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Bland New Tea☆Time♪

Bland New Tea☆Time♪

このページは、オリジナル小説十二神座の入口となります。
(HP小説の無断転載を禁じます。)
この物語ははフィクションです。
小説内に登場する個人・企業・組織・団体は架空のもので、実在する個人・企業・組織・団体とは無関係です。
掲載されている十二神座の著作権は、小説を書いた作者:フィーのモノです。
ご理解のうえ、お読みください。

十二神座・第四幕(作者:フィー)pso-novel

「鏡像の妖女」 
 ガザ砦での攻防は竜族の撤退という形で連合軍が勝利を収めた。
劣勢に追い込まれていた連合軍にとって竜族打破への要地であるガザを護り切ったというのは大きい。
 またこの戦いに於いてヴィノを敗走させた魔族の姫エリーゼ、
圧倒的な力を持つ竜族の戦士を瞬く間に葬った謎の剣士ラヴィス両名の活躍が
兵達の士気を著しく高めていた。
この勢いのまま前線を押し上げようと連合軍は西進する。
 ガザ砦から出陣した連合軍の行く先はリシュメイアであると大半の者は考えていたが、
その予想は覆される事となった。
 新しく就任した連合軍の軍師はリシュメイアには兵を割かずに北上し嘗ての交易地マルクスへと
部隊を動かす。
 過日の撤退は多少の誤差は有れど概ね竜族の計画通りであり、
此度の進軍を誘導する為の策であると見抜いたのだ。
 しかし竜族も動き出す。
北方の地アリエスを奪取した竜族は其処から南東へ向けて進軍を始める。
 その先にあるのは王都クルクス。
物資供給の要であり連合の中枢でもあるクルクスを奪われる訳にはいかないと、
連合軍内部から声が上がる。
これに対し軍師は精鋭の兵約三千と一万の騎馬、
将兵数人を集めアリエスの先に位置する深く生い茂る森林地帯へ向かわせる。
 ガザの戦いから一カ月。大陸に新たな風が吹き始めようとしていた。


 ゆっくりと瞼を持ち上げる。
空には満天の星空が広がっているが、仄かに東の空が白み始めていた。
 アリエスから東南東に位置するシエラ高原。
鬱蒼とはしていないが多くの草木によってその視界が遮られており、兵を伏せるには絶好の場所となる。
また南側には深い森が長く東西に延びており、大陸中央部と北部との交流を断絶するかの様な
構えとなっている。
例外的にオルケウス山脈から流れるオウレル河の周囲は比較的開けた場所が多く、
率いてきた軍勢も其処に拠点を設けている。
数は三千程。拠点の守備隊が千、拠点内に設けられた天幕や簡易食堂で待機しているのが千と五百前後。
残りは各居留地からの輸送物資整理と偵察等の任に当たっている。
 出撃前、彼は言った。陽動ではあるが殲滅戦でもあると。
最終目的地をクルクスに定めたが、途中連合軍の補給線を断ち相手前線の動きを鈍らせる事も込の進軍だ。
 「眠気を堪えられぬなら天幕へ戻れ、体が冷えるぞ」
 頭上からの声に体を起こすと、知らぬ間に掛けられていた毛布がするりと地面に落ちる。
(それ)とほぼ同時に、小さくなっていた焚火がその勢いを増し周囲に温かさが戻った。
 今私が居る場所は拠点の端にある広場。
恐らく何十年も前には人が住んでいたのだろう、辺りは草木も生えず地肌が露出したままだ。
焚火で暖を取りながら暇潰しに、と星を眺めていたのだが何時の間にか眠っていたらしい。
近くの木を切り出して作った簡素な長椅子の上、私の右隣に座った彼の顔が焚火に赤く照らされた。
 治癒術により大半の傷は跡形も無くなっているが、
破れた服の隙間から覗く真新しい包帯が受けた傷の深さを物語っていた。
治癒術と防護術式による淡い青緑の光が今も傷口を修復している。
 「ヴィノ、医師から余り出歩くなと忠告されていなかったか?」
 心配半分呆れ半分、といった声を掛けながら右の髪を掻き上げる。
寝ている最中に変な癖が付いていないか気になったが、どうやらその心配は無いようだ。
手を離すと緑銀の髪が灯りを反射させながら垂れ下がる。
 「軍を預かる者が寝てばかりもいられまい」
 其は私への当て付けか、と苦笑を浮かべるが彼は気にした様子も無く落ちた
毛布を拾い上げ此方に渡す。
その動きに僅かな淀みを認め、私は両手で毛布ごと包み込む様に彼の手を握る。
まるで死体に触れているかの様に、彼の手は冷え切っていた。
 「こんな体で歩き回って、また倒れたらどうするつもりだ?」
そっと、しかし力強く彼は手を握り返す。
 「倒れたら、か。その時はまたお前に助けられるのだろうな」
正面から此方を見詰める瞳に、まだ力は漲っていない。
 「迷惑を掛ける」
 「……勝手な奴だよ、お前は」
 溜息交じりに告げると彼はクク、と喉を鳴らして笑う。
彼から毛布を受け取り膝に掛ける。変な体勢で寝ていたのか、左足に痺れが残っていた。
彼が意識を取り戻すまでの間、衛生班の天幕は右へ左への大騒ぎだった。
 竜族の勇士が総出で相対しても膝を着かせる事の出来なかったヴィノが血塗れで倒れていたのだ。
動揺は全軍に広がり指揮系統の混乱が起きかけていたのだが、
何事も無かったかの様に起き上がった彼と、
 倒れていた理由を訊き出した族長の嫡男であるトゥーガが事の経緯を――
肝心な部分を暈した表現で誤魔化したものではあったが――説明した為大事には至らずに済んだ。
一応の落ち着きを取り戻した兵達は各々の任務に戻り、来るべき戦闘に備えていた。
 「せめて傷を負った状況とその理由位話してもいいだろうに」
 「済まないが其は言えぬな。言ったら間違いなく我の傷口が広がるであろうからな」
 其は私が彼を殴り倒す様な内容だという事だろうか。
考えた事が表情に出ていたのか、彼は口の端を歪めて言った。
 「傷が完治したら殴る、と既にトゥーガから予約が入っていてな」
 「……はぁ」
 深い深い溜息を漏らし、その事については考えない様にした。
考えた所で頭痛の種が増えるだけなのだろう。
気を取り直し、彼に目を向けた。
何処から取り出したのか、真新しい漆黒の術衣を着込んでいた。
はっきり言って趣味が悪いと思うのだが、本人が気に入っているので何も言わない。
 「どれくらい寝ていた?」
 「一刻半といったところか。我が言えた事では無いだろうが、
  睡眠不足は肌荒れの原因だぞ」
 「確かに言えた事では無いな。
  しかも解っている癖、改めようとはしないのだから長老の跡取り息子より性質が悪い」
 お返しと言わんばかりに意地の悪い事を言ってみるが、涼しげに頬笑みを浮かべるだけだった。
これだから彼と話していても張り合いが無い。
近所に住む子供達は顔を真っ赤にして――時折火も噴き出しながら言い返してきたというのに。
不意に彼は笑みを消し、私から視線を外した。
 「まだ、夢に見るのか」
その言葉に、私の胸が小さく軋む様な痛みを覚えた。
 「……(うな)されていたか?」
ああ、と彼は私の問いに答えた。
 「そうか……もう踏ん切りを付けたつもりだったのだが」
 「そう簡単に忘れられるものでは無かろう。
  我が言えた義理では無いが、家族を失って平然としている事等出来はしまい」
 不躾で不器用な言葉が返る。
凡そ人らしい生き方をしてこなかった彼なりの精一杯の言葉なのだろう。
そう思うと、何やら照れくさい。
 「なんだ、慰めてくれるのか?」
 妙な意地が出たのか、素直な言葉の代わりに出たのは酷い言い草だった。
しかし彼は気にする事も無く、ふっと軽く息を吐き出す。
 「我の言葉では慰めにもならぬさ。
  お前と出会ったあの日から、一度たりともお前の傷を癒してやる事も出来ずにいるのだから」
 「……すまないな、ヴィノ」
 「何故謝る?」
 右手を口元に当て、私の言葉に首を傾げた。時折、こんな風に彼は子供の様な反応を見せる。
その様子が可笑しかったのか、自分の子供染みた言い草に呆れたのか、私はふふっと笑いを漏らす。
益々意味が解らない、といった様子で彼は腕を組んだ。
 其を見て私は声を上げて笑った。
一頻り笑った後彼を見ると、矢張り解らないといった顔で私を見ていた。
 「何が愉快だったのかは解らぬが、少しは気が晴れたようだな」
 「ああ、お陰でな。……ふふっ、お前は優しいな」
 「我をそう評したのはノーヴィー以外ではお前が初めてだ」
 「そうなのか。周りの女子は見る目が無いな。
  いや、其ともお前が彼女達を近くに寄せ付けないだけなのか?」
 其には答えず、彼は何処から取り出したのか水筒を取り出すと中の液体を小さな湯呑に注いでいた。
香草茶か。
気付けば横にもう一つ湯呑が置いてあった。
 「何時の間に淹れたんだ?まぁいい、有難く頂戴するか」
 勢いよく飲み干せば、甘い草の香りが鼻に抜ける。
暫くは二人、薪の爆ぜる音に耳を傾けていたが不意に彼が口を開いた。
 「この先の戦い、恐らく今までの様には行かぬだろうな」
 「如何いう事だ?」
 「ガザでの戦いの時から、何かが変わった。
  ヴァーティマが見付ける事の出来なかったリシュメイアでの強襲者。
  ガザでロヴァン等老竜を討ち取った気配無き奪命者。
  そして戦況を立て直し凌ぎ切った連合軍の軍師。
  何れもカルタナまで参戦していなかった者達だ」
 「……其が?
  例え連合軍の戦力が想像以上だとしても、お前の描いた戦局図に大した変化は無いのだろう」
いや、と彼は首を振る。
 「確かに腕の立つ将兵だけなら問題は無い。
  だが、あの急襲に即座に反応し陣を組み直せるだけの者が居るとなると、話は違ってくる」
 「買い被り過ぎじゃないのか?」
 「まだ見縊(みくび)っているかもしれんな。
  リシュメイアに全兵力を向けていれば我等がクルクスへと向かう事を阻止出来なかった。
  実際はリシュメイアには目もくれず、マルクスへと攻め上がった。
  だから我等は此処で連合軍を待ち構えている訳だ」
 普段の覇気が声に乗らない。
其を迷いと取った私は、はっと笑いを漏らした。
 「お前らしくもない、いつもの様に常勝の策を翳せばいいじゃないか」
 「負ける為の戦いに用いる常勝の策、か。字面だけ見れば不可解極まりない言葉だな」
クク、と喉を鳴らす彼特有の笑い。しかし瞳は笑わずに揺れる炎をぼんやりと見詰めていた。
 (相変わらず何を考えているのか解らんな、こいつは)
呆れとも付かない視線を向けていると、彼は誰に言うとでも無く呟いた。
 「此処での戦いには恐らく、その軍師は関わっていないだろう。
  ……マルクスは突破されるかも知れぬな」
 「マルクスが突破?」
 その言葉に思わず訊き返してしまう。
万が一の事を考え、マルクスの守備隊には多くの兵と将を残してきた。
ヴァーティマやトゥーガ等何れも劣らぬ勇士ばかりだ。
例え連合軍が此方に兵を割かず全軍でマルクスを目指そうとも、
我々の到着まで凌ぎ切る事の出来る策も用意した。
 (其で猶(それでなお)、突破されると読んでいるのか?)
馬鹿馬鹿しい、と笑い飛ばそうとするより早く私の視界が傾いていた。
 「は……?」
 眼前に揺れるのは緑銀の房。其は私の髪だ。
自分が倒れこんでいるのだと気付いた瞬間、視界の端から何かが暴風の様に突っ込んできた。
余りの速さに輪郭がぼやけて見える。読み取れたのは幅広い鋼の色。
僅かに遅れて破砕音が響く。
背中に土の感触が生まれて、ヴィノに突き飛ばされたと理解した。
 「敵襲か!」
 「いいえ、私が狙うのは一人。ですので、貴女に用はありませんの」
 問い掛けに応えたのは落ち着いた艶やかな声。
 突っ込んできた奴の正体は女性だった。
褐色の肌に巻き付けられた絹の布が胸や腰を申し訳程度に覆っており、
まるで娼婦の様な出で立ちなのだが不思議といやらしさを感じさせない。
女性にしては高い部類に入る身長も相俟って、何処か高貴な印象さえ与える。
腰程まで伸びる薄い金髪はたおやかな曲線を描いており、癖っ毛特有の野暮ったさは微塵も無い。
 だが最も目を引くのは彼女の左手に握られている得物だ。
彼女の身長程もある抜き身の大剣。鈍く光る鋼色の刀身が静かに威圧感を放っている。
不釣り合いな得物を下段に構え、彼女は蠱惑的な微笑みを浮かべた。
 「ヴィノ・ユーノクライン。彼を頂いて行きますの」


 女性は起き上がり、此方を牽制する様に半歩前に出た。
眼は真っ直ぐに私を射抜き、左手を伸ばし僅かに腰を落とした構えで相対する。
 まだ半人前ですのね、と思う。
竜族の主な攻撃手段は徒手空拳だ。
剣術や魔術に長けている者も、その動きの基礎となっているのは素手による格闘術。
その為、構えを見れば相手の技量が解る。
眼前の女性、構えは基本に忠実でありその動きに一切の歪みは無い。
だが其故に生まれる隙というものがある。
其は実戦の中で自身を磨き闘士として経験を積む事で消えていくものなのだが、
 (余り戦場に出た事は無いようですのね)
 ほぅ、と軽く息を抜く。
その動きに然したる反応も見せない彼女を見、呆れとも失望とも付かない感情が湧き上がる。
一切の興味を失った心は視界の端に映る姿に引き寄せられた。
 彼は浅く腕を組み無表情に私を見ている。
深く考え込む時、表情から全ての色が消える。其が彼の癖だ。
普段は不敵に微笑みを浮かべている彼に、此処までの思考を要求させたという事実が
私の体に熱を与えている。
 しかし思考を中断する事も無く彼は一つの動きを見せた。
先程の吐息。其処に込められた意味を見逃す事無く、彼は微かに体の重心を右側
――女性の立つ方向へとずらした。
試す意味もあり幾分解り易かったとはいえ、漏らした闘気に鋭敏な反応を見せた彼。
何かを言おうと息を吸い込むが、先に声を発したのは彼だった。
 「今までに会った事は無い。だが我はお前を識って≠「る」
 その言葉に眼が弓になるのを抑え切れない。
語らずとも互いを理解出来る。その事実に胸が早鐘を打つ。
 「我儘を言わせてもらえるなら会う≠フではなく逢う≠ニして欲しいところですの」
 声に嬉が滲んでしまうのは仕方無い事だと勝手に納得し、左手を返す。
 そのまま右足で穿つ様に大地を踏み抜き、地に刃を乗せたまま滑らせる様に跳ぶ。
駆ける為の動作は要らない。地に足を乗せるのは踏み出した次の一歩だけでいい。
一歩で最高速まで持っていく。
地を疾走する刃は鞘走りと同等の効果を得て、速度を乗せた刀身は文字通り空気を割りながら進む。
一瞬で距離を詰め、左手を僅かに浮かせ柄尻を右の掌で軽く押し込む。
地に拒まれた刃は反動で跳ね上がり、切っ先を持ち上げ真っ直ぐ彼へと向かう。
瞬くよりも疾く、剣先が彼の身を狙う。が、
 「――――」
 来る筈の手応えは無く、刃は空を切る。
彼は腰を落とさず体躯を起こしたまま、僅かに重心を右にずらした。
其だけの動作で刃は彼の横を通り抜ける。
今、大剣に込めた力は天へ抜けようしている。
 だが私も彼も、其を許す程甘くは無い。
ならば、と起き上がった上体から右の肩を下げ全身を捻る。
振り抜いた勢いのまま大剣を自らの背後に回し身を深く沈め、響く衝撃を地に逃す。
刀身を伝う衝撃は同時に三発。
牽制の打撃ではあるが、まともに喰らえば意識が散逸するだけの威力はある。
逃し切れなかった衝撃を使い体躯を回し左足で踏み込み、引き抜く様に大剣を右へと薙ぎ払う。
円の軌道をなぞる刃が向かうのは彼の右脇腹。
 上体を起こしていては太刀筋が伸びるのは胸の辺り、大胸筋を裂くが骨を断つまでには至らない。
低過ぎては刀身に拳を放たれ折られるか、跳んで避けられてしまう。
狙いは肋骨の下、胴の僅かに上。
引き抜く様にして振り抜いた右手に手応えがあり、
 「――っ!」
 しかし此方の予想よりも速く衝撃が走る。
かっと見開いた瞳に映るのは前に突き出した左手で刃を掴む彼の姿。
掴み方に力は無く、刃の上に掌を載せる様な構え。
 (これは……此方を止める動きではありませんの?)
 違和感に答えたのは彼の両脚。
不意に、彼が浮いた。
斬り払われる大剣に体を載せて、彼は宙を舞い私の背後に影を作る。
すかさず右足の踵に力を込め反転しようとするが、大剣の腹に幾つかの打撃を受けた。
逃し切れなかった衝撃が手首に鈍痛を与え、空足を踏まされる。
だが続く連撃は無い。
振り向くと彼は先程と同じ様に浅く腕を組み私を見ている。
一つ違うのは彼の顔に笑みの様なものが浮かんでいる事だ。
 「仕切り直し、という事ですのね」
 大剣を右方の地面に突き立て、体重を柄に預ける。
額に汗が滲んでいる。まだ息は上がっていないが、徐々に全身が熱を帯び始めていた。
深く息を吐き出すと、幾分体温が下がった気がする。
 「絶好の機会でしたのに。何故追撃しなかったんですの?」
口の端を上げて問う私に彼は当然の様に答えた。
 「女は殴るものでは無い、愛でるものだ」
 「其は男尊女卑な発想ではありませんの?」
 「単に好みの問題だな。男を撫でても気色悪いだけだろう」
 「そうでもありませんのよ?私は貴方を一日中でも撫でていたいですもの」
 「其こそ個人の嗜好だろう」
 言って彼は左手を上げ、私の左側に向ける。
気付けば女性が緑銀の髪を風に揺らしながら立っていた。
 「あら、まだいたんですの貴女?」
 「この女……!」
 額に青筋を浮かべて此方を睨みつけているが、動こうとはしない。
彼が制した理由を解っているからだろう。
 「リィヴィィ、お前の敵う相手では無い。天幕に戻り休んでいろ」
 「だが!」
 「構わぬ、戻れ」
有無を言わせぬ口調に言葉を詰まらせ、女性は背を向けて歩き出す。
 「後で子細をじっくりと聴かせてもらうからな、道士殿」
 声に憤りを交え、最後に此方へと一瞥をくれる。
私は其にクク、と喉を鳴らす笑いで応える。
忌々しげな女性とは対照的に、彼は僅かに笑みを濃くした。
彼女の姿が見えなくなると、彼は苦笑交じりに息を吐く。
 「全く、血の気の多い奴だ。勇ましいのはいいが時折自分が女である事を
  忘れているのでは無いかと思ってしまうな」
 「唱竜(しょうりゅう)とは思えない気の強さですのね。
  お淑やかで驕らず、一途に想い人を支え続ける気性を美徳とする種族ですのに」
 「その理由、理解は出来ずとも知識として持っているのではないか?」
 放たれた言葉に眼を見開く。
視線の先、彼は口の端を釣り上げ不敵な笑みを浮かべていた。
 「少しずつ、お前の姿が見えてきた。
  断片的な情報しか持たぬ今、お前の存在そのものを特定若しくは類推する事は叶わぬがな」
しかし、と彼は組んでいた腕を解き挑発的に私を指差す。
 「一つだけ解った事がある。お前は我≠セ」


 確信はあった。動きの癖、好む言い回し、纏った魔力の匂い。
一つ一つが自身のものと完全に一致している。
無論偶然の一致という事も考えられる。
だが言葉では言い表せない――名状し難い何かが、その答えを導き出した。
そして其は自分を納得させるだけの説得力を持っている。
 「何の因果で此処に存在しているのか、何故性別が我と逆なのか、そもそもどういった存在なのか。
  皆目見当が付かぬし論理的な思考や判断も下せん。
  だが奇妙な事に、感覚として、お前が我と同一の何か≠ナある事は解る」
言いながら自らの言に可笑しさを覚える。
 (確信として内に在るのに対し、外へ吐き出せば妄言として耳に入るか。この感覚は何であろうな?)
その感覚を例えようと言葉を探し、思考が逃避を企てていた事に気付く。
 (いかんな、此処まで平常心を欠くとは)
 存外、この状況を楽しんでいるのかも知れない。
説明は出来ないが理解する。
論理的でない矛盾した思考を抱え、高揚感の様な焦燥の様な感覚に浮かされている。
自らに対する好奇を打ち消す様に言葉を発した。
 「お前は恐らく我と同じ量の――否、我の持つ知識を有している。
  先程お前はリィヴィィの事を唱竜と言った。
  確かに唱竜は他の竜族と違い一見して其と解る。
  特徴的な緑銀の鱗と細長い首、(たてがみ)を思わせる後ろへ流れる様な頬骨を見たならば。
  しかし奴は人化していた。外見で奴を唱竜と見分ける事は出来ない筈だ」
 何を理解し、何を理解していないのか。
思考の根幹すら定まらない事だけを理解し、その先を求めている。
今、果たして自分は何を解っているのだろうか。
何も、何一つ、解ってはいない。
 対する彼女は、自分と同じ知識を持ちながら其を限定された範囲に於いて自らの記憶、
或いは経験に似たものとして組み込んでいる。
 「同じ竜族でも唱竜と関わる機会は少ない。
  各部族を取り纏める族長か、余程竜族の形態に精通した者で無ければ唱竜という部族さえ知らぬ筈だ。
  何時、何処で、お前はその存在を知った?」
 問いには答えず、ただ頬笑みを浮かべたままの彼女。
この時点での応答とはせずに、まだ此方の意見を聞きたいとでも言いたげな様子だ。
ならばと、肺に残っていた息を吐き出し新鮮な空気を深く吸い込む。
 「お前の動き、その根底にあるものに触れた時、理解した。
  竜族の格闘術に師は無くその全てが我流だ。
  一つの所作が似ていたとしても呼吸法、間合い取り、打撃の型、全てが合致する事は有り得ない。
  無論、我の術式、型式共に伝授した覚えは無い。
  ならば何故、お前が我と全く同じ動きをするのか?
  考えられる事は一つ、お前が、この動きを只の知識では無い記憶として有しているという事だ」
 「確かに辻褄は合う様にも聴こえますの。しかし、どうでしょう?」
 艶を乗せた声が飛ぶ。
窺う様な無邪気な瞳を向け、彼女は新たな音色を紡ぎ出した。
 「貴方が気付かぬ内に盗んだのかも知れませんのよ?
  姿を変え無垢な一般市民として近付いた際に貴方の動きを模倣し、完全に身に付けたか、
  或いは貴方の妹君と接触しその動きを身に付けた後、
  更に洗練させた結果貴方の動きを間接的に会得したとは考えられませんの?
  何しろ妹君は竜族の地に在らず、連合軍と接触し身を寄せているのですから」
 「――――」
 対する言葉は出なかった。
 (今……何と?)
 思考が一瞬止まる。再び思考が動き始めた時、彼女の言葉は暴力的な濁流となり襲い掛かってきた。
疑念は形を持ち、声として流れ出た。
 「ノーヴィーが今、人族の地に?」
 「動揺なさっていますの?動揺なさっていますわね?
  ああ、その困惑した顔もとても可愛らしいですのよ。
  思わず、こう、きゅっと抱き締めて差し上げたくなる程に」
彼女は笑みを濃くし、からかう様な瞳を向けた。
 「馬鹿な、あの華奢な体で行軍では無いと言えこれだけの距離を一人で歩いたとでも?
  奴の事だ、地図を持たずに出立したという事は無いだろうがよく迷わずに、
  いや無事に辿り付けたものだ」
 「とっても素敵に混乱なさってますけれど、方向性が少しばかり間違ってませんの?
  親馬鹿というか妹馬鹿状態に陥っていますのよ」
 「いやそもそも奴が飛び出してくるという事は相当固い決意が有ったに違いない、
  其処まで追い詰めていたというのか?何故気付けなか、っ……!」
 溢れ出る疑念は堰き止められた。凍て付いた刃の様なものが頬を撫で、意識を戦場へと引き戻す。
だが眼前の彼女は身動き一つせず、頬笑みを湛えているだけだ。
クク、と喉を鳴らしながら彼女は眼を細める。
 「御心配無く、殺傷力を持たない只の魔力ですのよ。
  考える事に夢中でちっとも私を見て下さらない貴方へのちょっとした悪戯ですの」
 そう言うと彼女はまた愛おしげに此方へ柔らかな頬笑みを向ける。
 彼女の魔力は、頬だけでなく頭も冷やしてくれたようだ。
 (何故、魔力を放つ必要があった?)
 意識は戦場に無く思考の宮へと移っていた。ならばその隙を突き大剣を振るう事も出来た筈だ。
対峙して解る通り、彼女程の技量があれば此方の反応より速く大剣を突き立てる事も可能だった。
 しかし、彼女は魔力を放ち――其も殺傷力を持たない魔力で――意識を現実へと引き戻させた。
威嚇や警告であるのなら、多少なりとも力を持たせ付けた傷に意味を持たせるのが普通だ。
だが彼女は魔力を散逸させ、其こそ只気付いてもらう為だけに&った節がある。
此方の疑念を感じ取ったのだろう。彼女は突き刺した大剣に凭れ掛かり、挑発する様に科を作る。
 「私は最初≠ノ言いましたのよ?貴方を頂いて行く、と」
 一点の曇りも無い晴れ晴れとした笑顔を浮かべ、試す様な視線を此方に向ける。
仕掛けた謎々の種に親が気付いてくれるのかを、期待を込めて見上げる子供の様に。
胸中に更なる疑問が浮かんだ。
 (彼女は言った。我を頂く、と。其はつまり、我の死を欲しているという事では無いのか?
  或いは我の身柄を拘束し、この戦いの勝利を決定付けるという事では無いのか?)
 確実に葬る機会は有った。しかし、彼女が放ったのは刃では無い。
単に恨み辛みや憎悪を以て相対したのならば、その様な行動はしない。
ならば、何故?その疑問が答えを求めて脳内を駆け巡っていた。
そしてもう一つ、
 (何故最初≠ニいう言葉を強調した?)
 恐らく彼女は其処に何らかの意図を込めた。其も、思考の助け船、或いは核心に近いものを。
一体彼女は何を伝えようとしているのか。
 もう一度、彼女に意識を向ける。
と、単に視界として捉えているのでは無く観られていると感じ取ったのか、
彼女は悩ましげに肢体をくねらせた。
 彼女が動く時に一切の無駄や隙は生じない。
にも関わらず、此方を誘う動きを見せる時、彼女は無防備な姿を曝け出す。
この場を戦場と考えるのなら、不可解な行動だ。
戦術としての優位性は皆無であり、此方の動きを誘導する誘い水としても弊害が多く不適格だ。
 しかし彼女は一貫してその行為を繰り返す。
不可解序でに言えば、此方を誘惑する姿勢も謎めいている。
何故死を望む相手に誘う素振りを見せるのか。
誘う仕草一つ一つは妖艶であるのに、全体を見ると何かが欠けた印象を受けるのは何故か。
 (……謎だらけだな。言葉を重ねる毎に疑念は増え、理解したのは一つ。
  其も確信はあって確証は無いという極めて矛盾したものだ)
 深く息を吸い込み、吐く。
余計な疑念を追い出し、思考を簡略化させる。
現状に於いて最優先で考えなければいけない事は、
彼女は退ける必要のある敵として相対している、その事実だ。
 「あん、その澄んだ眼差しも凛々しくて素敵ですのよ。私の心まで射抜かれてしまいそうですの」
 赤らめた頬に両手を当て、身をくねらせる彼女。
相変わらず無防備なその体躯に身を寄せた。
上半身は動かさず右足の踵に全体重を乗せ、踏み抜く。
長距離を移動するには向かないが極僅かな距離を詰める際、
相手の知覚を騙し反応を遅らせる事が出来る歩法だ。
 最初の一歩で充分だ。手を伸ばせば届く距離に彼女がいる。
左足を地に乗せ軸とし、勢いのままに右半身を押し込む。
掌打は何物にも阻まれる事無く真っ直ぐ鳩尾へと向かう。
彼女の瞳が其を捉えるが、もう遅い。
合金すら貫く威力を持った右手が胸元へ伸び、
 「――何?」
何の手応えも返さぬまま空を切った。


 生まれた風は爆ぜ、周囲の木々を揺らした。
此方の初撃で散らばった薪の表面が、風に撫でられ赤く染まる。
先程まで立っていた場所に伸びる掌底を見、惜しい事をした、と思う。
 (勢いを殺し互いに動けぬ状態へ持っていければ、彼の手で存分に揉みしだいて頂けたものを……っ!)
 思い直す。非常に惜しい事をした。
彼の逞しい腕が胸に伸びてきた時反射的に避けようとしてしまい、その通りに体が反応してしまった。
 よくよく考えてみれば彼から仕掛けてきた初めての機会だったというのに、だ。
あの状況で最も効果的な反応は何だったのか。
彼の手首を捉え当て身を食らわせた後、その手を取って胸を這わせるか。
いや其では風情が無い、彼が自らの意思で弄んでくれるからこその愛撫だ。
ならば伸ばした手を擦り抜け背後から抱き付き首筋の香りを思う存分に嗅ぐか。
 いや駄目だ、彼の顔が見えていないと物足りない。
其は匂いを嗅がれて羞恥に染まる彼の表情が見えてこその行動だ。なら一体何が?
其処まで考えた所で閃いた。
 (外に逃れるのでは無く敢えて内に逃れる事により彼と抱き合う格好に、
  後は情熱の赴くまま彼の唇を、舌を貪る様な激しい接吻!
  これです、これが最善ですのね!)
 彼の挙動を背後から眺めながら一人興奮していると、空気が浅く揺れた。
瞬きよりも速く彼の姿が迫る。
 頸動脈を狙う左手は貫手の型、右手は魔力を纏い淡く青白い光を放つ。
そして彼の紅い瞳には、微かな驚きと好奇が見て取れた。
先程の動きを捉え切れていない。
再び表情が消え失せた彼の顔に見惚れながら右足で地を踏み抜き同じ速度で飛び退り、
腕を伸ばしても届かない距離を保ちながら左に構えた大剣を地に突き刺す。刃を支点とし体は宙を舞う。
高度が最高点に達したと同時、全身を後方に捩りながら全力で左腕を此方の前方へと振り抜く。
 「っせい!」
半月を描く様に軌跡を辿る刃が彼の爪先を撫で、
 「……っ」
 しかし返る衝撃は無く、叩き付けられた刀身が大地を割った。
本能が警鐘を鳴らす。
捨て置く様に柄から手を離し跳躍の為の力を量の足に溜める。来るのは右か左か。
判断は一瞬。自身を叩き付ける様に地へ這わせ、頭から後方へと跳ぶ。その上を影が通り過ぎる。
交差した影は大剣の傍らに降り立ち、此方は身を返して態勢を整える。
丁度、先程と位置が入れ替わった形だ。
間髪入れず彼が大地を蹴る。獲物を手放した今が好機と踏んだのだろう。
 (少し驚かせてあげますの)
果たして彼はどんな顔をするのか。
彼が先程見せた瞳の揺れを思い浮かべつつ、闇に抱かれた術式を紡ぎ出す。
 「空世の門(アティ・ナトゥータ)
 呟く様に漏れた言葉が空気に溶け、映る景色が一変する。 
瞳に映るのは彼の背中。足元に突き刺さっているのは先程手放した大剣。
彼は私が背後に移動した事に気付いておらず、眼前から消え去った私の姿を懸命に探している。
 「此処ですのよ、我が君」
振り返る彼の眼に三度驚きが生まれる。
 「……如何いう事象だ、これは」
 「その顔、堪りませんの。右も左も解らぬ迷子の子供の様なその困惑した表情……あら、思わず涎が」
 じゅるりと湿った音を立て口の端を舐め取る。
眺めているだけでこの恍惚具合。
彼の心に触れ互いの体温を確かめ合ったとしたら、如何程の悦楽と為り得るのか。
はしたない笑みが浮かびそうになるのを押し留め、右足を蹴り上げる。
爪先に響く軽い衝撃と共に跳ね上がった大剣の柄を左手で掴む。
 此方の動きに呼応し、彼は瞬時に意識を戦場へと戻した。
彼の肩が僅かに下がり、爆発的な加速を乗せて前方に跳んだ。
最早彼の双眸に迷いは無く、今この瞬間に全神経を集中させている。
その瞳に頬笑みを返し半身を左に傾ける。
右手に持ち替えていた大剣の柄を前方に向け、魔力を込め、放つ。
生まれるのは魔力の刃。
柄から伸びる刃は妖しい紫銀の光を振り撒きながら一直線に彼の胸元へと向かう。が、其は囮。
 「瀑布の型……!」
 身を躱し尚も追い縋ろうと更なる加速を乗せて腰を落とした彼が此方の意図を理解し、
咄嗟に右腕を突き出した。
 後に続くのは放射状に爆ぜる魔力の反刃盾。
彼の身長の優に三倍はあろうかという規模の反刃盾は送り込まれる魔力に依って自重を倍加させながら、
純粋な暴力と化して彼に躍り掛かる。
瀑布の名に相応しい、全てを飲み込む圧力が彼の右腕を捉え、
 「ぐぅ……っ!」
 紫銀の光の奥で彼が苦悶の声を上げる。
くぐもった声も素敵でこれはこれで有りだ等と邪念に塗れた思考が脳裏を這い回るが、
次に聴こえてきた音に思考は散逸する。
か細く高い、硝子細工に罅が入る様な音。
何の音か、と疑問を抱くよりも早く答えは示された。
 「瀑布が……!割りましたの?割ったんですのね!?」
 中心から裂けた反刃盾は左右に二分され、その合間から彼の瞳が覗く。
亀裂が彼の肩幅程に広がるのを待たずに動いた。
右足を振り抜く様に蹴り上げ、その反動で弧を描く様に体躯を回す。
一瞬遅れて、上げた右足の膝裏、傾けた肩口、汗が伝う喉元、
その全てをなぞる様に銀の色が(はし)る。
向かい来るのは彼の懐刀。紙一重の差で其を避けながら、私は言い知れぬ高揚感に包まれていた。
口の端が自然と上がってくる。
 楽しい。
 愛しき人と同じ場所同じ時を過ごし、全力を以て相対してもらっている。
至上の喜びを得た心は貪欲に更なる快感を求める。
その苛烈な欲望を認識した時、既に行動は始まっていた。
体躯を回した勢いをそのままに更に半回転を加え、彼の姿を正面に捉えたのを確認して、
 「……ぉぉぉぉおっ!」
 背後に回した右腕を高く振り上げ、肩から指先に至るまでの
全ての関節を撓らせ鞭を振るうかの様にして大剣を投擲する。
 向かう先は彼の背後。
次の動きへ移行する為に重心をずらしたのを見計らい、彼が後方か或いは前方にしか動けぬ瞬間を狙った。
後方に跳ぶには分が悪い。彼の速さであっても避け切れるかは難しいところだ。
となると前方にへ転がる様に身を投げ出すのが最善。無論、其こそ私の目論見だ。
 (その姿勢からでは反撃も出来ないでしょう、
  其処へ滑り込む様に体を入れたなら自然と彼に抱き締められる事に!)
 そんな邪な気配を感じたのか、彼は前方に跳ばない。代わりに彼は膝を折り上半身を深く沈めた。
何を、と疑問を抱くより速く彼は両足で地面を蹴った。
低い姿勢のまま擦る様な宙返りを披露し、体の上を滑らせる様にして大剣を受け流す。
 「なっ……!」
 刃が疾り切った瞬間を狙い、彼は両足を振り上げ柄を高く弾き飛ばした。
勢いを殺された大剣は彼の背後、剣圧で捲れ上がった土へ突き刺さる。
ぞくり、と言い知れぬ快感が肌を撫で上げた。
彼の思考傾向や動きの癖は全て知っている。
故に彼が取るであろう行動は容易に予測出来ていた。
今までの動作も、幾つか予測した内の一つの動きを、彼は選び動いていた。
だが、彼が披露した動きは此方の予測の更に上を行くものだった。
成程、後方に跳ぶのでは私との距離が開いてしまう。
一時とはいえ私の手から得物が離れたこの状況をみすみす逃す事は無い。
  そして、彼は気付いたのだろう。
私の攻撃が全て大剣を起点として発生している≠ニいう事に。
はっきり言って、私程の速さがあれば武器は必要無い。
道端の小石を子供が投げたところで小型の動物を追い払うのが精一杯だろう。
 しかしその小石が雷よりも速い速度で打ち出されたとしたら、
指先よりも小さな石は強固な盾をも貫く威力を持つだろう。
そうして打ち出されたものが小石の何倍もの大きさを誇る人の拳であったら?
全身の重さを乗せた踵であったら?
生まれる破壊力は如何に強固な障壁であっても、そう何度も耐えられるものでは無い。
幾度と無く彼は態と体を晒し、打ち込む隙を見せ付けてきた。
しかし私はその全てを見過ごし大剣による斬撃を繰り出していた。
当然彼は疑問に思った事だろう。そしてその理由を確かめる為に、彼は跳んだのだ。
 「呆けている暇は無いぞ」
 意識を飛ばしていた僅かな時間で彼は態勢を立て直し、懐刀を抜き放っていた。
同時に放たれた数は五本。
回避に移るには余りに遅すぎた。銀の刃は狙いを違わず急所へと向かう。
唯一避ける方法があるが彼は其を待っている。
私に対する如何なる攻撃も、彼にとっては謎を解く為の誘い水なのだろう。
 (……是程強く我が君に望まれたのなら、応えない訳にはいきませんの)
どこか諦めた様な、しかし至上の喜びを湛えた微笑みを浮かべ、私は彼の望む言葉を紡ぎ出した。
 「空世の門」
 再び開かれた門を通り、私は彼の背後に存在≠オた。
肉眼で捉える事が物理的に不可能なその動きを、彼は見切っていた。
私の眼に映るのは彼の後姿では無く、紅く輝く双眸。此方に伸びるしなやかな指が私を捉え――、
 「あんっ」
 思わず嬌声を上げてしまう。
突き出された彼の手は私の胸元に収まり、触れられた事で更に激しくなった
鼓動を彼に余す所無く伝えている。
一見すると彼が獣の様に激しい情欲に身を任せ私を今まさに蹂躙しようとしている様に映るが、
その実掌の中心は私の心臓を捉えいつでも魔力で貫く事が出来る様になっていた。
 「あらあら、矢張り私では我が君を出し抜く事は叶いませんのね」
 ほぅ、とやや熱を帯びた息を漏らす。
既に戦意を喪失したのが伝わったのか彼は手を離し私を静かに見据えていた。
彼の手が離れるのを惜しいと感じつつ、右足で剣先を叩く。
風を揺らしながら振り上がる柄を受け止め、枝垂れかかる様に大剣へ体重を預けた。
 「よく言う。元より出し抜く算段では無かったのだろう」
 「あら、何故そう思いますの?」
 「既に理解している事を改めて尋ねる様な奴には教えられぬよ」
 クク、と喉が鳴る音。どうやら彼は楽しんでくれたようだ。
彼の笑みを見ていると胸に暖かい何かが生まれる。
其が何かは解らないが今は其でいいのだ、と思えた。
 「そろそろ連合軍の騎兵隊が到着する頃ですの。
  南方から真っ直ぐ丘を越えて迫って来ていますのよ」
 「我に其を教えても良いのか?お前も連合軍の一員であろうに」
 「いいえ、私はまだどの組織にも加わってはいませんの。
  今の私は愛しの我が君に胸を焦がす一人の幼い少女ですの」
 ぺろ、と舌を出しおどけて見せた。
そんな私に毒気を抜かれたのか、彼は優しい微笑みを浮かべた。
 「では私は御暇(おいとま)させて頂きますの」
 言って背筋を伸ばし、恭しく御辞儀をする。まるで侍女が主人を見送る時の様に。
 「しかし最後まで解らぬな、一体何の目的でお前は我に近付いたのか。
  只遊びに来たという訳でも無いであろうに」
 その言葉に、私は呆けた様に口を開けてしまった。
が、直ぐにはしたない真似をしてしまったと慌てて口を塞ぐ。
 (……案外、鈍感なのかも知れませんのね)
呆れやもどかしさの混じった微妙な笑みが浮かんでしまう。
直ぐに其を打ち消し、純粋な、満面の笑みを彼に向ける。
 「其では、次の逢瀬を楽しみにしていますの」


 蠱惑的ともいえる甘い匂いを残し、彼女は陣を後にした。
幾度かの衝突の余波で打ち払われた薪は殆ど燃え尽き、
僅かばかりの熱を放ちながら辺りに散らばっている。
その微かな炎を見詰め、暫く考えてはみたが矢張り結論は出なかった。
否、出せなかったというのが正しい。
突如現れた名も知らぬ少女。
彼女が何を渇望し、何を思い動いているのか。
 (急く必要は無い、か)
 あの口振りから察するに、そう時間を置かずにまた姿を現す事だろう。
頭上を見渡せば青白く染まった空が目に映る。夜明けまでは後半刻といったところか。
幽かに、漂う風の中に不和が混じり始めた。
蹄が地を打ち鳴らし、衝撃が風を揺らし、此処へ届いたのだ。
時を同じくして背の高い女性を筆頭に、数人の竜族が駆けてくる。
 「ヴィノ、連合軍だ!数は三千程、騎馬兵のみで構成された機動隊、
  此方へ到着すると予想されるのは日の出と同時、後半刻だ!」
 存外早かったな、と呟きを地に落とし各部隊長に指示を飛ばす。
 「各部隊に通達。
  先鋒の駆動隊は森の入口に布陣し初撃の勢いを削いだなら後退、
  奴等が追撃を開始したならば森の中で騎馬の動きが鈍った所を撃退。
  誘いに乗らず静観の構えを見せるか、
  火矢を用いて来た場合は両翼より中心に向かって攻め上がり思う存分蹴散らしてやるといい。
  中盤の教導隊は部隊を左右に分け突破してきた騎馬を水壁・氷結系術式にて撃退。
  後方の守備隊は別命あるまで待機、 
  輸送隊、補給隊は陣営の撤去・物資の回収を命じる。
  偵察隊は連合軍の監視と並行してロウクスまでの街道の調査・偵察を任せる。
  道中に転移陣を敷くのを忘れるな」
 「了解です、道士殿!」
 命を受け各部隊長は各々の戦場へと走って行った。
残ったのは一人、救護隊部隊長兼作戦参謀であるリィヴィィだ。
 「ヴィノ、私達はどう動けばいい?」
先程呼ばれなかった事に焦りにも似た苛立ちを感じているようだ。
 「五人程我の天幕に寄越してくれ。
  少しでも多くの魔力を補充しておきたいのでな。
  残りの者は輸送隊、補給隊の補佐に周りつつ負傷した者が帰って着たら手当てしてやるといい。
  お前は教導隊の後方で戦況を見定めつつ指示を飛ばせ。
  但し緒戦は無理に攻めるな、相手に此方が押している≠ニ思わせろ」
 「……撃退の成否に係わらず此処から移動するのか。
  解った、では部隊の中から特に魔力に秀でた者を向かわせる」
 「ああ、其と」
 「何だ?」
 逸る気持ちを抑えつつ走り出そうとした体を止める彼女。
訝しげな表情が張り付いているが、放たれた言葉によって其は剥がれ落ち、代わりに呆然とした、
ともすれば間抜けと評されそうな表情が浮かんだ。
 「手紙を書こうと思う。用紙を二枚、其と羽筆を一つ頼む」
 「……は?」


幕間――シエラ高原、黒曜の森入口


 連合軍騎兵部隊、総兵数三千。
 行軍速度を保つ為に補給部隊、輸送部隊、偵察部隊は同行しておらず、
代わりに兵卒から将兵まで一人一人が等しく其等の任を負っている。
強行軍故に発生する幾多の問題を軍全体で分かち合い解決するこの方法で、
多少の消耗はあれど兵達の士気は最高潮まで高まっていた。
騎馬を半数以上潰してしまったが、代わりに予想以上に早く到達する事が出来たのも喜ばしい事だった。
 仮に到達が遅れていたならば戦場はシエラ高原の東、
オウレル河から分化した此処ル河の流れる湿地帯に移っていた。
足場の悪い湿地帯では騎兵の長所が全く生かされず、
クルクスへの侵入を許す事態に陥っていた可能性がある。
この事も兵達の士気を上げる要因の一つとなっていた。
 開戦の時を今か今かと待ち侘びる兵達の中心で、連合軍随一の勇将ミコト・ラングレンは
静かに敵軍を観察・分析していた。
 (最初から森の中に布陣せず、敢えて森の入口へ兵を置いた、
  その理由は何だ?我等騎兵部隊の最大の長所は機動力と突破力。
  この二つを削ぐのなら森の中で構え此方の動きが鈍った所を小隊で各個撃破するのが定石。
  にも係わらず前に出てきたという事は何か此方を欺く策があるのか?)
顎に手を当てると、深く刻まれた皴とすっかり白くなった顎髭の感触が返ってくる。
 「ミコト様、攻撃の準備は整いました」
 掛けられた声は幼子を思わせる程に高い。
気付けば隣に白馬を進め並び立つ小さな影があった。
神官の術衣を纏った、少女と呼ぶには幼さが過ぎる娘。
茶色の髪は陽光に当てられ黄金色に輝き、水底の様な深みを湛えた瞳と相俟って、
聖女と見違える程の神々しさがあった。
 (いや、聖女と言うには少々幼すぎるか)
 「あ、今失礼な事考えませんでしたか?」
 そう言って彼女は頬を膨らませた。
その仕草も幼さに拍車を掛けているのだが、本人に自覚は無いらしい。
 「どうかしたのか?その様な慣れぬ言葉使いをするとは」
 「無視しないでくださいよ。
  いえ、まぁ他の兵達の手前、あんまりいつも通りだと示しが付かないんじゃないかなぁと思って
  ……思いまして」
 最後だけ僅かに訂正するが、
既に二言目の時点でその目論見は破綻しているのはどうかと思う。
 「別に構わんだろう、其に今更直した所で無駄だと思うが。
  到着するまでに散々普段の口調で話し掛けていたんだからな」
その言葉に背後にいた数人の兵が頷きと苦笑を返す。
 「まぁ、其もそうさね。第一あんな喋り方してたら息苦しくて窒息しちゃうのさ。
  あ、せっかくだし昔みたいにミコトお爺ちゃん、って呼んだ方が良かったりして?」
 口調を戻した途端、ニヤニヤと音が聞こえてきそうな笑みを向ける。
先程見せた聖女の様な神々しさは何処へ行ったのか、
今目の前に居るのは悪戯を思い付いた子供にしか見えない。
 ミア・ランバード。
連合軍第三大隊付き参謀という肩書を持った将であり列記とした成人女性でもある。
普段は悪戯好きで無邪気な見た目通りの少女の様に振舞っているが、
胸の奥に冷徹さ・残忍さを孕んだ激情家という一面を秘めている。
 無垢な見た目からは想像出来ない程強大な魔力を持ち、
掃討戦や殲滅戦に置ける戦いの苛烈さと捕虜への容赦無き扱いを見た兵卒には
『白姫』の異名で恐れられている。
ごほん、と咳払いをして真面目な顔付きになったミアは森へ目を向ける。
 「ミコト様、恐らく竜族は既に撤退の準備を始めていると思うのさ。
  無理な遠征で疲れたこっちの動きを止めて陣を張った所でもう一回攻めてくるのが
  狙いなんじゃないかな」
 「確かに此方は疲労も溜まっており勝利の後という最も油断しがちな所を狙うというのは
  兵法に適って はいるが、態々地の利を捨ててまで取る策か?」
当然の疑問にミアは頷きを一つ返す。
 「こっちを殲滅する、って考えたら可笑しな話さね。でも、相手の狙いは違うんじゃないかな?」
 「此方に勝つつもりでは無いのか?」
 「時間稼ぎ、って考えたら解る動きではあるんだけど
  ……でも時間稼ぎをする理由が全く以って不明なのさ。
  多分森を抜けてロウクス辺りにでも下がる腹積もりなんだろうけど、
  其処から攻め上がるくらいならこのまま森に陣を敷いて迎え撃つ方が楽な筈なんだけどねぇ。
  向こうがその状況で取る策でと有効なものがあるとしたら援軍による挟撃なんだろうけど、
  森からこっちには人間の土地しか無いし、北は魔族領だけど国境までは距離があるし、
  魔族の裏切りがあるにしても時期が妥当じゃないし。
  何をするつもりなのかさっぱりなのさ」
 若干舌足らずな言葉と、むぅと首を傾げる姿は年端の行かぬ童女のようだ。
だが敵陣を読み抜く洞察力と予想される動きを並べたてるだけの想像力は
軍随一と言っても過言では無い。
その彼女が、思惑はさて置き竜族に初戦を得るつもりは無いと読んだ。
 ならば此方は相手の動きを利用しつつ、主導権を此方が握る形に持っていく。
背後へと振り向きいい加減焦れて来た兵達を満足げに見やり、
彼は腰に提げていた両手斧を雄々しく掲げた。
 「待たせたな、ヒヨッコ共!これより我等は竜族を打ち破る。
  奴等に祖国の土は踏ません、今この場で叩き伏せてやれ!」
喉が破れんばかりに上げられた声が地を、風を揺らす。
 「第一から第四部隊、前へ!車輪の陣で竜族へ初撃を与えてやれ!」
 おぉ、と高く声を飛ばし前面の部隊が右端から順に土煙を巻き上げながら駆けて行く。
馬上で槍を構えながら、しかし一斉にでは無く片側から、其も少人数毎に攻め上がる陣形に
正面に対峙する竜族は怪訝な表情を浮かべる。
其処へ敵陣の後方から良く通る澄んだ女の声が飛んだ。
 「駆動隊、人化の術を解き攻撃に備えろ!相手の狙いは接撃では無い、投擲による面制圧だ!」
 その言葉にやや焦りを見せながら竜本来の姿へと戻る竜族。
 「だが遅い。攻撃を開始せよ!」
 ミコトの号令と共に先鋒の騎兵四十人程が一斉に手にした槍を投擲する。
竜化したものの反応が間に合わず比較的柔らかい腹部に槍を受け数人の竜族が倒れる。
すかさず後ろの竜族が庇う様に前へ飛び出し、倒れた竜族を陣の後方へ転移術を用いて救出する。
 「まだ攻撃は止んでいない、気を抜くな!」
 再び敵陣の後方から声が飛ぶ。
 どうやら竜族は個々の力量に長ける分、陣形や戦術に明るい者は一部に限られるようだ。
ならば其処に付け入る隙がある。
間髪入れず走り込んだ騎兵が槍を投げ入れる。
攻撃を終えた騎兵は此方の陣の手前まで戻り、
味方から新たな投げ槍を受け取ると再び部隊の後ろに付く。
円環の様相を呈した陣は宛ら車輪の様に途切れる事の無い波状攻撃を竜族に繰り出す。
この陣を相手にする時、最も犯してはならぬ愚行は守勢に回る事だ。
絶え間無い攻撃を可能にする性質上、一度受け手に回ると相手の馬が動かなくなるのを待つか、
此方の攻撃を止める程の援護射撃が必要になる。
 「よし、四方の陣にて反撃に備えよ!第五、第六部隊前へ!
  第七から第十部隊は両翼より回り込み包囲せよ!」
 「教導隊、前へ!術式を展開しつつ駆動隊の援護に回れ!」
  待機していた二部隊四百人――
一部隊に付き二百人の兵と馬――が攻撃を終えた部隊と入れ替わり前へ出る。
 また竜族も呼応する様に術師が魔力に依る壁を展開させながら前面に出る。
同時に竜歩兵は部隊を左右へ分け術師の射線を確保しつつ此方へと距離を詰める。
更に左右へ展開したそれぞれ二部隊が長弓を手に竜族の動きを牽制しつつ中央へ封じ込めに掛かる。
 新たに前に出た部隊は敵陣の近くへ寄ると騎馬を戻し、五十人ずつ大盾を構えながら前進を始める。
数拍遅れて森の中から氷の矢が雨となって降り注ぐ。
が、其等は大盾に阻まれ誰一人傷付ける事無く砕け散る。
一通り防ぎ切った後、大盾同士の合間に僅かな隙間を開け其処から十字弓による射撃を行う。
大半の矢は魔力壁に阻まれるが、数本貫通して来た矢が竜族の鱗を貫き鮮血を飛び散らせる。
 十字弓は通常の弓と違い、横倒しの形で矢を放つ特殊な弓だ。
弦を引く為の懸刀が中折れ式になっている台座と連動しており、
弓の扱いに習熟していない兵にも扱える小型の弓だ。
取り回し易く鉄の鎧程度なら貫通出来る威力を持つが、
射程が相応に短い為ある程度接近しなければならない。
その為弓兵として運用するには射程距離の短さが、
尖兵として運用するには次の攻撃までの遅延が枷となる。
この様に扱いにくい十字弓兵だが、制圧力に乏しい大盾兵と組み合わせる事で
対魔術兵並びに対長弓兵戦力として効果的な運用が期待出来る。
 氷の矢による攻撃は、一度に放たれる量は多いがその分次の攻撃までが長く
数瞬空白の時間が生まれる。
その隙に此方は横一列に並んだ大盾から十字弓を斉射する。
徐々にではあるが飛び交う氷の矢の数が減り、魔力壁の強化と維持に回る竜術師が増え始めた。
左右から長弓で抑え込まれた両翼は後進を余儀無くされ竜族は潰れた扇形の陣形へと変形させられていた。
 「前線の部隊は森の入口へ後退しろ!教導隊は森の中まで下がれ!」
 数度目の命でミコトは竜族の指揮官を見付けた。
未だ人化の術を解いていない、緑銀の髪を動き易いよう後ろで束ねた長身の女性。
戦線の後方中央部で術師を補佐しつつ両翼の歩兵に伝令を向かわせている。
同じく其を認めたミアが訝しげに首を捻る。
 「どうやらあの娘が戦術指揮官みたいさね」
 「この戦場に例の道士は居らぬのか?」
 「今までの戦場での動きから考えたら、間違い無く先陣切って暴れてそうなんだけどねぇ。
 魔族のお嬢ちゃんに受けた傷が余程痛むのか、或いは向こうに残ったのか…
 …まぁどっちにしたって今居ないんなら関係無いのさ。
 このまま森の中まで押し込んでやればいいさね」
 「よし、第一から第四部隊、長弓にて追撃を開始せよ!」
  その声で投げ槍から長弓に持ち替えていた騎兵隊が再び戦場へ舞い戻り、
馬を乗り捨てると一斉に矢を射掛ける。
上空に黒点が生まれ、碧空を覆う布となり、雨となって降り注ぐ。
数百の衝撃が魔力壁を揺らし亀裂を入れる。
あわや砕けるかと思った時、竜族の女性が両手を掲げる。
放たれた魔力は暴風となり矢を此方へと吹き飛ばした。
自らが放った矢が返ってくるのを見て一部の兵は浮足立つ。
兵を諌めようとミコトが口を開くが、其より速く童女の舌足らずな声が飛んだ。
 「狼狽えるんじゃないさ!……喝!」
 気合いの声と共に蒼く光る防御円が中空に生まれ、向かい来る矢を阻む。
すかさず彼女は前線の部隊に指示を飛ばした。
 「敵本隊への攻撃に拘る必要は無いのさ、
  森の奥側にも矢を射掛け相手を牽制する事も忘れないようにするさね!」
 その命に冷静さを取り戻した兵達は声を上げ前進を開始する。
土煙を追いながら、肩で息を吐く童女へ声を掛ける。
 「大丈夫か、ミア」
 「はっはっは。流石にあれだけの大きさの防御円を張ったのは体に堪えるねぇ、
  久し振りにお姉さん疲れちゃったよ」
 額に汗を光らせながらミアが答える。
だがその顔にはニヤニヤといやらしい笑みを張り付かせたままだ。
疲れはしたが余力はある、という事だろう。彼は直ぐに意識を眼前の戦場へと戻した。
竜族は術師部隊を下げ歩兵部隊を森の入口際へ置いた。
 漸く戦いの場を森の中へ移すようだ。
森の中で騎兵はその力を十分には発揮出来ない。
地を駆ける蹄は足元を巡る根が機動力を殺し、馬上で振るう武器は頭上に張り出した枝が動きを阻む。
此方が攻撃の手を休めれば良し、追って来たなら動きの鈍った所を確実に仕留めるつもりなのだろう。
だが、其は騎兵を相手にした場合だ。
 「長弓兵、大盾兵は兵装を剣兵の物へ変えろ!」
 その言葉に長弓兵は騎馬を此方へと戻し腰に提げた剣を抜き放ち、
大盾兵は手にした大盾を投げ捨て、大盾の裏に収めていた戦斧を取り出す。
その姿を見た竜族に動揺が走る。此方を騎兵部隊であると決めて掛かっていたのだろう。
騎馬を用いたのはあくまで戦術移動の為で、ミコトの率いる部隊は騎馬の扱いに長けた歩兵部隊なのだ。
前面の剣兵は凡そ六部隊、側面に援護射撃を続ける長弓兵が四部隊。
後方に待機している予備兵力が五部隊と、此方にはまだ余力がある。
このまま押し切れぬ相手では無い。
勝利を確信した彼は右手の戦斧を振り上げ天高く鬨を上げた。
 「全軍掛かれ!今此処で竜族の命運を断ち切るのだ!」
 「悪いが、そうは行かぬな」
 静かに響いた声に勝鬨を上げていた兵達が一様に静まり返る。
否、此方の兵達だけでは無く竜族も動きを止めていた。
水晶を弾いた様な透き通った声。
決して声量が大きい訳では無いその声はこの戦場に立つ者に等しく届いていた。
 「同胞達よ、良く耐えた。此処からは我等竜族による華々しい攻撃の時間と洒落込もうではないか」
 その声に呼応し、此方の両翼を抑え込む様にして新たな竜族が姿を見せる。
伏兵かと思ったが竜族の足元に光る紋様が其を否定している。
 「転移陣か!」
 「御名答」
 次の声は背後から聴こえて来た。
 振り向くと陣の後方で、漆黒の術衣を纏った青年が銀の髪を風に揺らしながら此方に微笑んでいた。
正確には横の童女へ、だったが。
視線を受け、忌々しげにミアが青年の名を呼ぶ。
 「ヴィノ・ユーノクライン……!」
 「ふむ、幼女にまで名前を覚えられるとは光栄な事だ。
  ささやかだがお礼に一つ夢を見せると約束しよう。悪夢だが」
 青年の足元に方陣が浮かび、青年は此方の陣の更に後方へ転移した。
其と同時に背後で驚く声が聞こえる。
振り向かなくとも何が起きたかは直ぐ解った。
森の入口に布陣していた竜族の歩兵部隊が此方の陣の後方に出現したのだ。
恐らくは兵の増員も行われたのだろう、二千を下らぬ数の竜族が此方を取り囲んでいる。
一瞬の内に、包囲していた筈の連合軍は逆に包囲されていた。


 「守備隊は三列横隊に布陣、敵を通さず押し込め。
  駆動隊は部隊を二つに分け、前面の部隊は兵士を蹴散らしつつ敵将を狙え。
  後面の部隊は討ち漏らした兵士を確実に仕留めつつ徐々に包囲陣を狭めよ。
  教導隊は待機、森の中へ逃げ込まれぬよう魔力壁を展開。
  攻撃は他の部隊に任せ、突破されぬ事だけを考えろ」
 各部隊に指示を飛ばし、天高く拳を突き上げた。
 「進め、同胞達よ!此度の戦いに遠慮や手心を加える必要は無い、
  思うままに砕き、叩き潰し、蹂躙せよ!
  奴等に、大地に、太陽に、我等が力を見せ付けてやるといい!」
 『ぉぉおおおおおおお……!』
 放たれた声は圧を伴い、連合軍の騎馬の大半を怯えさせる。
落馬する者は居なかったが、騎馬は明らかに騎手の言う事を聞いていない。
騎兵は止む無く騎馬を降り、歩兵用の装備を手に取った。
前線とは違い陣の後方には多数の騎兵が待機していた。
其処へ部隊を出現させ、騎馬を混乱に陥れた。
 この包囲を抜け出し撤退するには、後方の騎馬部隊から順に離脱を始めるのが上策だ。
しかし騎馬は逃げ惑うばかりでその機能を果たしておらず、
此方の部隊と相手方の部隊の間にもう一つ壁を造っていた。
 陣を突破する為の騎馬が逆に自らを抑え込む檻となっている。
駆動隊の面々は歩兵を叩き伏せつつ、時折錯乱した騎馬を追い立て相手の陣へと突撃させる。
数人の兵士が騎馬に跳ね飛ばされ、地に転がった所へ更に別の騎馬が兵士の上を駆け抜ける。
土煙が薄くなった時には、もう兵士は物言わぬ肉塊へと化していた。
向かい来る騎馬に陣形を乱されながら徐々に押されていく連合軍。
恐慌状態へ陥ろうかという時、魔力を含んだ雨が騎馬へと降り注ぐ。
雨に打たれた騎馬は口の端から赤い泡を噴きながら地に伏せる。
 「情けない姿を見せるんじゃないさ!敵が現れたってんなら突破するまでさね!」
 甘く舌足らずな、しかし果敢な声が上がり兵士達は一応の落ち着きを取り戻した。
手に提げた剣の重みを思い出したのか、駆動隊と交戦を始める。
馬肉の足場を越えながら、先程の幼女への認識を改める。
 (言葉に魔力を乗せ鼓舞に用いるか。あの幼女、術師として相当な力量を持っているようだな)
 だが其は言葉の届く範囲にしか効力を発揮せず、前線の部隊は混迷の中にあった。
正常な判断を下せなくなった軍勢が取る行動は
無茶な突撃で命を散らすか、無様に逃げ惑い戦列を離れるかの二つ。
彼等は後者を選択した。
  森だ、森の中へ退け!」
 遠くで叫ぶ声が聞こえ、波打つように兵士達が移動を開始する。
老将軍や数人の将が何とか纏めようとしているが、一度流された者が正気に戻るにはまだ時間が掛かる。
守備隊と交戦していた三部隊が森の方へと転進を始めた。
森に布陣しているのは魔力壁を構成する教導隊は五百人程。決して破れない数では無い。
人間同士の戦いであれば、少なくとも下策では無かった。
 「読みが甘いな。義勇隊、攻撃を開始せよ!」
 我の声が響き渡るのと同時、森の中から幾つもの影が飛んだ。
影は森へと走る兵士達へ降り注ぎ、その身を大地へと(はりつけ)た。
予想だにしない攻撃に前線の混乱は更に高まる。
 「なっ……禍人(まがびと)≠セ、禍人≠ェ居るぞ!」
 兵士の一人が叫ぶ様に声を張り上げる。
その視線の先、小柄な人影が幾つも見える。
青々と生い茂る木々の葉より瑞々しく鮮やかな翠色の長髪、小麦色に焼けた健康的な肌、
小さいながらもしっかりと肉の付いた艶やかな体躯。
何よりも目を引くのは、どの宝石よりも美しく輝く琥珀色の瞳。
その双眸は人の其とは違い、猫科の動物を思わせる程に大きい。
体には麻や綿から作られた上下が一体となった薄手の服を纏い、
足には葦の茎を編んで作られた涼しげな靴を履いている。
そして手には古木を加工して作られた簡素な弓が握られていた。
見目麗しい容姿の少女が弓を構えている姿は、時を忘れてしまう程に美しく扇情的だ。
だが連合軍の兵士――其と幾人かの若い竜は恐怖に似た感情を抱いた様だ。
 原因は少女達の容姿にあった。
百人を超える少女の姿形が、全く同じなのだ。
人は外見に差異の無い人を三体以上目にした時、他の人との区別が付かなくなり脳に混乱が生じ、
その混乱を恐怖と感じる事がある。
その様な他者との区別が付かない少女が百人以上、
殺気を込めた視線を向けてくるのだから恐怖を感じる事は当然とも言える。
 そして精神が許容出来る量を越えた恐怖を得た者は一様に行動を止める。
其は生物として正しい反応ではあるが、戦場に立つ者としては致命的な反応だった。
古木から切り出された簡素な矢が空を(はし)る。
ある者は眼に、ある者は心臓に空洞を開け倒れ込む。
断末魔を上げる間も無く命を散らす味方の姿に新たな恐怖が生まれ、
前線の部隊は最早烏合の衆と化していた。
 (しかし禍人とは酷い名を付けたものだな)
 嘆息と共に視線を森へと向ける。
 彼女達が特異と評されるのは、その人を越えた美しさ・優雅さ・麗しさに限られるべきだ、と思う。
彼女達の容姿が同じであるのは、母の胎内に居る間に何らかの理由で自身の魔力が変質した為だ。
変質した魔力は胎児の容姿にも影響を及ぼし、先に上げた身体的特徴を付与する。
加えて変質した魔力は必ず同じ魔力構素を形成する為に、産まれた赤子は皆同じ容姿を持つのだ。
そして、産まれる赤子は必ず女児であった。
 嘗ては神託を受ける巫女として扱われていたが、
矢張り人間に異質な存在を許容するだけの寛容さは無かったらしく、
同じ人間でありながらも此処数百年の間は迫害を受けていた。
産まれた時は忌み子と呼ばれ、遠くの山中へ捨てられる。
直接手を下せば禍が降り掛かると信じられている為、産まれて直ぐに殺される事は無い。
だが不思議な事に、彼女達は自然からの寵愛を受け何不自由無く森の中で生活する事が出来ていた。
 また、彼女達は不老である。
十歳前後の姿までは成長するのだがその後は成長が止まり、
外的要因で死ぬまで一生をそのままの姿で過ごす。
その為、彼女達は魔族よりも長命である。
だが彼女達が――森に住む人口が二百人を超えるという事は無かった。
昔数えた時から変わらずきっかり百八人。減る事はあっても、百八人から増えるという事は無かった。
彼女達の存命中に新たな少女が産まれる事は無く、誰かがその生を終えた時に、
まるで生まれ変わる様にして新たな少女が生を受ける。
そうして、森の中には常に百八人の彼女達が住む様になっていた。
 「ふむ、余り呆けても居られぬか」
気付けば数人の兵士が剣先を此方に向けていた。
 (同胞達を鼓舞しておきながら自身は敵陣の中で呆ける、か。喜劇の主人公にでもなった気分だな)
 鈍く光る鋼の剣を構えながら此方に駆ける兵士。
上段から振り下ろされた切っ先を一歩踏み出す事で避ける。
擦れ違い様、逆手に持った懐刀を兵士の延髄に突き立てる。
其方を見やる事無く再び歩き出すと、背後で肉塊が倒れ込む音が聞こえた。
 「この化け物め!」
 叫びながら別の兵士が落ちていた鉄槍を此方に投げ付ける。
 「狙いが甘い。
  この距離で投擲するのであれば上段で構え相手の腰か太股へ向かう様に意識するといい。
  無理に頭や胴体を狙っても当たる事は稀だ」
 伸ばした左手で通り過ぎた鉄槍の石突きを掴み半月を描く様に回し、
持ち替えた右手で下段から投擲する。
胸を貫かれた兵士は石突きに体を引かれ、鉄槍と共に宙を飛び背後の味方と激突した。
猶も勢いを失わない鉄槍は更にもう一人を巻き込み、その身に三人の死体を乗せて漸く止まった。
 「おおおおおおぉぉ!」
 気合いを込めた斬撃を繰り出す剣兵。
やや大袈裟なその動きに隠れる様にして十字弓を引き絞る弓兵。
恐らくは同じ戦場を何度も駆け巡ったのであろう連携の取れた動きを見せる兵士二人に敬意を表し、
少しばかり戯れてみる事にした。
 「面白いものを見せてやろう」
 右手の懐刀で斬撃を受け止め如何にも力が拮抗している風に見せ、
突然腕を引いて見せる。
突然支えを失った剣は此方の右肘を掠めながら滑り落ち、飛んで来た矢を弾いた。
 「なっ!」
 剣兵は目を見開く。自らの攻撃を利用し仲間の攻撃を阻害させた此方の技量に驚きを隠せない。
左手に持ち替えた懐刀を剣兵の首へ突き立て、その体を蹴り飛ばす。
空いた右手で落ちる剣を受け止め、弧を描く様に体を一回転させる。
剣先に軽い衝撃が走り刀身に亀裂が入る。
 「強度不足だな。いや、人間が扱うのなら是で充分か」
 剣を投げ捨てるのと弓兵が倒れ込むのは同時。
先程の衝撃は放たれた矢を打ち返した時のもの。
自らが放った矢に自身の喉を貫かれ、其処から鮮血を迸らせながら弓兵は絶命した。
今の動きを見て猶向かい来る勇気のある者は居なかった。
多少血肉で歩きにくくなった足元に気を配りながら先を目指す。
戦場を往くというより街中を練り歩く様な足取り。その自然な足運びが兵士達に畏怖を与えていた。
が、意識は戦場では無く己の内へ向いていた。
 (戦場に身を置いているにも係わらず一切の高揚が無い、か。
  奴め、厄介な置き土産を残してくれたものだ)
 脳裏に浮かぶのは先程拳を交わした、大剣を繰る金の少女。
全力で相対したのは久し振りだった。
ノーヴィーやトゥーガであっても、此方が本気を出す事は無かった。
十分の一以下の力でも、他を圧倒する事は造作も無い。
その自分と互角に渡り合う少女。全力を出して応じた筈が、逆に良い様に弄ばれてしまった。
 肉弾戦に於いては向こうが数段上である事は疑い様が無い。
あの奇術――恐らくは我の知らぬ闇術――を用いずとも、姿を追えぬ事が度々あった。
少女が全力を出した時、どの様な動きをするのか。
其を考えただけで胸の奥で熱く煮え滾った魔力が溢れそうになる。
有体に言えば、中途半端な昂りを抑えられぬまま戦場へ赴いていた。
妙な、表現し難い気分を携えている内、自然と足は止まっていた。
 「此処を通す訳には行かん!」
その声に漸く意識を戦場へ戻すと、五人の兵士が前方に立ち塞がり剣先を向けていた。
 「別に構わぬよ、生きて通すか死して通すかの違いしか無いのだからな」
 「蜥蜴風情が人間様に舐めた事言ってんじゃねぇ!」
 恐らく傭兵上がりであろう男は剣を下段に構えながら此方に駆け出した。
膝を狙って振られた刃を難なく右手で掴み、そのまま後方へと払うように流した。
此方へ向けた力は柄へと逆流し、男の体を振り回す。
自らの意思とは関係無く宙へ放り出された男は、
自分の視点が一瞬で切り替わった事に思考が追い付かず呆然としている。
 「返そう。遠慮は要らぬ、受け取るといい」
 背後へ無造作に剣を放り投げる。鎧を貫く金属音が鳴り、続いて湿った激突音が響く。
同時に左手を前方に払う。
術衣の中に仕込んでいた懐刀を滑らせる様にして取り出し、指の間に挟み込む。
右肩の辺りまで伸びた左手を、今度は元の位置に戻す様に払う。
放たれた懐刀は一直線に伸び、三人の兵士の喉を突き破る。
一瞬の内に味方が倒れ、自分が最後の一人となってしまった事に驚きを隠せない兵士。
 「なっ、あ……?」
 震えを孕んだ声は高い。
明らかに自分の方へと歩みを向けた事に恐怖を感じてか、兵士の体は小刻みに震え始めた。
 (極力脅す事の無い足運びの筈だが……
  エリーゼの時といいクゥガの時といい、我の風体は其程恐ろしいのか?)
 漆黒の術衣が威圧的過ぎるのだろうか等と思考を散らしつつ、兵士へと近付く。
一歩距離を詰める毎に兵士の眼に浮かぶ震えと恐怖の色が濃くなる。
互いの手が届く距離まで近付いた時、兵士の手から剣が滑り落ちた。
武骨な兜へと手を伸ばし、兵士の頭から外す。
窮屈そうに兜の中へと押し込まれていた長い髪が、はらりと流れるように背中へ落ちた。
無理を強いた行軍で多少毛先は痛んでいるものの、艶やかと言って差し支えない黒色の髪。
兵士は女性だった。
右手で女性の顎を持ち、顔を此方に向ける。
 「う……あ……」
目を合わせた途端、女性の体から無駄な力が抜け全身の震えが止まる。
 (黒く澄んだ瞳に長く伸びた黒髪。東方の出身か)
 大陸の東方部では女性も男性と同じ様に武術を学ぶ文化がある。
地方毎の達人と呼ばれる武人に師事し一定の技量を得た者は、
国外で傭兵や軍人として生計を立てている。この女性もそうした武人の一人であろう。
そっと右手を離す。
 「あっ……」
 女性は寂しげな声を上げる。頬は上気し瞳は潤んでいた。
 ふと意識を戻し、左手の甲を体の外側へ向けて打ち振るう。
金属を打った衝撃が走り、当たった物体は飛んで来た方へ弾き返される。
ぐふっ、と呻き声の様な音が聞こえ、やや焦りを含んだ声が続いた。
 「済みません、道士殿。邪魔をするつもりは無かったんですが」
 「気にするな、アヴィル。我も少々放心していたのでな」
 視線を向けると駆動隊で一番若い紫竜、アヴィルが立ち上がった。
足元には今打ち払った兵士が転がっている。
どうやら彼が殴り飛ばした兵士が此方に飛び、数倍の速さで打ち返された兵士が命中したようだ。
 「道士殿、その娘は……?」
 彼の視線は我の背後に隠れる女性に向けられている。
既に敵意は無いと解ってはいるが、どう扱うべきか決め倦ねているのだろう。
 「済まないがこの娘を輸送隊に預けてはくれまいか?我の計らいと言えば通じるだろう」
 「は、はぁ……構いませんが」
 「あぁ、先程も言ったが気にするな。厄介払いや八つ当たりで頼んでいる訳では無い」
 彼の戸惑いに的外れな答えを態と与え、女性を彼の横に立たせる。
女性は不安そうな瞳を向けていたが、微笑みを返すと大人しく従った。
右手に魔力を込め、術式を中空に組み上げる。
二人の体が輝いたかと思うと、次の瞬間には足元の転移陣を残し消え去っていた。
 その様子にふむ、と頷きを一つ返し再び足を進める。
 道草を食っている合間に前線は押し上げられていたようで、
駆動隊の最後方で指揮をしていた筈の老竜が横に立っていた。
目尻には皺が寄り頬肉はやや垂れ下がり気味だ。
人化の術を解いているのだが腰は曲がったままで、顔の高さは我とそう変わらない位置にある。
 「ほっほっほ、相変わらず気の多い事で。その様子ではまた妹君が気を揉む事になりますぞ?」
 「ヴァレンティン、余り意地の悪い事を言わないでくれ。
  若い竜の間で我が好色な竜だと評判なのだぞ?」
 「いやはや、是は異な事を。
  儂よりも永い時を生きながら、未だ衰える事を知らぬ盛んな貴方を評するには
  ぴったりの言葉ではありませぬか」
 楽しそうに笑い声を上げる老竜に苦笑いを返す。
確かに原因を作っているのは他ならぬ自分自身なのだから余り強い事も言えず、
良い様にからかわれている。
 「まぁ老い先の短い年寄りの数少ない楽しみですからのぅ、勘弁してやって下さらぬか?」
 「良い趣味だな、ヴァレンティン」
 ほっほっほ、と心底楽しそうに彼は嫌味を受け止める。
 「しかしあれ程共に居る所を見ている筈なのに、一向に妹君の姿が思い出せませんなぁ。
  相対したその瞬間は確かに認識出来てはおりますが、
  直接視認出来ていない時は記憶に霞が掛かった様にぼんやりとしか思い出せませぬ」
 「……何時気付いた?」
 問い掛けには答えず、老竜は眼を細めて此方を見ている。
其処に一切の疑念や好奇は浮かんでいなかった。
慈しみに似た、柔らかな感情。
老竜の眼に浮かぶ其が、記憶の中にある何時か見た情景と重なって見えた。
 (有難くも厄介なのだな、友という存在は)
溜息を一つ吐くと老竜は楽しそうに声を上げた。
 「貴方が溜息を吐くとは、矢張り長生きはするものですな」
 「どうもヴァレンティンは我を誤解している様だ。我にも悩みくらいはあるものだ」
 「解っておりますよ。貴方が考えている事も、望んでいる事も」
 「その話は後だ、古き友よ」
 老竜の話を遮り、意識を前方に向ける。
突如飛んで来た強大な殺気に導かれる様に足を進める。
兵士の殆どは倒れ、遠方まで見渡せる程に戦況は傾いていた。
連合軍はほぼ壊滅し数人の将に率いられた小隊が僅かに抵抗の素振りを見せてはいたが、
戦闘は終結したと言っていい。
だが、とある一角に於いて戦闘は猶も継続していた。
駆動隊の前面、戦斧を手に鬼神の如き戦いを見せる将が居る。
 「あれは……先程の老将か?」
 頬に深く刻まれた皴、やや伸びた白い髭。齢七十を越えようかという風体にも係わらず、
精悍な顔付きは老いというものを感じさせない。
幼女を乗せた白馬を庇いつつ、文字通り血路を開きながら此方へと向かってくる。
死者は出ていない様だが、その強さに誰も手が付けられず包囲を突破されつつあった。
 「駆動隊、その老将の包囲を解け!
  負傷者の救助と手当てに回り、リィヴィィの下で別命あるまで待機せよ!」
 我の声に同胞達は道を開け、一人また一人とこの場を離れて行く。
若い竜が多いとはいえ、流石に相手との力量差が解ったのだろう。
多少の戸惑いはあれど、皆異議は無いようだ。
老将は数人の護衛兵を幼女の周囲へ置き、しっかりとした足取りで我の正面に立った。
黒い双眸が此方を射抜く様に向けられる。
 「竜族の道士ヴィノ・ユーノクライン。立ち塞がるなら切り捨てる」
 「邪魔はせぬよ。一つ、頼まれてはくれまいか?」
 訝しげに顔を歪める老将に折り畳んだ紙を見せる。
簡単な術符で封を施せるようになっている、一般的な手紙だ。
 「其方の将である奄巫に『保護』されている少女がいる筈だ。
  その少女にこれを渡して欲しいのだよ。そう、この手紙を」
 「手紙、だと?」
 老将は戦斧を下段に構え警戒を解かず、此方の挙動に注意を払う。
視線を手紙へ向けながらも全身に漲る殺気は片時も我の姿を離さない。
 (是程までに豪胆な者が人族に居ようとは、まだまだ世界は広いものだ)
クク、と喉を鳴らし老将へ左手を伸ばす。
 「ああ、手紙だ。中を検めてくれても構わぬよ」
 数歩踏み出せば受け取れる距離に在って、老将は動こうとはしない。
我の意図を量り兼ねているのか、軽率に行動を起こそうとはしない。
黙して動く気配の無い彼に少しばかり情報を与える事にした。
 「騙し討ち等はせぬよ。その必要も無いのでな」
 言い終わるのと同時、左足の踵で地面を踏み抜く。
上半身を揺らさず目前へ迫り懐刀の柄を老将の頸動脈へ押し当てる。
老将が此方の動きに反応を返したのはその後。
 「何?」
彼が咄嗟に身構えるより速く後方に跳び、先程の位置へ戻る。
 (有効ではないか、この移動術。矢張り奴の実力は底が知れぬな)
再び金の少女へ向き始めた思考を強引に戻し、老将へ意識を向ける。
 「――この通り、貴殿を殺す事は非常に容易い。
  ならばこの場で態々裏をかこうと画策する、というつもりは無いと理解して貰えるかね?」
 その言葉の意味を理解し反応出来るようになったのは更に数瞬の後。
彼の瞳に驚愕と焦燥の色が浮かぶ。
だが流石は人族の将。一瞬で意識を切り替えると再び殺気を漲らせた。
 「見逃す代わりに伝令の真似事をしろ、と?」
 「其は違うな、老将。我は元よりこの場で貴殿を殺すつもりは無い。
  仮令(たとえ)貴殿が此方の頼みを断ったとしてもな」
 如何いう事だ、と睨み付ける様に彼が視線を送る。
戦場に於いて敵将を逃す理由は大きく分けて三つ。
即ち『上の者』が結んだ約定の中に将の解放が定められているか、
敵将を逃す事で自軍の力を示し後の協定を有利に運ぼうとするか、
其とも敵将と懇意にある者が其を逃すか。
こ の戦争が始まって以来、相手方と言を交わす場が設けられた事は一度も無い。
人族に於いては主だった将も交戦を支持している為、
穏健派が約定を結ぼうとも何ら効力を持つものとは成り得ない。
 老将は視線を背後の幼女へ向ける。
魔力の殆どを使い果たしたらしく、顔には疲労の色が濃く出ている。
やや意識も混濁しつつある様に見受けられるが、彼の意図を理解すると気怠そうに言った。
 「私に竜の知り合いは居ないさね」
 ならば此方の生還を利用する腹積もりか、と彼は苦い表情で口を開く。
確かに連合軍はほぼ全滅し生き残った者は数える程しか居ない。
其等の者さえ態々見逃そうと言うのだから、対外的な宣伝効果は相当なものだろう。
 (そう思わせておいた方が何かと動き易いかも知れぬな)
 老将は表情を戻し、更なる疑問を発した。
 「しかし、何故貴様が奄巫の名を知っている?」
 その問いに我は笑みを浮かべる。成程、この将頭の回転も早いらしい。
先程我は言った。奄巫に保護されている少女に手紙を渡して欲しい、と。
 奄巫は連合軍の中でも存在を余り知られていない。
穏健派の智将であるフォウ・バルガロックと行動を共にする少女で、
戦場に出る事はあっても後方での指揮が主な為戦力は未知数、
将に献策する事も無い為各部隊長とも付き合いが薄く、
最近では新顔の軍師付きとなったらしく姿を見る事も少ないという謎の多い将だ。
その様な余り情報の入って来ない将を何故我が知っているのか。
更には、何故その将が少女を保護したという情報を持っているのか。
恐らく彼は間者を疑うだろう。或いは奄巫が竜族と通じている可能性もあると考えるのが普通だ。
彼女が秘密裏に接触し竜族に情報を漏らしているのでは無いか、と。
 「いんや、其は無いさね」
 彼の背後から声が上がる。
幼女が疲労に顔を歪ませながら此方を見ていた。
彼が何を考えていたのか気配で察したのだろう。
 「彼女の身辺は個人的に調査しているんだけど、一度たりとも其らしい動きは見せなかったって話さ。
  勿論『飛鳥』の方も散々調べたけど、埃一つ出てきやしなかったさ」
ふむ、と頷きを幼女に返し認識を改める事にした。
 (この幼女、只の幼女では無いな)
 この場で疑念が上がるより早く、彼女は奴等二人を何らかの理由で疑っていたのだ。
我との因果には辿り付けずとも、その並々ならぬ嗅覚には目を見張るものがある。
遠くない未来、厄介な存在になるかも知れぬな、と思う。
幼女は我の左手、まだ封のされていない手紙へ視線を向ける。
 「その手紙、見た目は符術しか付いていない様だけど、果たして信じていいものなのかねぇ?」
 「先に言ったであろう?中を検めてくれても構わぬ、と」
 「……手紙を此方に」
 左手首を軽く撓らせ、指先で押し出す様に手紙を放つ。
弧を描く様に飛ぶ手紙はパシッと乾いた音を立て、幼女の手に収まる。
暫く字面を追っていたが、読み終えると其を折り畳み老将へ差し出した。
 「内容に不審な所は無かったのさ。……代わりにもっと厄介な事は書いてあったんだけどねぇ」
吐き捨てる様に顔を顰め、次の句を継いだ。
 「その手紙はトトク村の少女へ宛てたものなのさ」
 「トトク村だと?」
 老将は目を見開き、受け取った手紙へ視線を落とす。
トトク村は人族と竜族の領土の際に在った村の名前だ。
その村が――理由については諸説あるが――壊滅した事が、此度の大戦の原因だ。
生き残りはおらず、其故竜族により焼き払われたと人族が主張した事で両種族間の対立が激化したのだ。
老将は是までに紡がれた言葉の意味を理解し、重々しく口を開く。
 「場合によっては強硬派が口封じに走るかも知れんな」
 「そう言う事だ。
  直接護衛に回って貰おうとまでは望まぬが、頭の片隅にでも置いてくれれば其でいい」
 無論、是等は全て方便だ。
だが信じる者にとってはどの様な内容であろうとも、それが真実となる。
 「だが、何故貴様がその少女を知っている。そして彼女が奄巫の元に居るという事も」
 「存外優秀なのだよ。我等竜族の影≠ニいう奴は」
 不敵な笑みを浮かべ左手を上げる。
会話の合間に張り巡らせて置いた転移術式が付近に展開し、魔力を注がれた空間が紫銀に淡く輝く。
 「余り答えを求め過ぎるのも如何かとは思うぞ?
  自らの内に秘められる以上の知識は心を蝕む。
  必要があればその都度必要な分だけ知識を得る、是が長生きの秘訣だよ老将」
 クク、と喉が鳴った。誰よりも永い時を生きる我自身が言うのだから間違いは無いだろう。
もう言葉を交わす必要は無いとばかりに、術式の展開を終える。
背後で幼女が解呪術式を唱えるが、遅い。
 「では戦場で会おう、老将」
 紫銀の輝きが増し視界が白く染まる。
眩い光と共に浮遊感が彼等を包み、術式を駆け巡る魔力の流れが大気を引き攣らせる。
 「竜族の道士、此度の勝利は貴様に預ける。だが次はこうは行かん!」
 叫ぶ様に彼が言い放つと同時、膨れ上がった光が弾け転移は完了した。
残っていた人族の将も序でに転移で飛ばした為、戦場から戦いの音は消えた。
辺りに静寂が戻り、戦場に立つ者は同胞達と援軍の少女達だけとなった。
軽く息を吸い込みつつ口伝≠フ術式を展開する。
この戦場に居る全ての者に等しく、声が届く様になった。
 「皆、勝鬨を上げろ!此度の戦、我等竜族が勝利したのだ!」


終幕――シエラ高原、黒曜の森西部・藍の泉


 「ふむ、是はまた良い場所へ傷を貰ったものだな。傷は塞がっても暫く肉は食えぬぞ?」
 「そ、そんな殺生な!何とかなりませんか道士殿!」
 「お前は肉ばかり食べ過ぎる嫌いがあるからな、
  此度の事も未熟な自分を戒める良い機会と捉え、序でに食生活も見直すといい」
 悲痛な叫びを上げる若い竜に治癒術を施し、頭上の枝に注意を払いながら立ち上がる。
先の戦いから一刻。動ける者はロウクスへと先行させ、
負傷者と救護隊、其処に義勇隊を加えた面々は
森林地帯の西部にある泉の前で休息を兼ねた応急処置を行っていた。
 義勇隊を構成する彼女達≠ノ案内されたこの泉。
藍の泉の名に相応しく水面は深い藍色を湛えており、
周囲には彼女達の住処となっている大樹が雄大に立ち並んでいる。
 大樹から伸びた枝に生い茂る葉が夏の強い日差しを遮り、心地よい温度を作り出していた。
大方の処置を終え、泉の傍に置かれた長椅子へ腰掛ける。
一ヶ所に集めた同胞達に大規模な治癒術式を展開させる方法もあったが、
どうせなら野郎の道士殿よりも女子の救護隊に治癒して貰いたいという男達の声と、
折角だからおもてなしをしたいという彼女達の声に押され、
こうして束の間の平穏を味わう事となった。
救護隊にも半々の比率で男は居るのだが、其処は気にしないらしい。
 『食べ物、持ってきた。これ食べると、元気出る』
 『ちょっと苦い、でもガマン』
 『これ傷口に塗る、痛み無くなる。ふしぎ』
 その彼女達はと言うと、森に恵みを分けて貰い怪我に効く薬草を取ってきたり、
栄養価の高い木の実を皆に渡したりと走り回っていた。
一部の竜はその微笑ましい様子に顔を綻ばせていたり息を荒くして救護隊の女性に殴られたりしていた。
 「気持ちは解らぬでは無いが、な」
 『気持ち?』
 『ヴィノは人の気持ち、解るの?』
 何時の間にか傍に立っていた少女二人が此方を見上げていた。
両手に提げられた籠の中には紅く光る、指先程の大きさの木の実が敷き詰められている。
この森に限らず、大陸に広く分布しているナヤの木から採れ、
口の中に広がる芳醇な甘味と微かな酸味が絶妙な味わいを作り出す、
菓子の素材としても人気が高い果実だ。
 「いや、正確に言うならば感覚だな。
  今我が言った気持ちは解らぬでは無い
  という言葉は同胞達が感じた事を、我自身も同じ様に感じた≠ニ言い換える事が出来る」
 なるべく言葉を慎重に選び、誤解の無い様に伝える。
彼女達は純粋過ぎる分、言葉の裏を読むという事に余り慣れてはいない。
 『じゃあヴィノも感じた?』
 『ヴィノは何を感じたの?』
 へにゃり、と首を傾げる仕草に微笑みを返しながら答える。
 「お前達が我等の為に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる姿を見て、可愛らしい、
  愛らしいといった感情を覚えたな」
 『にへ〜』
 『にへ〜』
 甘く蕩けそうな笑みを浮かべる少女達。
我が手を伸ばすと頭を此方に差し出し上目使いに見詰めてきた。
両手が籠で塞がっていなければ抱き付いてきたのは間違い無いだろう。
 そのまま二人の頭を撫でてやる。
掌に暖かさが伝わり、さらさらと翠色の髪の毛が揺れる。
気持ち良さそうに目を細める姿は猫そのものと言っていいかも知れない。
暫く少女二人の頭を撫でていると、他の少女達も足を止め傍へ寄って来ていた。
如何やら同様に頭を撫でて貰いたいらしく、じっと此方を見詰めている。
 「道士殿、大人気じゃないですか。羨ましくて妬ましい」
 「くっ、俺にもっと男気があれば……幼女達に囲まれるのに!」
 「道士殿も罪な御方ですのう、幼子にまで毒牙を掛けるとは」
 何やら風に乗せて男達の嘆きが聞こえてくる。
最後の発言はヴァレンティンか、後で覚えておくといい。
気付けば頭を撫でていた少女二人は列の後ろに並び、別の少女達が頭を差し出していた。
その二人の頭を優しく撫でてやり、
 「待てローラ、カーラ。
  お前達二人が列の後ろに並ぶという事は、この流れ二週目が存在するのか?」
 『大丈夫、問題ない』
 『みんな、ヴィノ好き。心配いらない』
 何処かずれた返答をしながら親指を立てる少女二人。
他の少女達も頷いている為間違ったのは我の方かと錯覚してしまう。
まぁいい、と視線を前の少女二人に戻し優しく撫でてやる。
 「あぁ、憎しみで道士殿燃え尽きないかなぁ」
 「すげぇ、道士殿が幼女に手玉に取られてるぜ」
 「道士殿は案外尻に敷かれる方ですからのう。女性からしてみれば扱い易くていいのでは?」
 「よしヴァレンティン、暫く悶えているといい」
 手に余計な力を込めない様留意し、少女二人の頭を優しく撫でながら視線を奴に向ける。
――《枯渇》。
魔力を言葉に込め地に染み入る様に呟く。
言葉が大地に吸い込まれたのと間を置かずに、老竜が身を屈め激しく堰き込み始めた。
 「うぉっほ、げほっ、ぐ、ごはっ!」
 「うわぁぁっ、如何したんですヴァレンティン老士!」
 傍に居た若い竜が突然咽た彼に驚き立ち上がる。
その声に思わず少女達も振り返るが、頭を撫でられている少女二人は幸せそうに蕩け続けていた。
 「何、喉の水分を一瞬で全て奪い取ってやっただけだ。
  激しく咽るだろうが命に別条は無い、老体には堪えるだろうがな。
  さて、交代だ。次はミューラとシーラだな」
 交代を告げられた少女達は名残惜しそうに列の後ろへ進み、
名前を呼ばれた少女二人は眼を輝かせながら前に立つ。
撫でては交代し、撫でては交代し。
旧友の心無い言葉に深く傷付いていた――事にしておく――
我の心も、愛らしい少女達の御蔭で平穏を取り戻していた。
 視界の隅でピクピクと痙攣している老竜が見えるが、
あれは存外丈夫なので放っておいても平気だろう。
漸く一週目最後の少女達の番が回って来た。
 「キーラ、リエーラ。随分と待たせてしまったな」
 『いい、待つのも楽しみの一つ』
 『代わりにヴィノ、いっぱい撫でて』
 返事の代わりに頭を撫でてやる
。時折耳がぴく、と跳ねるように動くのは気分が良い証拠だ。
しかし最後まで待たせてしまった割に、皆と同じというのは芸が無いか。
ふと視線を下げると、二人は両手が空いていた。
 (そう言えば二人は薬草を直接手に持ち配っていたな)
 ふむ、と頷き両手を止める。
他の者より早く終わってしまい、二人は寂しそうに此方を見上げる。
 『わぷっ』
 『んみゅ』
 突然強く抱き寄せられた所為か、胸に埋もれる二人は妙な声を上げた。
それを見た少女達の間に動揺が走る。
 『あれ、抱っこ?抱っこ?』
 『私も抱っこされたい。どうする?』
 『最後になると、ヴィノ抱っこしてくれる?』
 『順番決める。じゃーんけーん……』
 「うわ、道士殿羨ましいなぁ!滅びればいいのに!」
 「くっそぉぉぉ!俺も幼女に取り合いされてぇぇぇ!」
 「っげっほ、がはっ、いやはや、流石ですのう、げほ」
 何やら随分と賑やかな事になっているが気にしてはいけないのだろう。
そしてヴァレンティン、まだ言うか。
両手で抱き寄せた少女達が静かな事に気付き、窒息させてしまったか、と視線を下げる。
幸せそうに微笑む少女二人と眼が合った。
微笑みを返すと恥ずかしそうに頬を染め、顔を伏せてしまう。そのまま我の胸元へ顔を押し付けると、
 『すんすん』
 『くんくん』
 「嗅ぐな」
 多少強引に引き剥がすと、満足そうに蕩けた笑みを浮かべたまま少女二人は離れて行った。
是で一週終えたか、と軽く息を吐く。と、何かが凄まじい速度で此方へと伸びて来た。
何事かと視線を向けると、表情を消したリィヴィィが我の左後方に立ち、真っ直ぐに拳を放っていた。
 (腰の入った良い突きだ。速度も重さも申し分無いが、
  何故其を我に向けているのだ?加えて……)
 理由は定かでは無いが、この拳を避ける事が出来ない。
正確に言うと、避ける事は出来るのだが避けてはいけない≠ニ本能が感じている。
見えない枷に囚われ身動きの取れない我の鳩尾に拳が伸び、
 「ぐがっ!」
 予想以上の衝撃が襲う。
押し込まれた拳が肺から全ての空気を押し出し、皮膚を伝う振動が内蔵を激しく揺らす。
前のめりになった所へ跳び上がる様にして放たれた左膝が迫る。
咄嗟に上体を起こし衝撃を逃そうとするが、
 (速い……!)
 其よりも速く膝頭が我の鼻を打ち据え、衝撃を余す所無く脳へ伝える。
つん、と顔面を強打した時特有の刺激臭を覚える我の眼に、
右足を下げ踵に全体重を乗せるリィヴィィの姿が映った。
襲い来る衝撃に備え、両腕を上げる。
が、それは逆効果だった。
 側頭部を狙い放たれた右足は有ろう事か此方に届く直前で向きを変え、
刈り取る様な動きを以て振り下ろされた。
爪先から鳩尾に喰い込み、衝撃を受け止められなかった体が宙に舞う。
口から出た音は「がっ」でも「ぐっ」でも無く「ふっ」と軽く息が漏れる様なものだった。
視点は半月を描きながら後方へと向かう。
途中見えた空は何処までも青く澄み切っていた。
が、水面が見え流石の我も動揺を覚えた。
 今肺に空気は全く残っていない。
着水の衝撃で潰れた肺が元の形へ戻ろうとしたなら、大量の水を吸い込んでしまう。
そうなれば肺は更に空気を求めるが代わりに入ってくるのはまたしても大量の水である。
不幸な事にこの泉は藍の泉なのだ。
藍の色が示す様にこの泉は非常に深い。
凡その水際に存在する浅瀬というものは存在せず、一歩踏み出せば水底まで一直線である。
水深は周囲の大樹が丸々一本沈んで猶余る程。
 (是は非常に不味い……!)
 術式を展開しようと酸欠の脳を働かせる我の眼前に何かが飛び込んできた。
一瞬、修羅かと見間違えた。
リィヴィィは聖母の様な微笑みを湛えながら、酷く冷たい声を放った。
 「沈め」
 空中で体躯を回した彼女は申し分の無い回し蹴りを腹に当てる。
空気すら漏らせぬまま、我の体は水面に打ち付けられる。
大樹程の高さまで噴き上げられた水飛沫が太陽光を反射し、
辺りに輝きを放つ。視界の端には虹も出ていた。
 「うわぁ、大丈夫ですか道士殿!ざまあみろですね!」
 「ありゃ道士殿死んだんじゃねぇか?胸がスッとしたな!」
 「いやいや、其も男の勲章ですかな?ほっほっほ」
 全ての動きを止めた我の体がゆっくりと水に沈んでいく。
体内を澄んだ水に浸食され、意識もゆっくりと沈んでいった。


 「痛いぞ、リィヴィィ」
 「喧しい。大人しく治療を受けろ、痴れ者め」
 私の放った打撃で予想以上に損傷を受けた彼の内蔵を、治癒術式で治療していく。
普段攻撃を避ける事に専念している分、彼の肉体は打たれ弱い様だ。
 『ヴィノ、打たれ弱い?』
 『強いのに弱い?』
 『ヴィノ、実は弱い?』
 心配そうに経過を見詰める彼女達だが、案外言っている事は酷い。
無垢というのは存外、残酷なものなのかも知れない。
 沈んだヴィノを引き揚げる時に『ヴィノ、意識ない』『息してない?してない?』
『人工呼吸、必要?』『ヴィノと、ちゅー?』『じゃーんけーん……』
等と妙な盛り上がりを見せる彼女達を落ち着け、腹に拳を入れ叩き起こしたのがつい先程。
 「全く、同胞の治療もそこそこに彼女達と戯れるとは……道士としての自覚が足りん」
 「そう言うな。彼女達が望んだ対価なのだからな」
 何?と訝しげな視線を向ける。
時折堰き込んでは口の端から泉の水を吐き出しながら、彼は涼しげな表情で答えた。
 「出撃前に手紙を書いたが、一通は彼女達の協力を得る為に出した。
  あの場で彼女達が現れなければ、戦況は其程までには傾かなかっただろう」
 『手紙、貰った』
 一人の少女が懐から白い紙を取り出した。
成程、彼女達に協力を求める書面だったのか。
と、其処まで考えて自分の思考が如何に可笑しなものか気付く。
 「いや、待て。手紙を出す必要はあったのか?
  彼女達の住処が此処なら直接会いに来れば良かったのだろう?」
 当然の疑問に何人かの同胞も頷く。
その疑問に答えたのはヴィノでは無く、手紙を持った少女だった。
 『これ、本当は手紙じゃない。正しくは、契約書』
 「契約書?」
 少女は私に紙を差し出した。
受け取り文面を追ってみると、大体以下の様な事が書かれていた。
 「此度の戦闘に於いて貴女方森の人≠戦列に加える。
  この対価としてヴィノ・ユーノクラインは貴女方の新たな住居を提供すると共に
  何か一つ御願いを聞き入れる事を了承する……?」
 「相当端折ったが、概ねその様な事だ」
呆れを通り越して憐れに思えてきた感情を乗せて彼を見やる。
 「あのな、道士殿。お前は契約書として最低限有するべき体裁すら知らんのか?
  何だこの御願い事≠ニは。曖昧にも程があるぞ」
 「そう言うな。その文面は彼女達が望んだのだ。
  余り硬い文章になるよりはその方がより温かみが有っていい、と」
 「……なら、いいか。其と、この森の人≠ニいうのは」
 「彼女達の呼び名だ。人間の言う禍人%凾ニいう蔑称よりは数段いいと自負している」
 珍しく彼が言葉に自信を滲ませて言う。
確かに三種族とも違った特徴を持つ彼女達を人間の突然変異≠ニするよりは
別種の新種族≠ニ捉えた方がいいのだろう。
森に住み自然と共に生きる彼女達を森の人≠ニ称するとは、中々情緒が有って良い。
ならば、と咳払いを一つ。契約書を少女に返し、彼に問い掛けた。
 「もう一通の手紙とやらは何処へ送った?」
 「あれか」
 またもや珍しい事に、今度は言い淀む彼。
それも、勿体ぶった風ではなくどう言葉を紡ぐか探している様な雰囲気を纏って。
 「まさか恋文の類ではなかろうな?」
 「ほっほっほ。異性に宛てた、という点では同じかも知れませぬなぁ」
 答えは意外な所から返ってきた。
その場に居るほぼ全員がヴィノに背を向け、背後の老竜を見る。
ヴィノは辟易した様子で老竜を諌める。
 「ヴァレンティン」
 「ほっほっほ。何、こうして茶化した方が道士殿も勢いに任せて話し易いのでは無いかと思いましてな」
 「もう少し言い方を変えてくれまいか。態々煽って如何とする」
 二人の遣り取りで、手紙の内容がそういったものでは無いと解る。
が、異性に宛てたというのは本当の様だ。
煽るだけ煽った老竜は背にした大樹に凭れ掛かり、ヴィノが話し出すのをじっと待っている。
皆の視線が自分へ戻ったのを感じ、彼は嘆息を漏らした。但し表情は変えずに。
 「あれはノーヴィーに宛てたものだ」
 それを聞いた者の反応は二つ。
相変わらず妹君には甘い、と評するのは若い竜達。
ノーヴィー?と疑問符を浮かべるのは彼女達。
若干彼を取り巻く空気は弛緩したが、私は妙な引っ掛かりを覚えていた。
 (妹君に宛てたという手紙、果たして文面通りのものなのだろうか?
  老士が御膳立てせねば口に出来ん様な事が、只妹君に宛てただけとは考えにくい。
  ……後で問い質してみるか)
 私の疑念を知ってか知らずか、彼は少女の一人から受け取ったナヤの実を美味しそうに嚥下していた。
一粒飲み込む毎に彼の魔力が増幅していくのが解る。
ナヤの実には魔力回復の効能もあるのだ。
其処でふと思い出した。
 (あの金髪の妙な女……!)
 突然襲い掛かって来たかと思えば私は眼中に無いと言い、
相対したヴィノは子細を告げず私を陣営に戻した。
何やら通じ合うものが有った様だが、だからといって全てを流して終える程私は能天気では無い。
後方から戦いを覗いてみたが、その動きは圧巻の一言に尽きた。
戦いの最中に彼から表情が消え、何度も彼を出し抜き、しかし彼女は遊んでいたのだ。
仮に彼女が本気で我等竜族に刃を向けたなら、
どの軍隊にも勝る強大な敵となる事は疑う余地が無い。
 見た所彼女は如何やら彼に好意を抱いている様子。
この際籠絡するなり手篭めにするなりして自陣へ引き込んで貰いたい。
静かに闘志の炎を燃やしながら意識を現実へ戻すと、彼は二人の少女に手を突き出されていた。
その後ろには、是また列を成した少女達が胸を躍らせながら順番を待っている。
何を、と思った矢先、二人の少女はやや無感情な声を上げた。
 『あーん』
 『あーん』
 取り敢えず手近に落ちていた小石を拾い上げ彼に向かって投擲した。
鈍い音を上げ彼の頭が沈む。
こめかみの丁度良い位置に命中した様だ。
幾分気が晴れた私も隣に座っていた少女からナヤの実を受け取り、数粒を纏めて口へ運ぶ。
豪快に咀嚼していると隣の少女が不思議そうに私を見上げ、
 『嫉妬?』
 「ぶふぅぅぅぅっ」
 盛大に噴いた。
勢い余って鼻の方へ上がったナヤの実が途中で引っ掛かり、特有の微かな酸味が激痛を呼ぶ。
思い切り堰き込む私を心配そうに見上げたまま、少女は次の句を継いだ。
 『独占欲?』
 「げほ、げほっ、ぐふっ」
 「はしたないぞリィヴィィ。もう少し落ち着いて食べぐっ」
 余計な事を言うヴィノを手近に有った拳大の石で黙らせ、呼吸を整える。
涙が薄く滲んでいるのを袖で拭う。
 「はぁ、はぁ……げほっ、いきなり何を言い出すんだ君は」
 隣の少女へ視線を向けると、少女は困った様に首を捻った。
恐らく自身の考えを的確に表す言葉が見付からないのだろう。
また何か言われる前に否定しておこうとした所へ、先程の手紙を持った少女が口を開いた。
 『微妙な乙女心』
 「乙っ……!?ち、違う!」
 予想だにしていなかった解答に思わず声が上ずってしまう。
そして乙女心という言葉に反応したのか私の周りに少女達が集まって来た。
 『大丈夫。……嫌よ嫌よも好きの内?』
 『照れ屋さん?照れ屋さん?』
 『春がきたー。夏だけど』
 『恋の季節は女の子を大胆に。……きゃー』
 望ましくない方向に盛り上がる少女達。
何だかんだ言っても、矢張りそう言った事に興味の有る年頃なのだろう。
だが出来れば標的は別の人にして欲しい所だ。
籠に残っているナヤの実を頬張りながら天を仰ぐ。
 「今日は厄日か……!」
木々の隙間から見える空は、何処までも青かった
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