第一幕『悠久の果て』


 「やはり和平は望めぬか……」
 枯れた重々しい言葉に、青年は答える。
 「今更和平を口にするか?人間は既にコルトバを陥落させ、カルカ運河を目指している。もう少し現実を見ては如何か?」
 「貴様、口の訊き方を知らぬのか!」
 別の場所から響く怒号に青年は涼しい顔で答える。
 「事実を言ったまでだ。このままでは首都シーナリアスに攻め入られるは必至。ならば人間を退ける手段を模索した方が良かろう。……それに、口の訊き方を知らぬのは貴様ではないか?『戦を知らぬは向こうも同じ、互いに疲弊し直ぐに収まる』等と妄言を吐き(ろく)に対策を講じぬまま五千もの同胞を失わせた報いはまだ償わぬのかリプソン議員?」
 その言葉に怒号の主は、ぐっと声を詰まらせる。
 「己が罪を理解したようで何より。……この戦、同胞を逃す事を最優先とするならば我が叡智(えいち)、貸しても構わぬ」
 「……しかし、そなたも戦は経験して居らぬ筈。同胞の命を背負う覚悟……そなたに有るかの?」
 「冗談が巧くなったな長老。闇と引き換えに心を失った事を知らぬ訳ではあるまい。此度の戦は人間を滅ぼすものでは無く、我等竜族が無事逃げ延びる為のもの。三万の勇士を用意した後は共にダリル半島に逃げ込めば良い」
 「分かった、そなたに任せよう。道士ヴィノ・ユーノクライン。竜族の命運……そなたに託したぞ」
 「了承した」
 踵を返し、ヴィノはそこを立ち去った。


 外に出たヴィノは息を吐く。
 見上げた空には大きな虹が輝いている。
 「兄さまっ」
 声と共に背中に軽い衝撃。
 振り返らずとも正体は判る。苦笑を漏らし、背後に声を掛ける。
 「家で待っていろと言って置いた筈だが?」
 ぶっきらぼうな物言いに拗ねたように答える声。
 「だって早く兄さまに会いたかったんだもん。私は兄さまといつでも一緒に居たいの」
 「やれやれ……。我としては兄離れして欲しいとも思うがな、ノーヴィー?」
 首だけを背後に向けそこにいる少女を見る。
 ノーヴィーは肩の辺りに頭を預け、きゅうと抱き付く。
 「いいの、私は兄さまと一緒に居るのが好きなんだから」
 ノーヴィーは隣に並ぶと腕を組んで歩きだす。
 首都シーナリアス。
 山の上に在る神殿を中心にして広がる街で、古代から伝わる書物を保管する書庫が幾つも点在する。
 閑静な環境にあり、住民の多くは自然と協和しのんびりとした生活を送っている。
 ただ、流石に今は街に緊張感に似た感覚が流れている。
 「それで兄さま、長老達は何て?」
 「元老院は当てにならぬさ。我が事に当たる型で落ち着いたがな」
 「じゃあ兄さまが戦いに……?」
 「そうなる。明朝、出立するつもりだ」
 「えっ、幾らなんでも早すぎない?」
 ノーヴィーは焦ったように言葉を紡ぐ。
 「兄さまだって用意が要るでしょ?もう少しゆっくりと準備を」
 「いや、それには及ばん。既に用意は整っている」
 「でもっ、でもっ」
 「……ノーヴィー?」
 普段と違うその様子にヴィノは訝しげに問う。
 あぅ、と顔を伏せるノーヴィーは逡巡の後、消え入りそうな声で言った。
 「だって兄さまが戦いに出たら暫くは帰って来ないんでしょ?」
 「流石に毎日帰って来る訳にもいくまい」
 「兄さまに会えないなんて、私淋しいんだもん」
 ああ、とヴィノは合点がいく。
 甘えん坊のノーヴィーの事だ、離れ離れになる事が余程嫌らしい。
 やれやれと軽く溜息を吐きノーヴィーの頭を撫でる。
 「あっ、兄さま……?」
 「全く、いつまで経っても甘えん坊だな。そんな事では嫁の貰い手が居なくなるぞ?」
 「ま、まだ考えてないよ、お嫁さんなんて……」
 そう言うノーヴィーは頬を赤らめる。
 どうやらこの類の話には慣れていないようだ。
「おーおー、真っ昼間から見せつけてくれるなぁ?傍から見てると羞恥心を置き忘れた恋人同士にしか思えんぞ」
 不意に二人に声が掛けられる。
 振り向いた先、真紅の短髪が目立つ長身の男が立っていた。
 程好く日に焼けた肌が快活さを滲ませる、快男児という表現が似合う男だ。
 「ほう、御前のような信心に疎い奴がここに来るとはな。今日は日食が見えるやも知れん」
 「出会って早々嫌味言ってんじゃねえ」
 「御互い様だと判断するが如何に?」
 ククク、と不敵な笑みを浮かべるヴィノ。
 その横でノーヴィーは顔を真っ赤にしながら男に挨拶をする。
 「こんにちは、トゥーガ。えと、こ、恋人ってやっぱり……」
 「お前ら以外にこの状況で居るとでも?おいヴィノ、嬢ちゃん認識力が低下してきたんじゃねぇか?」
 「ノーヴィー、この二足歩行する蜥蜴(とかげ)の言う事に耳を傾けてはならぬぞ?脳を鍛えるという言葉を真に受け、脳は筋肉で出来ていると勘違いした恥晒しだ」
 「それは関係ねぇてか何でお前がその事知ってやがるんだよ!」
 「喧しいぞ単細胞の集合体。言語を習得したからといって調子に乗っているのか?」
 うがーと吼えるトゥーガに対しヴィノは涼しい顔で軽口を叩いている。
 トゥーガ・ヴァジュラ。
 ヴィノが幼い頃からの悪友にして最大の理解者。
 さっぱりした性格の持ち主で細かい事には拘らない、豪胆な炎竜。少し思考が短絡的で、考える事は苦手。好きなものは酒、趣味は昼寝と、どこぞの親父かとも思うがこう見えても長老の嫡男であり、その裏表の無い性格は街でも評判である。
 「まぁ冗談はさて置き、御前がここに来るとは珍しいな」
 「あ、あっさり流しやがったな。ったく、お前に軍の全権が委ねられるだろうと思ったんだよ。で、気になって来てみりゃいちゃついてやがる。お前にはなんかないのか?こう、盛り上がり的な何かは」
 「無い」
 「即答かよっ!」
 二人のやり取りを見ていたノーヴィーはクスクスと笑い声を漏らす。
 「仲良いね、兄さまとトゥーガ」


 トゥーガと別れた後、二人は街外れにある自宅へと戻っていた。
 日も暮れ、夜中と読んで差支えない時間帯。
 家に帰ってからというもの、ノーヴィーはいつも以上にべたべたくっ付いている。
 ついさっきまでは自分が如何に心配しているかをまるで子供のように語りつくしていた。
 「……うにゅ」
 話し疲れたのか、ノーヴィーは眠たそうに眼を擦っている。
 「ノーヴィー?」
 「なぁに、兄さま」
 返事はするが眼はとろんとしている。
 (そろそろ潮時か)
 ノーヴィーを抱えて布団まで運ぶ。
 「ふえっ?あ、兄さま……?」
 「こら、暴れるな」
 布団に寝かせ、明かりを消す。
 「お休み、ノーヴィー」
 そっと部屋を後にするヴィノの耳に微かに声が届いた。
 「……兄さま……ずっと、一緒だよ……」
 「ああ、解ってる」
 小声で呟いた言葉に、ノーヴィーが笑った気がした。



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