。
砦の東に聳える塔。その最上階の景色を鮮明に思い浮かべる。
一瞬体が宙に浮く感覚が起こり、次の瞬間には周囲の景色は一変する。
 古びた塔の内部。
壁に掛かる絵画も、その横に並ぶ燭台も埃を被っている。人が出入りしている形跡は無い。
 「剣戟の音も遠い、か。ある意味では好都合やも知れぬな」
 呟き、扉に手を掛ける。真鍮の取っ手は冷たい。
扉を開け放つとひんやりとした空気が頬を撫でた。
階段を降りる度、靴音が反響する。
 暫く進むと廊下の端に出た。
迷宮のような造りのガザ砦にしては珍しく、一直線に伸びる遮蔽物の少ない廊下だ。
今ヴィノが立っている場所を中心に左右と前方に長い廊下が伸びており、
待ち伏せるのにこれ程適した場所もないだろう。
前方の奥、人の姿さえはっきりと見えぬ程の場所で何かが鋭く光った。
 「ほう、弓兵か」
 年は三十過ぎといったところか。猟を営む者独特の風格を漂わせる黒髪の男だ。
ヒュン、と高くか細い音に一拍遅れて矢が飛ぶ。
放たれた矢は吸い込まれるかのようにヴィノの頭を目指し、寸前で鏃を止められた。
人差し指だけで矢の勢いを殺し、それを弓兵の元へと投げ返す。
放たれた時以上の速度で矢は弓兵の矢筒に突き刺さった。
 「三流もいい所だ。やはり遠距離戦ではクゥガの右に出る者はいないか」
 麗しき乙女の姿を思い浮かべながら、ヴィノは左手を宙に翳す。
左手から作り出された障壁は針のように細い魔弾を全て弾き返す。
その衝撃が空気を震わせた時、微かな違和感を感じ取った。
通常、魔弾は術者自身の魔力を凝縮し形成される。その為作られた魔弾は僅かながら術者の魔力を帯びる。
しかし今の魔弾に込められていた魔力は術者独特の癖が全く無かった。
 「自然界に揺蕩(たゆた)う魔力を取り込んだか」
特異とも言える能力だが、稀にそうした資質を生まれながらに持つ者がいる。
 「流石は竜族一の術師と謳われた竜ですわね。しかし、その程度で私(わたくし)の前に立つとは愚かですわ」
 自信に満ちた声が廊下に響き渡る。
視線を向けると廊下の奥に女術師が立っていた。
金色の長髪を後ろで束ね、賢者が好んで着るようなやや露出度の高い法衣に身を纏っている。
左手には様々な装飾が施された法杖を持っており、人間の術師の中でも高位の使い手である事が窺える。
 年齢は十八、九ぐらいか。多少釣り目がちな蒼い瞳には爛々と自負の色が灯されている。
その瞳にヴィノは既視感を覚えた。
 「あの瞳の色は……」
 「さぁ幻竜とやら!私の前に跪きなさい!」
 女術師はこちらに向かって優雅に歩きながら次々に魔弾を飛ばしてくる。
最初の一つを叩き落とし、ヴィノは弓兵のいる方向へ身を翻した。
ほぼ同時に戦斧が勢いよく床に叩き付けられる。
襲撃者は男。己の筋肉を誇示するかのように上半身は何も纏っていない。
赤い短髪と戦いを楽しんでいるような表情に、ヴィノは友の顔を思い出す。
 (トゥーガをこちらに向かわせていれば、それは暑苦しい戦いが見られそうだな)
 少し遅れて追尾してきた魔弾と矢が挟撃する。
ヴィノは両手を交差させ右手で矢を、左手で魔弾をそれぞれ受け止める。
 「うらぁぁっ!」
 威勢のいい掛け声と共に再び戦斧が背中を狙うが、前方の壁を蹴り上げて襲撃者の背後へと回り込む。
標的を見失った襲撃者の背中に捻りを加えた肘鉄を叩き込むと、襲撃者は壁に激しく打ち付けられた。
 「狙いが甘いな。戦斧を扱う時は相手の上段から爪先を狙って一息に振り下ろすのが基本だ」
 人間が目で追えるぎりぎりの速さで動いて置きながら全く息を乱れさせる事無く言い放つ。
ヒュン、と風を鳴らす音。
弧状に左手を翳し、矢を叩き落とす。
同時に放たれた三本の矢は力を失い、床に散らばるようにして落ちる。
 「なかなかやりますわね。ではこれでどうかしら?」
 謳うような詠唱に呼応して、女術師が持つ法杖の先端が光り出す。
光は瞬く間にその大きさを増し、子供の頭程の大きさまで膨れ上がる。
 「弾けなさい!」
 掛け声と共に幾つもの光の筋がヴィノに伸びる。
他の魔術には見られないような強い衝撃力を伴った光の鞭は障壁を通して周囲の空気を振動させる。
ほぼ同時に乱れ飛ぶ矢。一つ一つの狙いは甘いが、逆にそれがヴィノの動きを制限する。
 「しゃらくせぇ!」
 先程の襲撃者が今度は戦斧を両手に携え斬りかかる。
三位一体の攻撃。
敢えて最初から同時に仕掛けるのではなく、徐々に攻撃の周期を同調させる事により
相手の動きを阻害し討ち取る戦法だ。
 「ならば一人ずつ倒せばいい」
 不敵な笑みを浮かべると素早く身を捻り、斬撃と弓矢を躱す。
逸れた矢を光鞭が叩き落とすのも計算の内だ。
そしてその光鞭は襲撃者の動きを止める。
生まれた隙を逃さず、そのまま襲撃者と体躯を入れ替え背後に回る。
 「カルマ、動かないで!」
 「ちぃっ!」
 女術師の声に舌打ちする襲撃者。無理な体勢ながらも彼は襲い来る衝撃に備えて両足に力を込める。
だがヴィノは彼を嘲笑うかのように駆け出す。
向かう先は弓兵の元。
動揺も一瞬の事、すぐに弓兵は矢を構えこちらに相対する。
矢が命中する直前、ヴィノは右手を突き出した。
指先に触れた鏃は肩、背中となぞるようにヴィノの体を滑り、左側の壁に突き刺さる。
衣服の中を通した矢を左手の袖口から逃す体術だ。
弓兵が次の矢を構えるより速くヴィノは腰を落とす。
走ってきた勢いを全て乗せ弓兵の足を払う。
倒れてくるところを狙い腹部に立ち上がりざま膝蹴りを見舞う。その衝撃に顔を苦悶に染める弓兵。
反動で起き上がった上半身に掌底を叩き込み空中で仰け反らせると、浮いた側頭部に回し蹴りを放つ。
三秒を数える滞空の後、弓兵は床に転がった。
間髪入れず体を翻し来た道を戻る。
 「おもしれぇ、来いよ!」
 ニヤリと口の端を歪ませる襲撃者。
戦斧を投げ捨て胸の前で拳を構える。素手で渡り合う自信があるらしい。
ならば肉体諸共その自信を打ち砕く。
姿を掻き消す程の速度で肉薄したヴィノは勢いを緩めずに交差する。
目に見えぬ拳撃が打ち込まれ、そのままの姿勢で襲撃者は床に崩れ落ちる。
振り返りそれを見下ろしながらヴィノは感嘆の声を上げた。
 「よもや撃ち返してくるとはな」
 右手に残る衝撃に人間の底知れぬ潜在能力を思い知らされる。
残る女術師に目を向けると身を竦めて後ずさる。
 「す、少しはやるようですわね。ですが私の敵ではありませんわ」
 気丈に振舞うが全身が僅かに震えている。先程までの威勢が嘘のようだ。
やはりそこは年相応の少女といったところか。
一歩踏み出してみると向こうも一歩下がる。
更に一歩踏み出すと怯んだように顔を歪める。
 「い、いやぁっ!こないでぇ!」
 もう一歩距離を詰めたところで、冷静な思考が断ち切れたのか無我夢中で光弾を乱射し始めた。
次々に紡がれる光弾を弾きながら、ヴィノは妙な違和感を覚える。
飛んでくる光弾の威力が徐々に上がってきている。
 眼前で取り乱している女術師がこれ程の威力を持つ光弾を息つく暇も与えず連射出来る筈もない。
意識が集中出来ていない時には魔力の錬度が下がる。
それ故今のような状況で高威力の魔術を扱える筈が無い。
無いのだが、現に彼女は障壁を通してヴィノの術衣を揺らす程の光弾を放っている。
考える時間は無くなった。軋むような音が耳に届く。
障壁に罅が入り始めたのだ。その事実にヴィノは驚いたように目を開く。
 すぐに魔力を注ぎ込み、より強力な障壁を形成するのだが、
作った先から罅割れが起きる為に補強が追い付かない。
かといって攻め込もうにも障壁を消した状態で彼女に近付けるかも怪しい。
無秩序に打ち放たれる光弾はそれ故に軌道の把握が難しく、その間を擦り抜ける事は非常に困難なのだ。
 ギィン、と高くも鈍い音が響く。
遂に障壁の一部を光弾が貫通し始めた。
 「我が魔力を上回ると言うのか……!」
 「いやぁぁぁ!こないでよぉぉっ!」
 半狂乱、という言葉が似合うような錯乱っぷりだ。
障壁から伝わる衝撃は更に勢いを増す。
多少の傷は覚悟して彼女を止めようと考え始めた時、
法杖の先端に散りばめられていた白い宝玉が俄かに輝き出す。
それと同時、辺りを覆うように魔力が立ち込める。
 「これは……そうか、あの石が!」
 魔力の奔流に気付いたヴィノは障壁を消し、彼女に駆け寄る。
幾つかの光弾が体を掠める。それだけで皮膚は裂け、赤い血が滴り落ちる。
その威力を再認識しながら、遂にヴィノは彼女の法杖を床に叩き落とした。。
その瞬間、宝玉の輝きが一気に増す。
 「くっ!」
 「え、きゃぁぁぁぁっ!」
 彼女を庇うように抱き抱え、ロッドから離れる。が、一足遅かった。
一瞬で膨れ上がった閃光は二人を包み込み、空間を爆発させる。
光が終息した時、二人の姿は掻き消えていた。


 最初は何故ここにいるのか解らなかった。
目の前に広がる優雅な花壇を見て、自分が夢の中にいるのだと気付いた。
 ここは宮殿の庭。
公爵達が父の顔色を窺いに、一年に一回会合が開かれる。
それが余りに退屈だったので、私はこっそり抜け出して庭で遊んでいた。
花壇に咲いているお気に入りの花で冠を作ったり、
内緒で持ち込んだ小さな机と椅子に座り一人だけのお茶会を楽しんだり。
暫くはそうしていたのだけれど、やっぱり一人では詰まらない。
かといって部屋に戻っても、公爵達の心にも無い美辞麗句を聞かされるだけだ。
どうしようかと溜息を吐いた時、庭の入口で私を覗き込むように一人の青年が立っているのに気付いた。
 柔和な笑みを浮かべているが、顔がはっきりと見えない。
彼がこちらに歩いて来ても、靄が掛かっているように顔が解らなかった。
曖昧な記憶が彼の顔を正しく認識させてくれないのだろう。
彼は私の隣に立つと、優しく声を掛けてくれた。
 「会合を抜け出して庭園で日向ぼっこか。話には聞いていたが元気なお嬢様だな」
 水晶を弾いたような、澄んだ美しい声。
何故だか顔が熱くなるように感じて、私はそっぽを向くようにして口を開く。
 「貴方は誰?」
 「君の父上の古い友人だ。今日は久方振りに呼び出されてな、暇を持て余していたところだ」
 彼は対面の椅子に座ると私に微笑みかける。
私が名乗るのを待っているのだと気付き、居住まいを正す。
 「私は魔皇国国王、シャム・ルミナスの娘よ」
ふふん、と鼻を鳴らし得意げに彼を見る。
 「名前を聞きたいのなら自分から名乗りなさい」
 その言葉に彼は一層笑みを濃くする。
まさか笑うとは思ってもみなかったので、私は呆気に取られたように彼を見る。
 「そうだな、まずは我が名乗らせてもらおう」
我という余り聞かないような一人称を使う彼は、私の眼を見つめながら答えた。
 「…………」
 声は聞こえない。
その時は確かに聞いた筈なのに、彼の声にも靄が掛かってしまった。
辺りが白く染まる。
夢から覚めようとしていた。
やがて彼の姿も、庭に咲き誇る花も見えなくなる。
白くぼやけた景色の中で、私は彼の名前を思い出そうとした。


 「っ……」
 意識を取り戻す。が、目は開かない。
私は起きる時、自分が見ていた夢を思い出してから目を開く事にしている。
目を開くと今まで見ていた夢が霧のように掻き消えてしまうからだ。
……勿論、寝起きが悪いというのもある。
 今日は久し振りに幼い頃の夢を見た。
あの後私は、彼が同じように会合から抜け出して来た事を知り、罰として宮殿の中を連れ回した。
思い返しても随分と無茶苦茶な事を言っていたが、彼は嫌な顔一つせず私と遊んでくれた。
父にもらった自慢の宝物を見せ付けたり、
こっそりと色々な物を持ち込んで作った秘密の部屋に案内したり、
世話役のメイド達が焼きもちを焼くくらい彼と一緒に走り回った。
 その後で彼は、私の知らない間にメイドからもらってきた焼き菓子を広げて、
私の為に小さなお茶会を開いてくれた。
彼が注いでくれたお茶は今まで飲んだ事が無いくらい美味しかった。
そうしているうちに会合は終わり、私は彼を連れて父のところへ行った。
父は私がよく懐いている事に感心すると、改めて彼に礼を言った。
 私も彼に労いの言葉を掛けると、父は廊下に響き渡るくらいの声で笑った。
私が他人に感謝した事が余程珍しかったのだろう。
暮れ方になり、彼は帰ると言った。
彼を引き留めようと散々駄々をこねる私に父も困り顔だったが、彼は必ずまた会えると約束してくれた。
その言葉を信じて、漸く私は彼の手を離した。
心の奥に眠る甘酸っぱい思い出。
少し幸せな気分に浸り、私は目を開けた。
 「な……何ですの、これは……?」
 目の前の景色に私は愕然とする。
空も、地面も、目に映る全てが薄暗い灰色に覆われていた。
私は目が悪く眼前にある物さえ時々ぼやけて見える事があるが、
流石にこの状況を目の悪さで片付ける程頭はぼやけていない。
寝転がったまま手を恐る恐る伸ばしてみるが、手に何かが当たる感触は無い。
自分が箱か何かに入れられている訳ではないと知り、私は体を起こした。
立ち上がると、この空間の異質さがよく解る。
光が無いのだ。上も下も右も左も前も後ろも。
 その全てが立体感の無い灰色が埋め尽くしている。
すぐに平衡感覚がおかしくなり、体が後ろに倒れそうになる。
が、それは誰かの手によって支えられた。
 「大丈夫か?」
 「ええ、有難う……」
 振り返り声の主を見た途端、全身が凍り付く。
先程敵対していた竜族だ。それを認識した瞬間、寸前までの記憶が蘇る。
 「い、いやぁ!離して!」
 「暴れるな、転んで怪我をされても困る。それにお前に危害を加えるつもりはない」
 その言葉に私は気の抜けた顔をしてしまう。
彼は倒れ込まぬよう支えながら私を地面に座らせ、少し離れた場所に腰を下ろす。
まだ警戒している私に彼は尋ねた。
 「随分と視力が衰えているようだな」
その言葉に私は少なからず動揺した。
 (何故この竜族が私の眼の事を知っているの?)
 近しい者にさえ秘密にしていた事を一瞬で見抜かれ、混乱と畏怖のようなものを覚える。
それでも、私は努めて冷静に切り返す。
 「……それが貴方に関係ありまして?」
 「お前にも充分過ぎる程の関係があると思うがな」
含みのある言い方にどことなく懐かしさのようなものを覚えるが、慌てて自分を叱咤する。
 (敵に心を許す訳には参りませんわ)
 きっ、と睨み付けるような視線を彼に向けると、やれやれと笑いを含んだ溜息を漏らす。
そのまますっと立ち上がり私の元へ歩み寄ってくる。
 「な、何をするつもりですの?」
 「大人しくしていろ」
 「ちょっと、貴方……!」
 私が文句を言うより早く彼は私の顔に手を翳す。
何事かと思った矢先、私の耳の上の辺りに激痛が走った。
 「いたたたたたた!や、ちょっと、離しなさい!」
ゴリ、と何かがずれるような音が鳴る。それと同時に痛みは引き、段々と目の焦点が合ってくる。
 「あ、あら……?」
 「古典的な療法だが、これで少しは改善される」
 彼が手をどける。
初めはぼんやりとしか映らなかった彼の顔が、少しずつ見えてきた。
その姿がくっきり見えるようになった瞬間、私は雷が落ちたような衝撃を受けた。
銀色に輝く髪。
深紅を灯す瞳。
記憶に掛かっていた靄が、ゆっくりと晴れていく。
 「あ、貴方……もしかして……」
 頭の中であの時の記憶が鮮明に蘇る。
私は呟くように、彼の名前を呼んだ。
 「ヴィ……ノ……?」
 「漸く思い出したか、魔皇の娘よ」
初めて会った時と変わらぬ笑みがそこにあった。
再会の喜びを言おうとして口を開くが、代わりに出てきたのは詰問のような罵声だった。
 「っ!一体今までどこにいたんですの?
  毎年毎年私がどのような思いで詰まらない会合に出席していたと思っているのです!
  大体何で貴方が竜族の軍勢に加担しているのよっ?」
 自分の言葉にやっと気付く。
彼は竜族側の者として砦に攻めてきていたのだ。
そんな私を宥めるように手で制しながら、彼は私の問いに一つ一つ律儀に答える。
 「まず一つ目。あの後は竜族の首都シーナリアスでのんびりと古代魔術の研究に勤しんでいた。
  二つ目。別れの時我は同じ頃に来るとは言っていなかった。
  三つ目。我は竜族だ。それ故竜族の軍勢の属していても不思議ではあるまい」
 最後の言葉以外は耳に入らなかった。
その言葉さえ、私はとても信じられないものだった。
 「貴方が竜族ですって?」
 「ああ」
 私は彼の首根っこを捕まえて前後に激しく振りたくりながら更に質問を重ねる。
 「一体どういう事ですのっ?私はそのような話は一切聞いておりませんわ!」
 「お前に会った時期は丁度魔族の中でも人族と共に竜族を倒すべしという風潮が広まっていてな。
  そのような公爵共の間を竜族だと言いながら歩いてみろ、ルミナスの奴にも望ましくない事が起こる」
 「だとしてもっ!どうして私に本当の事を教えなかったんですの?
  御蔭で国中を無駄に捜索してしまいましたのよっ!」
 「好奇心旺盛なお嬢様に言えばすぐ国中の話題になるがな」
 「何ですって!」
 更に強く揺さぶろうとしたところで、左手に何やらぬるっとした感触が残る。
手を離してみると、掌が真っ赤に染まっていた。
ぎょっとして彼に目を向ける。
 「ヴィノ、貴方怪我を!」
 「あぁ、掠っただけだ。気にするな」
 見れば全身傷だらけだ。深そうな傷は見当たらないが傷口が多いだけに出血量も半端ではなく、
彼の術衣はすっかり赤黒く変色してしまっていた。
 「すぐに治癒術を掛けますわ」
 指先に魔力を集中させる。が、いつまで経っても指先に光が宿らない。
術が発動しない事に焦りながら何度もやってみるが、結果は同じだった。
 「おかしいですわね……?」
 「無駄だ。この空間には消術のような効果が働いている」
消術とは魔術を打ち消す為の術。
それが働いているという事はつまり。
 「では、ここでは魔術を使えませんの?」
 「そういう事だ」
 彼はそう言って腰を下ろす。裂けた術衣の隙間から覗く傷口が痛々しい。
私は彼の衣服を肌蹴させ傷口を確認すると、自分の法衣の裾を勢いよく引き千切った。
それを見た彼は驚いたように口を開く。
 「何をしている?」
 「動かないで。ほんの応急手当くらいしか出来ないですけど、気休めくらいにはなりますわ」
 鳩尾の横にばっくりと裂けた傷がある。そこから、今も少しずつ血が流れ出ていた。
ぎこちない手付きで包帯代わりの布を巻いていく。
きつく縛ると彼の顔が僅かに歪んだ。
 「もう少し、我慢してください」
二回、三回と布を回し最後に両端を縛る。
これで出血はだいぶ治まるだろう。
 「さぁ、出来ましたわ」
 少し不格好だが上出来だ。
得意げに彼の顔を見上げて、自分が彼に密着していた事にやっと気付く。
目の前にある彼の顔。
 「べ、別に放っておいても良かったのですけど」
 しどろもどろになりながら、彼から身を離す。
すると彼はクククと喉を鳴らす彼特有の笑い声をあげて私を見た。
 「昔と変わらぬな。一生懸命なところも、優しいところも」
 「なっ、なっ……」
 顔が熱くなる。私はそっぽを向きながら彼の前に座り込んだ。多分顔は真っ赤になっていると思う。
火照りを冷ます風を起こそうと指先に魔力を集中させる。
が、魔術が使えない事を思い出し手で顔をぱたぱたと扇ぐ。
 「不便ですわね……」
 「何がだ?」
 「何でもありませんわっ」
 ちらりと彼を見る。全身に出来た傷を見る度、後悔のようなものが胸をちくちくと刺す。
居た堪れなくなり、私は彼から視線を逸らした。
 「その……大丈夫ですの?」
 「問題ない。こうして手当てもされたからな」
 彼は優しく微笑む。
その笑みに少し元気を分けてもらった気がした。
 「そう言えば……この空間は何ですの?」
 改めて周囲を見回す。
光も影も無い果てしなく続く灰色が広がっている。
辛うじて平衡感覚を保っているものの、脳に直接襲い来る違和感と吐き気は治まりそうもない。
 「虚空、と言うべきか」
 「何ですって?」
 「お前の法杖に飾り付けられていた白い宝玉。あれは恐らく虚空石だ」
 その石の名前には聞き覚えがあった。
所持者に対する一切の魔術を無効化してしまう性質を持つ、古代の失われた術具だ。
今では存在自体が半ば伝説と化した、所謂『空想の産物』として伝わっている。
 「私の法杖に虚空石が?でもどうしてそんな物が……いえ、今はその事は置いておくとして…
  …貴方は、この空間はその虚空石によって形成されたと、そう言いたいんですの?」
 「理解が早いな」
 どういう事だろう、と私は頭を捻る。
彼はこの空間を虚空と言い、その虚空は法杖に付いていた虚空石が作り出したと推定した。
 「そうなった経緯はこの際無視するとして、ここから出る方法はありますの?」
若干の期待を込めて彼を見上げると、彼は意地悪くニヤリと微笑む。
 「さてな」
 「さてなって貴方この状況を解っているんですのっ!
  一応仮にも『私のヴィノ』ならどうしたらいいかくらい考えなさいよっ!」
 首元を掴み前後に勢いよくぶんぶんと振りたくる。
何となく勢いに任せてとても恥ずかしい事を言った気がする。
気にすると余計恥ずかしくなりそうなので無視する事にした。が、彼はしっかり聞いていたようだ。
 「無茶を言うな。我とて虚空石の干渉した空間に閉じ込められる経験等ある筈も無い。
  それといつから我はお前のものになった?」
 「それは、その……あ、揚げ足なんか取ってないでさっさとここから出る方法を考えなさい!」
 再び顔を真っ赤に染めつつ、弾かれるように手を離し彼に背を向ける。
だが彼の姿が視界から消えた途端、世界がぐらりと揺れ強烈な目眩と嘔吐感が私を襲う。
 「うぅ……っ」
耐え切れず崩れ落ちそうになる体を後ろから彼が支えてくれた。
 「無理をするな。この空間は全ての感覚を激しく歪める。常人では耐えられるものではない」
 そう言うと彼は自分の術衣を私に羽織らせる。
所々に血が付着していたが、不思議とその感覚は嫌ではなかった。
 「え……?」
 突然、私の景色は一変した。
彼の術衣を纏った途端に脳の違和感が消え、正常な平衡感覚が蘇ってくる。
驚いて彼に向き直る。彼は優しく微笑んでいた。
 「暫くこれを着ているといい。気休め程度にはなるだろう」
 「ちょ、ちょっとヴィノ、何ですのこの術衣は?さっきまでの変な感覚が消えて……」
 「その術衣には不干渉の術を掛けてある。纏った者に対する外部からの干渉を多少和らげるものだ」
 彼はそのまま立ち上がろうとするが、体が僅かに揺らぐ。
一瞬眉を顰めるがすぐに態勢を立て直し、両手を前に突き出した。
私の皮膚が粟立つ程の強い魔力が、彼の両手から溢れ出す。
紡ぎ出した先から魔力は霧散していくが、それを上回る速さで彼は魔力を束ねる。
 「何をしているのヴィノっ!そんな勢いで魔力を消費しては……っ!」
叫ぶように喋る私に彼は涼しげな顔で答える。
 「やはり虚空石が作り出した空間には霧散出来る魔力の量に限界があるようだな。
  ならばその限界値を超える魔力を一気に爆ぜさせる事が出来れば、
  この空間は消滅し元の場所に戻る事も出来よう」
 「いくらなんでも無茶ですわ!馬鹿な真似は止めなさい!ヴィノっ!」
 私の制止を聞かずに彼は魔力を注ぎ込む。
徐々に光球が大きくなっていき、やがて拳程にまで膨らむ。
 「痛っ……っ!」
 私の全身に刺すような痛みが広がる。
彼の術衣が和らげてくれているが、それでも私の体に影響を及ぼす程の魔力が空間を切り刻んでいる。
術衣が無ければ全身に切り傷くらいは出来ているだろう。
ビリビリと振動する魔力に、この空間が悲鳴を上げ始めた。
少しずつ空間が不安定になっていく。
 「もう少しだけ我慢していろ」
 彼は飄々とした笑みを浮かべているが、その声から余裕は消えていた。
光球は更に大きさを増し、彼の上半身を包み込む程に巨大になった。
 (これ程の魔力をヴィノは持っているの……!)
 「目を瞑れ、エリーゼ!」
 「っ!」
 鋭く放たれた言葉に身を竦める。
すぐさま私はぎゅっと目を固く瞑り、縮こまるように体を抱く。
 「爆ぜろ!」
 彼の声に呼応して魔力が爆発したのが解る。
目を閉じていても眩しいくらいに閃光が走る。
瞬間、全ての感覚が消えた。


 目を開ける。
そこは異質な空間ではなく、長い回廊だった。
 「どうやら戻ってきたようだな」
 足元でカランと乾いた音が鳴る。
視線を落とすと元凶の法杖が揺れていた。先端に付いていた白い宝玉は割れている。
触れていないのに揺れる法杖に、微かな違和感を覚える。
 「これは……あの空間の中では時間が止まっていたという事か?」
耳に届く剣戟の音も飛ばされる寸前に聞いたものと周期は変わっていない。
 「……うぅ……ん……」
 背後からか細い声が聞こえた。
倒れていた少女を抱き起こす。軽く揺さ振ってやると少女はうっすらと目を開けた。
 「……ヴィノ……?」
 「怪我は無いようだな。立てるか?」
 「え、ええ……大丈夫」
まだ意識が覚醒してないのか、ふらふらと揺れるように立ち上がる。
 「どうやら出られたようですわね」
 「そうらしいな」
 「……まだ体が痺れているようですわ。あれだけの魔力を浴びたのは初めて……」
そこまで言って少女は顔を上げ、矢継ぎ早に食ってかかる。
 「なんであんな無茶をしたんですの?
  あれだけの魔力を一気に消費しては貴方の命に係わるんですのよ!」
怒りともつかぬ感情を浮かべる少女。それがヴィノを心配しているが故と解ると、彼は軽く息を吐いた。
 「あの程度の魔力であれば特に問題も無い。……我はお前の方が気掛かりだがな」
 「えっ……?わ、私は大丈夫ですわ」
 もじもじと俯く少女。照れ隠しなのか腕を組んで指先で袖口を弄っている。
指がローブに触れ、少女は思い出したように顔を上げた。
 「あぁヴィノ、少し待っていてくださる?」
 少女は魔力が霧散していかない事を確認し、指先に光を作り出す。
その光を羽織っている術衣に向ける。
柔らかな光に包まれた術衣は少しずつ破れた個所が塞がっていき、元の完全な姿へと修復された。
その様子を見て彼は感嘆の息を漏らす。
不干渉の術が掛けられた物を修復するには少しばかりこつが要る。
時にはヴィノでさえ失敗する事もあるのだが、少女はいとも容易く直している。
元通りになった術衣を畳むと、少女は彼にそれを差し出す。
 「この術衣はお返ししますわ」
 受取ろうと伸ばした手を、ヴィノは引っ込める。
怪訝な表情をする少女に彼は笑い掛けた。
 「それはお前にやろう」
 「えっ?」
 戸惑う少女に構わず、彼は意識を集中させる。
戦場に流れる魔力の奔流を捉える事で大体の戦況を読み取る事が出来る。
確実ではないが戦場を見通す事が出来ない時に、手早く全体の様子を窺う事が可能だ。
その中で、明らかに異質な反応を示すものがあった。
 「これは……」
 砦の北西部側、突如として同胞の気配が消え去った。
一瞬で四つ。
残っている気配は二つあるがそのどちらも弱々しく、同胞を葬り去るだけの力があったとは考えにくい。
間を置かずに、そこから程近い場所で二つの気配が消えた。無論、同胞のものだ。
術師や弓兵のような離れた場所から相手を狙える者の仕業かとも思ったが、それも違うようだ。
周辺に術師のような強い魔力を持った者もおらず弓兵が狙う事の出来ない位置関係にある反応が、
ほぼ同時に消えたのだ。
 (気配無き奪命者だとでも言うのか)
 偶々人族の攻撃を受けた同胞がほぼ同時に倒れたと考える事も出来る。
しかし、ヴィノはその考えを否定した。
戦場に居る者としての勘が、彼に何かを伝えようとしていた。
 「ちょっとヴィノ、聞いていますの?」
 耳に響く声に、彼の意識は眼前に呼び戻された。
少女は怪訝そうな顔を向けていた。
 「大丈夫ですの?心ここに在らず、と言った感じですけれど」
 「あぁ、少し気を抜いていたようだ」
心配した様子で少女は目を伏せた。
 「やはり傷口が痛みますの?」
 その眼は彼の胸元に巻かれた布を見ていた。
僅かに血が滲み、赤黒い染みが出来始めている。
 「痛みは引いている。問題はない」
 勿論、嘘だ。
傷口は今も鋭い痛みを発しており、多大な魔力を消費した事による疲労と鈍痛が全身を苛み続けている。
少女は彼の眼を暫く見詰めていたが、軽い溜息と共に呆れたような呟きを漏らした。
 「相変わらず嘘は苦手のようですわね」
どこか憂いを秘めた笑みを浮かべる少女。
 「違うな。……お前が聡過ぎる」
 やれやれと肩を竦めながら、彼は袖口に潜めた転移石を握り締める。
魔力を注がれた転移石は淡い光を放つ。
何らかの理由でこちらの被害が大きくなりそうな場合等に撤退を指示する為の合図だ。
全軍にこの合図が伝わったであろう事を確認すると、彼は口を開いた。
 「どうやら人族も態勢を立て直したらしい。我等はこの辺りで退くとしよう」
 「あ、ヴィノ……」
何かを言い掛けて口を噤む少女。
 「どうした?」
 「……また会えて嬉しかったですわ。それに、ちゃんと私の名前も覚えておいてくれましたし」
穏やかな笑みを浮かべる少女に、ヴィノは背を向けると意地悪そうに嘯く。
 「もう忘れたさ、エリーゼ」
 後ろでクスッと笑う少女。
両目を閉じ魔力を全身に行き渡らせる。少しずつゆっくりと意識が紡がれていく。
脳裏に浮かぶ景色は、針葉樹に囲まれた平原では無くリシュメイアの拠点内部。
恐らく先に退却を始めた同胞達も到着している筈だ。
普段なら瞬時に可能な転移術でさえ、今の状態では精神集中しないと発動出来ない。
月の見えない夜の中で絹糸を手繰るように魔力を束ねていく。
宙に体が浮く感覚。
 一瞬で世界は切り替わり、目的の場所へとその身を移す。ヴィノの天幕内部だ。
ふぅ、と肩で息を吐く。
どうやら予想以上に力を消耗しているらしい。
視界は霞が掛かったように僅かにぼやけ、両肩に鉛でも乗っているかのような疲労感がある。
 「遅いお帰りだな、道士ユーノクライン」
 転移の際に生じた魔力の流れを感じ取ったのか、天幕の外で声が聞こえる。
声の主を彼は知っている。
恐らく身を案じて態々天幕まで来てくれたのだろう。
 「あぁ、たった今な。……それとその他人行儀な呼び方はよせ、
  尊敬や謙遜という言葉には縁遠いお前にそう呼ばれると気味が悪い」
 こちらの軽口に笑みを漏らす気配。
天幕の外へ出ようと足を踏み出す。それと同時に視界が揺れる。
支えを失った体はそのまま床に倒れ込む。
 (動かんか。あれしきの空間を破ってこの体たらくとは……我ながら情けない)
傷口を癒す魔力さえ結えず、赤黒い染みが床を染め上げていく。
 「……ヴィノ?」
 異変を感じ取った声の主が天幕の中へ入る。
血だまりの中心で倒れている彼の姿に一瞬息を飲む。
 「これは……!いや、まずは治療だ、誰か、衛生兵を呼んでくれ!」
前ページに戻る「Return」                     次のページへ「Next

HPバナー

PSO2応援バナー

inserted by FC2 system