終幕――カルタナ連合軍拠点
作戦会議室にある円卓の前。小太りで初老の男――ウェルドと呼ばれた将が、苦渋を滲ませた面持ちで立っている。
その正面には少女が一人。
全身を漆黒の術衣に包み深く頭巾を被っている為顔は見えない。
簡素ながら他の物よりやや豪華に作られた椅子に腰掛け、詰まらなさ気に組んだ足をぶらぶらとさせている。
「……これまでの戦いで占領された地域は十を超え死傷者も数知れず、ね。ただ突っ込むのが東方の戦なのかしら?」
声は幼い。
まだ年端の行かぬ少女から発せられる言葉とは思えぬほど、その内容は侮蔑と呆れに満ちている。
「小娘風情が、知った口を叩くでないわ!大体何なのだ貴様は?」
いきり立つウェルドをフンと鼻で笑う少女。
「そんな事を聞いてどうするつもり?冥土の土産にしたいというのも酔狂な話ね」
「貴様……っ!」
「まぁ教えてあげてもいいわ。私は西方の国、ガラハより遣わされた者。連合軍の軍師として迎え入れられたのよ」
それを聞き、ウェルドは小馬鹿にした態度を取る。
「何かと思えば田舎者ではないか、その分際ででかい口を利くとは」
ガラハ。
西方南部にある高原地帯が領土の半分を占める平穏な土地に創られた新興国家。
放牧や農業が盛んに行われており、商業は中央部に近い一部の都市で賑わっている程度の小さな国だ。
この国では各地方の領主が集まり、年数回の会談を行う事で国全体の政を決めている。その為正確な軍隊と言えるものを有しておらず、各地方の領に属する兵士がそれぞれの地方を守っている。
「連合軍では他国家間での兵士に対する指揮系統を簡略化する為に、各国家での爵位・階位を同列のものとして扱う。そうよね?」
少女はウェルドの後ろ、部屋の入り口に立つ影に問い掛けた。
影はゆらりと動き少女に微笑みを向ける。
「ええ、その通りです」
「飛鳥だと……何故貴様がここにいる?」
「彼女に呼ばれたのですよ」
訝しげな眼を向けるウェルドに少女は言う。
「私は主から軍に置ける最高権力を有する導師の称号を戴いているわ。そしてその階位は一介の将軍よりも遥かに上。……意味が解るわよね?」
「ぐっ……」
「ふふ、結構。じゃあ軍師として最初の命令を出すわ。只今を以てウェルド将軍を連合軍の指揮系統から外す事を決定する。異議は認めないわ」
「なんだと……っ!」
「貴方の動向は充分聞き及んでいるわ。目前の戦いの策すら練らずに領民から物資を巻き上げ、逆らう者は不敬罪で殺していたとか。随分と大胆な将軍様ね?」
「言いがかりはよせ!そもそも何の証拠が」
「見苦しいわね。不敬罪で首を刎ねてもいいのよ?その為に飛鳥がここにいるのだから」
わなわなと握り締めた拳を震わせ、何も言わぬままにウェルドは部屋を後にした。
相変わらずの微笑みを浮かべたまま、青年は少女の対面に座る。
「いやはや、助かりましたよ。私はウェルド将軍と同等の地位。私の権限で彼を抑える事が出来ませんから」
「相変わらずみたいね、フォウ」
「名前で呼ばれるのも久し振りですよ」
フォウと呼ばれた青年は穏やかに笑む。
「それにしてもガラハを名乗るとは上手く考えましたね。あの国は細かく分かれていて領主会談の場に五十を超える領主達が集まり、誰の地方領に誰が属しているのかすら他国には解りませんからねぇ」
フォウの言葉には答えず、少女は部屋の入口に向かって硝子玉を飛ばす。
硝子玉が当たる直前に扉が開き、中に入ろうとした人物に命中する。
「〜〜っ!」
「いらっしゃい鷸」
その人物は何食わぬ顔で迎え入れる少女に、おでこを抑えながら抗議の眼を向ける。
「何すんのよーまったくもう!」
以前カルカ運河での戦いでフォウの手助けをしていた少女だ。
亜麻を好むのか、彼女が身に纏うものは大半が亜麻で作られている。
文句を言いながら、鷸は少女の隣に腰を下ろす。
「まぁまぁ、今お茶を入れますから」
「……相変わらず将軍の地位が似合わないくらい家庭的ねぇ」
鷸の皮肉を笑顔で受け流し、フォウは会議室奥に設けられた簡易給湯室へと引っ込む。
すぐに気分を和らげる甘い香草の香りが漂ってくる。
彼が好む茶葉だ。彼をよく知る者の中には、彼の名前を聞いただけでこの香りを思い出すという者もいる。
「随分早くこっちに来たのねー。やっぱり愛しのお兄様がいないと寂しいのかしらー?」
ニヤニヤと茶化すように笑う鷸に鋭い眼を向けて威嚇する少女。
「煩いわよこの子供体型」
その言葉に面食らったような表情を浮かべる鷸。
発育が若干他人より遅いのを気にしているのか、自分の胸を隠すようにしながら怒り出す。
「なっ……!なによー、このちび!」
「小さくて悪い?」
「うわ、この子開き直った」
途端に騒がしくなる会議室。もっとも、それは子供の喧嘩となんら変わり無いのだが。
と、フォウが三人分の湯呑を手に戻ってきた。
「はいはい、喧嘩はしないでください。二人とも子供なんですから。もっと落ち着いて」
苦笑いを浮かべるフォウに二人はフンと顔をそっぽに向ける。二人にお茶を渡し、自身もお茶を飲みながら椅子に腰かけた。
「数年振りの再会で最初にする事が喧嘩とは、二人とも変わりませんね」
呆れを含んだような言い方に、鷸がむっとしながら鋭い視線をぶつける。
それを笑顔で受け流し、フォウは宥めるように言う。
「褒めているんですよ。離れていた時間を感じさせない、素直なままの二人を」
何か反論しようと口を開く二人だったが、お互いに同じ事を言おうとしたのを感じ取り、大人しく湯呑に口を付ける。
くすくすと笑い声を漏らしながら、フォウは独り言のように問い掛ける。
「それにしても、戦場に赴くのなら向こう側かと思っていましたが」
「あ、そういえばそうね。なんでなの?」
鷸の問いには答えず、涼しい顔でお茶を飲む少女。
「……答えなさいよちんちくりん」
「なんですって!」
鷸がぼそっと呟いたのを聞き逃さず、烈火の如く怒り出す少女。どうやら『ちび』は聞き流せても『ちんちくりん』は我慢ならないらしい。
鷸は舌を突き出し勝ち誇ったような顔をしている。
「さっきのお返しよ馬鹿!」
「鷸の癖に……!」
再びギャーギャーと騒ぎ出す二人。
やれやれ、と肩を竦めるフォウ。どうやら仲裁は諦めたらしい。
「大体なんでこんな頭巾なんか被ってるのよ、脱ぎなさい!」
顔を覆い隠している頭巾に手を掛けようとにじり寄る鷸。
「や、ちょっと、やめ……!」
一瞬の隙を突き、少女の頭巾を外す。
銀色の髪と深紅の双眸、同姓さえも魅了する程美しい端正な顔が現れる。
何か面白そうな事になっているのでは、とでも期待していたのか鷸は落胆の溜息を漏らす。
「なんだ、特に変わった事無いじゃない」
「いいじゃない、気分の問題よ!」
多少照れた様子でお茶を飲む少女。
その姿は先程ウェルドを軽くあしらった人物と同じとは思えない。
「さて、これからどうします?」
口火を切ったのはフォウだ。
どう、というのは連合軍の趨勢だろう。今の連合軍の最高責任者はこの少女なのだ。
「貴女の決めた事が世界を動かしていく。それはとても甘美で危険な事ですよ」
そして突き放すように言い放つ。
「一度も外の世界に出た事の無い箱庭の姫君が、民衆や国を導いて行こうというのです。世界という重りを貴女の双肩で支え切れるかどうか」
「ちょっと、フォウ……!」
余りに厳しい物言いに鷸が口を挿むが、フォウは叱責とも取れる言葉を続ける。
「貴女方竜族からすれば、人族など愚かで醜いものでしょう。しかし、その人族の命運を担うというのならばそれ相応の覚悟が必要となります。貴女に、英雄となる覚悟があるのですか?」
手にした湯呑を円卓に置き、少女はゆっくり、噛み締めるように答えた。
「このままなら世界は竜族の支配するものとなる。でも兄さまはそれを望んではいないわ。兄さまが望むのはあくまで人族が世界の覇者となる世界。だとしたら、私が兄さまの対となり人族を導いてこの戦いを上手く演出する必要がある。だから私は導師となったのよ」
「戦争を上手く操り竜族を滅亡したものとする為に、ですか」
「その為に私は兄さまに隠れて戦術を学んだわ。同胞の安全を確保し、且つ人族が支配する大地を仕立て上げる、その為に」
「……それは険しき茨の道。貴女の愛する『彼』とも戦う事になるでしょう」
饒舌に喋っていた少女がその言葉に動きを止める。
だが、少女はフォウを見据えて言った。
「兄さまが戦っているからこそ、私は戦場に身を置かなければならない。私と兄さまは対の存在だから。私は私のやり方で兄さまの夢も人族の平和も守ってみせる」
暫くフォウは少女の目を見ていたが、それが揺らぐ事がないと解ると目を細めて言った。
「我等人族の未来、貴女に託しますよ。気高き幻竜の末裔、ノーヴィー・ナタス」
それだけ言うと、自分の飲んだ湯呑を片付けて部屋を後にする。
余りに唐突な行動に、残された二人は笑みを溢す。
気を利かしてくれたのだろう。数年振りに再会した無二の親友と語り合う時間を、フォウは双方に与えた。
「なんでもお見通しみたい」
「かもしれないわね」
「でも……ちょっと不器用なのは相変わらずみたい」
「全くよね」
一頻り笑い合った後、鷸は微笑みかける。
その表情は慈愛に満ち、聖母を思わせる程優しい。
「久し振りね。最後に会ったのは何年前かしら」
「もう四年になるよ、鷸」
先程とはまた違う、少女の声色。
心を許した者同士気兼ねなく本来の口調に戻す二人。鷸は母性に溢れたゆったりとした話し方を、少女はやや舌っ足らずな甘えた話し方を。
普段はお互いに何処か距離を置いた物言いをするが、二人きりの時はこうして自分を曝け出している。
「四年、か。つい此間のように思えるわ」
思い出を噛み締めるように鷸は呟く。
少女も同じように、遠い目で思い出を見詰めている。
だがそれも一瞬の事。子犬のような愛らしい笑顔を鷸に向ける。
「鷸はちょっぴり大人になったかな」
「アンタは変わってないわね。旧友との再会で硝子玉ぶつけるくらいだもの」
「う……あれは、ごめん」
しゅんと項垂れる少女に、思わず笑ってしまう。
ころころと万華鏡のように変わる表情を見るのが鷸の楽しみでもあった。
一拍の間を置いて、鷸は少女に訊ねる。
「それで、決心はついた?」
こくん、と少女は頷く。
「いつか振り向いてもらえるまで、頑張ってみる」
「そう」
答えは短いが、その言葉の中に溢れんばかりに詰まった応援の気持ちを、少女は受け取った。
暫くはお互い無言の時間が続いた。
小さな吐息を溢し、少女はぽつぽつと話し始めた。
「最初は向こう側……竜族の軍に行こうとしてたの。兄さまはちょっと困ったような顔をして、それでも私を迎え入れてくれたと思う」
鷸は言葉を挟まず、続きを話し出すのを待っている。
「でも、それじゃダメなの。私がしたかったのは兄さまを見上げている事じゃない、兄さまの隣に立っている事なの。私だって、兄さまの為に出来る事はある。そりゃぁ……私みたいな半人前に出来る事なんて高が知れてるけど」
少女は湯呑の中に視線を落とす。
ゆらゆらと水面が不安定に揺れている。まるで少女の心を投影しているかのように。
そんな彼女の背中を、鷸はそっと押してあげた。
「何が出来るのかは分からなくても、自分が思う事をそのまま形にしていけばいいんじゃない?それが彼を想う気持ちでやった行動なら、きっと彼に届くと私は思うわ」
鷸には解っていた。
答えは最初から決まっている。ただ、彼女は少し心細かったのだ。
いつも彼女は彼と同じ道を選んできた。
だからこそ、彼に近付く為に敢えて別々の道を選んだ勇気も、彼と離れ離れになる寂しさも、全て鷸には伝わっていた。
だから、鷸は答えを示さなかった。
「アンタは思うままに進みなさい。私はすぐ後ろで支えてあげるから」
「鷸……」
少女は何か言おうとするのだが、照れくさいのか下を向いてしまう。それを鷸は急かす事もせず、ただ穏やかな笑みを向けている。
何度かそれが続き、漸く喋る勇気が湧いたのか少し小さめの声で、少女は言葉を紡いだ。
「ねえ、鷸」
「ん?」
「……ありがとう」
「私はまだ何もしてないってば。これからアンタが頑張るんでしょ?」
どこまでも穏やかに、優しく包み込むような声。
お互いに顔を見合わせ、どちらからともなく笑い合った。
楽しげな空気の中をゆっくりと時間が流れて行く。
日が暮れるまで、その部屋から談笑が途切れる事は無かった。