第三幕『忠義の剣士』


 大陸の南西部に位置するリシュメイア。
 竜族の地に近く人族が首都を攻略する足掛かりとなる重要な場所であるにも拘らず、竜族の占領下に置かれる前は然程守備部隊が配置されていなかった。
 リシュメイアは険しい山岳地帯の中でも比較的なだらかな高原にある為見晴らしが良く、地盤が緩い為巨大な建造物を建てられないという典型的な『攻めやすく守りにくい』という地方だ。
 後々の戦いの補給線としての意味合いが強いこの地を人族に渡さぬ為、ヴィノは再び攻めてくるであろう人族を警戒し二千もの部隊をこの地に駐留させていた。
 夜も明けて足元の草に朝露が残る時分、斥候の一人が報告時間を過ぎても戻らぬ事にヴィノは杞憂していた。
 遮蔽物も少なく弓兵の射程に入る前に部隊を発見出来るであろうこの場所で、一体何があったというのか。
 「失礼しますよ、道士ヴィノ」
 そう言って天幕に入ってきたのは青い術衣を纏った術師の少年。
 「ヴァーティマか。外の様子はどうだった?」
 ヴァーティマと呼ばれた少年は肩を竦めおどけた様子で言った。
 「静かなものですよぉ。敵軍が居た形跡すら残ってはいません」
 穏やかに微笑む少年の声に若干の震えを感じ取り、ヴィノは僅かに目を伏せた。
 「そうか」
 短く答え、ヴィノは天幕を出る。
 丁度斥候が戻ってきていた。亡骸となって。
 此度の戦争は自らを生ける屍として同胞を逃がす為のもの。犠牲となる事も目的の一つではあるが、流石に速すぎる。
 死体には大きな外傷も無く、一見しただけではどのように襲われたのかさえ分からない。
 「投擲武器で襲われたような傷も無く、目立った痕跡さえ無いとはな。魔術の類だとしても他の者に全く気付かれずに術を使う事が難しいこの状況下……一体何に襲撃されたと……?」
 竜族軍最初の死者に黙祷を捧げ、ヴィノは辺りを一望出来る高台へと向かう。
 数分と掛からずに目的の場所へ到達する。
 死んだ同胞はこの高台に偵察に来ていた。
 ここは他の場所よりも叢の背が高く、余程注意深く見ていなければ眼下の草原からこちらを視認する事は出来ない。
 「何より、ヴァーティマが様子を見に来た時には一切の襲撃は無かった……なぜだ?」
 その疑問を掻き消すような強い風が舞う。
 「っ!」
 突然現れた気配にヴィノは身構える。
 高台の中心に聳える一本の樫の木の根元、そこに彼は立っていた。
 長身に漆黒の短髪、精悍な顔立ち。何より目を引くのは、射竦められただけで何かを断ち切られそうな程に鋭い眼光。
 蒼黒に彩られた術衣を纏ってはいるが、彼が術師でない事を腰に提げた鞘が示している。
 虚空に引き込まれそうな深紅の瞳はただヴィノを映している。
 「……何の用だ、人間よ?」
 先に口を開いたのはヴィノだった。
 敢えて人間と口にしたのは彼が他の人族と大きく異なっていたからだ。
 彼の双眸。
 それはヴィノやノーヴィーと同じ色。
 この世界に置ける目の色は先天的な物で決まる訳ではない。全ての種族、全ての生物は皆一様に白き瞳を持ってこの世に生まれる。
 魔力に深く携わる者は瞳が青、自身の武を鍛える者は黒といったように、徐々に瞳の色は変わる。
 だが、深紅の瞳を持つ者はほとんど存在しない。
 深紅の双眸。
 それは世界の真理を垣間見た旅人の証。
 それは死にさえも見放された罪人の証。
 それは真なる世界に招かれた客人の証。
 世界には力が満ちている。魔力に限らず、この世界に住む者は等しくその力を手にする事が出来る。
 その力の全てを手にする為に、求める者は果てしなき道を彷徨い旅をする。だが、それは時に求める者を狂わせ一筋の光さえ届かぬような奈落に堕とす。
 闇。
 それはそう呼ばれている。
 感覚としてでは無く、概念として理解した者に、闇は自らの力を与える。
 この男も、そうした力を闇より与えられている。
 警戒を解かずに不敵な笑みを浮かべるヴィノに、男は何の感情も読み取れぬような抑揚に乏しい声で答える。
 「久しいな、主人」
 「……さて、生憎我はお前など覚えていないが」
 記憶を辿ってみてもこの男と以前に出会った事は無かった。何故この男が再会の言葉を口にするのか、何故主人と呼ぶのか解らない。
 そんなヴィノの様子を意に介する事も無く男は何かを待っている。
 男に攻撃の意思が無い以上先程の言葉が何らかの悪意を持ったものでは無い。だとすれば、それは何を意味すると言うのか。
 思考を重ねるヴィノは一つの結論に辿り着いた。
 確証が無い以上推論でしかないが、恐らくはこれが正しい答えだろうと確信していた。
 「……人間よ、名は何と言う?」
 「ラヴィス」
 「ではラヴィスよ。お前が忠誠を誓った相手は我ではない」
 その言葉に初めて男が反応を見せた。男の周りを流れる風が不意に揺らいだ程度のものであったが、動揺していると見て間違いない。
 「一つ問おう。先程この場にいた竜族を葬ったのはお前か?」
 「いや」
 男は短く答えた。
 暫く男の真意を探るように目を見ていたが、その言葉に偽りはないと悟り警戒を解く。
 それと同時に男は消える。初めからそこに何も存在していなかったかのように、姿は消え去っていた。
 気配を探ってみるが、やはり痕跡は見付けられない。
 「よく解らぬ奴だ」
 ヴィノは空を見上げた。
 いつの間にか太陽は身を潜め暗雲が広がりつつある。
 風が僅かながら湿り気を帯びてきた。
 まぁいい、とヴィノは思考を頭から打ち消す。
 出向いては来たが、結局誰が同胞を葬ったのかを確かめる事が出来なかった。
 だが竜族の戦士達は萎縮するどころか人間の中にも我等と張り合えるだけの力を有する者がいる、とより戦意を昂揚させている。
 「ならばこの機を逃す手はない」
 報復という訳ではないが、今度はこちらが先手を取り人族の出鼻をくじく。
 踵を返し高台を後にする。
 背中に向けられていた視線に気付く事無く、ヴィノは陣地へと戻って行った。
 視線の主は暫くヴィノが立っていた辺りを眺めていたが、不意にクスクスと笑い声を上げた。
 空間が歪み、樫の木が人の姿へと変わる。
 碧翠に染め上げられた外套に身を包んだ年端も行かない少年。双眸は蒼く濁っており、虚空を映しているかのような瞳が見る者を惑わす。
 その顔に浮かぶのは年不相応の歪んだ笑み。
 「あれが竜族最強と謳われた幻竜の末裔か。ふふっ、どれ程恐ろしい怪物かと思えば……」
 彼はそこまで言うとまた笑い出した。その笑みが示すのは侮蔑と嘲り。
 少年は懐から小指程の水晶玉のような物を取り出し、何の躊躇いもせずに飲み込む。
 それが少年の喉元を過ぎた瞬間、爆ぜるような魔力が巻き起こる。辺りの草木は瘴気に中てられたようにその身を黒い焔で焦がされていく。
 「ははっ、これが竜族の魔力か」
 少年は満足そうにニヤリと微笑む。
 周りの空間が歪み少年の姿が消える。
 雨が降り出すまで、そう時間はかからなかった。



続きへ

inserted by FC2 system