第二幕『射手の乙女』


 カルカ運河で勝利を収めたヴィノは勢いをそのままにコルトバを攻略し、人間の交易の中心であるマルクスを制圧するとそれぞれの街や城同士が互いに連絡出来ぬように各街道を封鎖した。
 予想だにしなかった竜族の襲撃に浮足立つ人間の隙を突き、ヴィノはイア・バール・リシュメイアの地を制圧し戦線を南方へと動かした。
 そして今、南方の要所カルタナを陥落せんとする竜族がその瞬間を今か今かと待ち構えていた――。


 「ったく、敵陣を前にして休息とは道士様の考える事はわかんねぇな」
 「そう言うな。我等の目的は人間の殲滅ではなく、同族達が逃げ遂(おお)せるまでの時間稼ぎなのだからな」
 つまらなそうに愚痴るトゥーガにヴィノは苦笑を向ける。
 カルカ運河での勝利からここまで強行軍で来た。急襲の名に相応しい電撃戦を繰り広げた甲斐あって大した被害を出さずには来たが、流石に兵士達にも疲れが出始めた。
 そこでヴィノはカルタナに程近い山林の奥に拠点を構え、暫しの休息を取る事にした。幸い、今は夜。新月であるが故の深い闇が辺りを覆い、彼等竜族の姿をその深遠に隠してくれる。
 「さて、我は少しばかり陣を離れるがその間の指揮は御前に取らせる。くれぐれも――」
 「くれぐれも人間との交戦は避け、民間人に対しての攻撃行動を取るな……だろ?」
 トゥーガは苦笑しながら言葉を継ぐ。長年の付き合いであるだけに、ヴィノの考え等お見通しのようだ。
 「つーかお前はどこに行くんだよ?」
 「なに……少々確認した事が、な。では頼んだ」
 意味ありげに笑みを浮かべるヴィノに早く行ってこいと手を振り、拠点内の雑用をしていた兵士の一人を捕まえ指示を飛ばす。
 「だからその木材は向こうに置いておけって言っただろうよ?釣鐘は後で別の奴が持ってくるから、それまで角の方に転がしとけよー」
 「トゥーガさん、こっちの食料はどこに運んでおけばいいんですかぁ?」
 「ああ、それは奥の部屋に……ってオイ、つまみ食いするんじゃねぇぞ」
 てきぱきと指示を飛ばしながら、トゥーガは先程感じた違和感について考えていた。
 彼の知っているヴィノはこの程度の事で『頼んだ』等と言うような者ではない。それも労いを含んだ言い方ではなく、敢えて面倒事を押し付けた、という意味を滲ませる口調で。
 (――って事はあいつ、何か隠してやがるな)
 その時、不意に嗅ぎ慣れた臭いが鼻の奥を擽る。
 戦場を経験した者だけが感じ取れる嗅ぎ慣れた臭い。それは夜風と共に音も無く忍び寄り――
 「敵襲だっ!」
 考えるより速く、彼は動き出した。
 魔力を開放すると同時に声を上げ、陣の後方へ一気に駆け出す。彼の強大な魔力が大気を震わせ、襲撃者が普通の人間ではないと兵に悟らせる。
 既に戦闘は始まっているらしく、闇を切り裂くように激しい剣戟が鳴り響いている。
 駆け抜ける先、暗闇に光る双眸を捉えると彼は再び声を上げる。
 「相手は魔族だ!気を抜くんじゃねぇぞ!」
 鉄兜と青銅の鎧に身を包み、銀の剣を携えた魔族達が文字通り海のように連なり坂を駆け下りて来ていた。数はざっと四百。
 「へっ、上等!来いよ、片っぱしからぶん殴ってやらぁ!」
 一人の魔族に照準を定めると、右の拳に魔力を集中させる。魔族の兵士が振り向くより速く、彼の拳が胸を打ち貫く。
 兵士の鎧に当たると同時、焔が爆ぜる。
 衝撃で吹き飛んだ兵士は穿たれた鎧から血飛沫を撒き散らし、樹木の間に消えていく。
 彼は右手を翳すと、満足気に笑みを浮かべる。
 「思い付きでやってみたが上出来じゃねぇか。これなら魔術向きじゃねぇ俺でも使いこなせそうだぜ」
 魔族の兵士数人がトゥーガを取り囲む。先の攻撃で彼が並の竜族ではないと感じたのだろう。
 銀の剣を片手にじりじりと距離を詰める兵士達にニヤリと笑みを向けると、一瞬の虚を突き走り出す。それも敵陣の真っ只中へと、だ。
 「オラオラァッ!死にてぇ奴から掛かってこいや!」
 目の前の相手が剣を振り被るより先に拳を当てる。
 十分に重みの乗った拳は相手をくの字に折り曲げ、そのままの体勢で吹き飛ばす。
 その反動で体を左に捻る。避けなければ彼の胸に深々と突き刺さったであろう剣が空しく空を切り、代わりに前のめりになった兵の背に肘鉄が落ちる。
 ゴキッと骨の折れる感触が腕に響く。間髪入れず彼は上体を後ろに倒した。
 彼の首があった位置を銀の剣が通り抜けると同時、勢いよく捻りを加え右足を蹴り上げる。
 側頭部への回し蹴り。死角から飛んできたそれを避けられる筈もなく、鈍い音を残して兵の姿は闇に消えてゆく。
 「さぁ、どうした?誰か俺を止めてみろよ!」
 咆え猛るトゥーガはがしっと拳を打ち鳴らす。
 その音に紛れて微かに風が揺れる。
 「おぉう?」
 横から突き飛ばされ、二、三歩よろめく。
 風を揺らしたものが飛んで行く。自分を突き飛ばした者に視線を向けると、蒼い鱗を持った竜族の少年が立っていた。
 トゥーガやヴィノと違い、完全に人化の術を解いた竜本来の姿。右手には所持者の魔力を高める古びた杖が握られており、彼が術師である事が一目で解る。
 「後方不注意ですよ、トゥーガさん。どうやら敵さんにも腕の立つ奴がいるらしいですねぇ」
 「後ろはお前らに任せたんだよ。にしても……今のは弓兵か?」
 「少なくても弓じゃないみたいです。弓ならあんな音立てて飛ばないですからぁ」
 気の抜けたような口調ではあるが、少年の眼はそれが飛んできた方向に向けられており絶えず注意を巡らしている。
 「相変わらず耳のいい奴だなお前。まぁ、取り敢えずありがとよ」
 「継の矢は来ないみたいですよぉ。弓じゃないのでこの言い方でいいか疑問ではありますが……今のうちに暴れまわった方がいいですね」
 「おっしゃ、気を取り直して行くか」
 「じゃあ僕は他の所に行ってきます。これでも案外暇じゃないんですけどねぇ……」
 苦笑を漏らしながら少年は剣戟音の激しい方へと歩いて行った。その後ろ姿を見送りながら、トゥーガは少年が漏らした言葉に僅かばかりの悔しさを感じた。
 都合良く少年が此処に現れた理由。
 術師である彼は治癒術を専門に会得している為、本来なら陣の中央付近で怪我の手当てを行っている。
 にも拘らず先程のような事をわざわざしに来たという事は、
 「あの野郎……こうなる事が解ってやがったな」
 恐らく陣を離れる前、ヴィノが少年に言伝たのであろう。少年の類稀なる俊敏さと聴力を見込んで。
 そうした理由もトゥーガの保身ではなく、あの攻撃を放った者を探す為である可能性が高い。
 「ったくよぉ……これだからあいつと居ると退屈しねぇぜ」
 半ば諦めたように呟くと、彼は再び拳を打ち鳴らす。
 「なら精々囮役として暴れまわってやらぁ!」
 地を蹴り、敵の集団に突っ込んでいく。
 行く手を阻もうとした兵士数人を弾き飛ばし、手当たり次第に焔を上げる。
 憂さ晴らしの意味もあるのか、先程よりもより苛烈に戦場を駆け抜ける姿はまさしく竜そのもの。
 愚直ながらも豪胆な戦いぶりに恐れをなしたか、或いはただ単に手が付けられない為か、兵士が十人掛りであってもトゥーガの勢いは止まらない。
 動きの遅い者は言うまでもなく、剣で拳を受けようとする兵は剣ごと粉砕する。
 「せぁぁぁぁっ!」
 兵の一人が果敢にも彼に斬りかかる。
 彼は振り向き様に撃ち抜こうとしていた拳を止め、ニヤリと笑い上段に構え直した腕で剣を受ける。刹那、爆音と共に兵の体は灼熱の業火に焼かれながら崩れ落ちた。
 「成程、衝撃に合わせて魔力を打ち抜きゃ反撃にも使えるってか」
 腕に集中させた魔力を開放し、トゥーガは焔の闘気を身に纏う。
 業火に照らされた魔族達の顔は、どれも驚愕と恐怖に染まっている。彼等魔族の中でも、これ程の使い手はごく僅かだ。
 「こ、こいつバケモノか……!」
 誰かがそう言ったその時、山頂――魔族達がやってきた方向から甲高い笛の音が響き渡った。
 それを合図に兵士達は皆山頂へと退き上げていく。
 余りにあっさりとした、しかし足並みは整っていない退却を暫く眺めていたが、
 「んだぁ?もう撤退かよ」
 詰まらなそうに鼻を鳴らすトゥーガに背後から声が掛かる。
 「まぁまぁ、今の部隊は様子見みたいです。それにあまり長期戦になっても不利ですよぉ?」
 振り返ると少年が微笑みながら立っていた。人化の術を使っている為、姿は眼鏡を掛けた優しそうな人間の少年にしか見えない。
 「ん?また帰ってきたのかよ」
 「トゥーガさんみたいな闘士と違って僕達術師は戦いの後が忙しいですからねぇ」
 そう言いながら少年は傷付いた魔族の兵の元へ歩み寄る。
 だが兵士は竜族というのが解っているのか、怯えた様子で声を荒げる。
 「や、やめろぉ!寄るな、バケモノぉ!」
 「あぁほらほら、動かないでくださぁい。動いたら傷口が開いちゃいますよ?」
 少年は杖を兵士の傷口に翳すと、小さく祈りの呪文を唱えた。
 兵士は恐怖で目を瞑っていたが、予想していた痛みがいつまでもやって来ない事を疑問に思い、うっすらと目を開ける。
 「あ……」
 暖かな光が杖の先から溢れ出ており、少しずつではあるが腕や足の傷口が塞がっていく。
 やがて光は小さくなっていき、光が消えた時には傷は完全に癒えていた。
 「ふぅ。これで大丈夫ですけど、あんまり無理しちゃ駄目ですからね?」
 「あ、ああ……」
 敵同士であった筈の竜族に傷の手当てをされ、いまいち理解が追い付かない様子の兵士に、少年は優しく微笑みかける。
 「おじさん、民兵ですねぇ。急に戦なんかに駆り出されて大変じゃありませんでしたか?」
 「ああ……そりゃあ、まぁ……。って、なんで私が民兵だと判ったんだ?」
 兵士の問いに、少年は困ったような笑いを浮かべる。
 「ええと……なんて言えばいいのか……」
 「生きてるからだよ、オッサン」
 言い淀んでいた少年の代わりにトゥーガが答える。
 トゥーガを見て兵士は身を竦ませたが、彼はやれやれと肩を竦ませてみせる。
 「そんなに怯えんなって。取って食う訳じゃねえ」
 冗談交じりに言うが、ふっとその顔が真面目なものに変わる。
 「あんたら魔族の住む国は未だに身分制度の影響が強いんだろ?何年か前に身分制度は廃止されたが、今でも貴族の連中に平民は逆らえずにいる。だから戦なんぞに引っ張り出されたんだろ?」
 沈黙を肯定と受け取って、更に話を続ける。
 「今回のは貴族の連中が人族と取引でもして同盟でも組んだんだろうよ。とはいえ、初戦で兵力は失いたくない。だから民兵を引き連れて戦に臨んだ。活躍した奴は体の良い駒として、逃げ出すようならその場で切り捨てるつもりでいた。だからあんたら民兵の近くに軍人がいたんだ。まぁ、寄せ集めの軍なんざそういう頭を潰せば脆いからな。他の奴はまぁ殴っておきゃ大人しくなるだろ」
 「じゃ、じゃあ他の人達も……?」
 その問いに答えるように、民兵達が姿を現した。顔見知りも居るようで、兵士は安堵の息を吐いた。
 少年はその場にいる兵士達に笑い掛ける。
 「軍人さん達はほとんどみんなでやっつけました。後は皆さんの国に帰っても大丈夫ですよぉ。家で皆さんの帰りを待っている人もいるだろうから、早く帰って元気な顔を見せてあげてください!」
 少年の言葉に喜びの声を上げる兵士達。
 「一応はめでたし、めでたし。ですねぇ」
 「ん?……ああ」
 生返事を返しつつ、トゥーガは宙を見ていた。
 不意に脳裏に浮かんだ少女。彼女も奴の帰りを指折り数えて待っているのだろうか。
 頭の中で彼女が微笑んだ気がして、視線を落とした。
 子供の頃に交わした、遠い約束。
 それを、彼女は今でも覚えているだろうか。
 少し感傷的になっていたのかも知れない。自分らしくもない、とトゥーガは拳を掴む。
 そして、ふと気付いた。
 「ところでヴィノはどこ行った?」

 

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