「余り深追いはするな、返り討ちに遭っては元も子もない。広範囲に展開し敵の防御網を厚くさせるな、徐々に戦線を上げて行け」
 血気盛んな同胞を押し留めるように指示を飛ばす。
 数百もの竜族を同時に転移させたというのに、疲労の色は全く見えない。
 「一時間の後、全部隊を撤退させる。それまで充分暴れる事だ」
 不敵な笑みを浮かべる道士に呼応するかのように拳を突き上げ、竜族の戦士達は各々の戦場へと向かう。
 彼等が手にしているのは転移石。名の通り自身を思い描く場所に転移させる魔具の一種だ。
 ガザ砦攻略の難しさを知っているヴィノは、まず拠点攻略の全部隊を砦の東北部――リシュメイア側とは反対方向に転移させた。こちら側は警戒が薄い上小さな針葉樹林が多く点在している為、身を隠すには持ってこいの場所である。
 そうして移動させた部隊を四、五人の小部隊に分けた後砦内部の数十ヶ所に転移させ、迎撃する間を与えず殲滅させる。その個別の転移の為に、彼は転移石を持たせたのだ。
 「さて、我等も行くとしよう」
 目を向けた先で、待ちくたびれたと言わんばかりの笑みを浮かべるトゥーガ。
 「じゃあ俺は西側の塔からだ。お前は東。へまやらかすんじゃねぇぞ?」
 「お前もな」
 軽口を叩きながらトゥーガは転移石を手に取る。
 そのまま出立するかと思いきや、彼は振り返りからかうように問い掛ける。
 「人間達の中で誰かいい女がいたらお前の為に捕虜にしてきてやろうか?」
 普段色恋沙汰に全く興味を持たぬヴィノに、彼は時々このような冗談を飛ばす。大抵は軽くあしらわれて終わるのだが、ヴィノが放った言葉は彼のいやらしい笑みを引き攣らせるには充分だったようだ。
 「そうだな、頼もうか」
 「だと思ったぜ。これだからお前は……ん?おい、今何て言った?」
 見た事も無い生物を目にしたかのように驚愕を顔に張り付けて固まるトゥーガ。
 その様子をククク、と喉を鳴らしながら見るヴィノ。
 「お前から尋ねておきながらその反応か?」
 「いや、だって、なぁ?」
 「何が『なぁ?』なのかは判り兼ねるがな。それよりお前に頼み事だ」
 動揺を抑えつつ彼は何かを考え込んでいた。
 しかしすぐに合点が行ったのか問い詰めるような口調で詰め寄る。
 「さてはこないだカルタナで出陣前に姿を消したのはそういう理由かコラ?兵達は意欲充分に先陣切って敵軍に攻め込む中、お前は優雅に逢引か?」
 「興味が湧いたのでな」
 しれっと答えるヴィノに大きな溜息を漏らす。
 立て板に水という気がしてきた彼は説教を諦め、代わりに改めて尋ねた。
 「まぁいい。で、どんな奴を連れてくればいい?」
 「緋色の髪に茶色の双眸、雹鋼で出来た銃を持つ女子だ。背丈は我より少し低い」
 「期待しないで待ってろ。というか自分で探せ」
 何故か笑みを浮かべるトゥーガ。
 「気色の悪い笑みを向けるな」
 「へいへい、っと」
 空間を歪ませてその姿は消える。
 それに続くようにして、ヴィノは意識を束ねる。
 砦の東に聳える塔。その最上階の景色を鮮明に思い浮かべる。
 一瞬体が宙に浮く感覚が起こり、次の瞬間には周囲の景色は一変する。
 古びた塔の内部。
 壁に掛かる絵画も、その横に並ぶ燭台も埃を被っている。人が出入りしている形跡は無い。
 「剣戟の音も遠い、か。ある意味では好都合やも知れぬな」
 呟き、扉に手を掛ける。真鍮の取っ手は冷たい。
 扉を開け放つとひんやりとした空気が頬を撫でた。
 階段を降りる度、靴音が反響する。
 暫く進むと廊下の端に出た。
 迷宮のような造りのガザ砦にしては珍しく、一直線に伸びる遮蔽物の少ない廊下だ。今ヴィノが立っている場所を中心に左右と前方に長い廊下が伸びており、待ち伏せるのにこれ程適した場所もないだろう。
 前方の奥、人の姿さえはっきりと見えぬ程の場所で何かが鋭く光った。
 「ほう、弓兵か」
 年は三十過ぎといったところか。猟を営む者独特の風格を漂わせる黒髪の男だ。
 ヒュン、と高くか細い音に一拍遅れて矢が飛ぶ。
 放たれた矢は吸い込まれるかのようにヴィノの頭を目指し、寸前で鏃を止められた。
 人差し指だけで矢の勢いを殺し、それを弓兵の元へと投げ返す。放たれた時以上の速度で矢は弓兵の矢筒に突き刺さった。
 「三流もいい所だ。やはり遠距離戦ではクゥガの右に出る者はいないか」
 麗しき乙女の姿を思い浮かべながら、ヴィノは左手を宙に翳す。左手から作り出された障壁は針のように細い魔弾を全て弾き返す。
 その衝撃が空気を震わせた時、微かな違和感を感じ取った。
 通常、魔弾は術者自身の魔力を凝縮し形成される。その為作られた魔弾は僅かながら術者の魔力を帯びる。
 しかし今の魔弾に込められていた魔力は術者独特の癖が全く無かった。
 「自然界に揺蕩(たゆたう)魔力を取り込んだか」
 特異とも言える能力だが、稀にそうした資質を生まれながらに持つ者がいる。
 「流石は竜族一の術師と謳われた竜ですわね。しかし、その程度で私(わたくし)の前に立つとは愚かですわ」
 自信に満ちた声が廊下に響き渡る。
 視線を向けると廊下の奥に女術師が立っていた。
 金色の長髪を後ろで束ね、賢者が好んで着るようなやや露出度の高い法衣に身を纏っている。左手には様々な装飾が施された法杖を持っており、人間の術師の中でも高位の使い手である事が窺える。
 年齢は十八、九ぐらいか。多少釣り目がちな蒼い瞳には爛々と自負の色が灯されている。その瞳にヴィノは既視感を覚えた。
 「あの瞳の色は……」
 「さぁ幻竜とやら!私の前に跪きなさい!」
 女術師はこちらに向かって優雅に歩きながら次々に魔弾を飛ばしてくる。
 最初の一つを叩き落とし、ヴィノは弓兵のいる方向へ身を翻した。ほぼ同時に戦斧が勢いよく床に叩き付けられる。
 襲撃者は男。己の筋肉を誇示するかのように上半身は何も纏っていない。赤い短髪と戦いを楽しんでいるような表情に、ヴィノは友の顔を思い出す。
 (トゥーガをこちらに向かわせていれば、それは暑苦しい戦いが見られそうだな)
 少し遅れて追尾してきた魔弾と矢が挟撃する。
 ヴィノは両手を交差させ右手で矢を、左手で魔弾をそれぞれ受け止める。
 「うらぁぁっ!」
 威勢のいい掛け声と共に再び戦斧が背中を狙うが、前方の壁を蹴り上げて襲撃者の背後へと回り込む。
 標的を見失った襲撃者の背中に捻りを加えた肘鉄を叩き込むと、襲撃者は壁に激しく打ち付けられた。
 「狙いが甘いな。戦斧を扱う時は相手の上段から爪先を狙って一息に振り下ろすのが基本だ」
 人間が目で追えるぎりぎりの速さで動いて置きながら全く息を乱れさせる事無く言い放つ。
 ヒュン、と風を鳴らす音。
 弧状に左手を翳し、矢を叩き落とす。同時に放たれた三本の矢は力を失い、床に散らばるようにして落ちる。
 「なかなかやりますわね。ではこれでどうかしら?」
 謳うような詠唱に呼応して、女術師が持つ法杖の先端が光り出す。
 光は瞬く間にその大きさを増し、子供の頭程の大きさまで膨れ上がる。
 「弾けなさい!」
 掛け声と共に幾つもの光の筋がヴィノに伸びる。
 他の魔術には見られないような強い衝撃力を伴った光の鞭は障壁を通して周囲の空気を振動させる。
 ほぼ同時に乱れ飛ぶ矢。一つ一つの狙いは甘いが、逆にそれがヴィノの動きを制限する。
 「しゃらくせぇ!」
 先程の襲撃者が今度は戦斧を両手に携え斬りかかる。
 三位一体の攻撃。
 敢えて最初から同時に仕掛けるのではなく、徐々に攻撃の周期を同調させる事により相手の動きを阻害し討ち取る戦法だ。
 「ならば一人ずつ倒せばいい」
 不敵な笑みを浮かべると素早く身を捻り、斬撃と弓矢を躱す。逸れた矢を光鞭が叩き落とすのも計算の内だ。
 そしてその光鞭は襲撃者の動きを止める。
 生まれた隙を逃さず、そのまま襲撃者と体躯を入れ替え背後に回る。
 「カルマ、動かないで!」
 「ちぃっ!」
 女術師の声に舌打ちする襲撃者。無理な体勢ながらも彼は襲い来る衝撃に備えて両足に力を込める。
 だがヴィノは彼を嘲笑うかのように駆け出す。
 向かう先は弓兵の元。
 動揺も一瞬の事、すぐに弓兵は矢を構えこちらに相対する。
 矢が命中する直前、ヴィノは右手を突き出した。
 指先に触れた鏃は肩、背中となぞるようにヴィノの体を滑り、左側の壁に突き刺さる。
 衣服の中を通した矢を左手の袖口から逃す体術だ。
 弓兵が次の矢を構えるより速くヴィノは腰を落とす。
 走ってきた勢いを全て乗せ弓兵の足を払う。
 倒れてくるところを狙い腹部に立ち上がりざま膝蹴りを見舞う。その衝撃に顔を苦悶に染める弓兵。
 反動で起き上がった上半身に掌底を叩き込み空中で仰け反らせると、浮いた側頭部に回し蹴りを放つ。
 三秒を数える滞空の後、弓兵は床に転がった。
 間髪入れず体を翻し来た道を戻る。
 「おもしれぇ、来いよ!」
 ニヤリと口の端を歪ませる襲撃者。
 戦斧を投げ捨て胸の前で拳を構える。素手で渡り合う自信があるらしい。
 ならば肉体諸共その自信を打ち砕く。
 姿を掻き消す程の速度で肉薄したヴィノは勢いを緩めずに交差する。
 目に見えぬ拳撃が打ち込まれ、そのままの姿勢で襲撃者は床に崩れ落ちる。
 振り返りそれを見下ろしながらヴィノは感嘆の声を上げた。
 「四方(よも)や撃ち返してくるとはな」
 右手に残る衝撃に人間の底知れぬ潜在能力を思い知らされる。
 残る女術師に目を向けると身を竦めて後ずさる。
 「す、少しはやるようですわね。ですが私の敵ではありませんわ」
 気丈に振舞うが全身が僅かに震えている。先程までの威勢が嘘のようだ。やはりそこは年相応の少女といったところか。
 一歩踏み出してみると向こうも一歩下がる。
 更に一歩踏み出すと怯んだように顔を歪める。
 「い、いやぁっ!こないでぇ!」
 もう一歩距離を詰めたところで、冷静な思考が断ち切れたのか無我夢中で光弾を乱射し始めた。
 次々に紡がれる光弾を弾きながら、ヴィノは妙な違和感を覚える。
 飛んでくる光弾の威力が徐々に上がってきている。
 眼前で取り乱している女術師がこれ程の威力を持つ光弾を息つく暇も与えず連射出来る筈もない。
 意識が集中出来ていない時には魔力の錬度が下がる。
 それ故今のような状況で高威力の魔術を扱える筈が無い。無いのだが、現に彼女は障壁を通してヴィノの術衣を揺らす程の光弾を放っている。
 考える時間は無くなった。軋むような音が耳に届く。
 障壁に罅が入り始めたのだ。その事実にヴィノは驚いたように目を開く。
 すぐに魔力を注ぎ込み、より強力な障壁を形成するのだが、作った先から罅割れが起きる為に補強が追い付かない。
 かといって攻め込もうにも障壁を消した状態で彼女に近付けるかも怪しい。
 無秩序に打ち放たれる光弾はそれ故に軌道の把握が難しく、その間を擦り抜ける事は非常に困難なのだ。
 ギィン、と高くも鈍い音が響く。
 遂に障壁の一部を光弾が貫通し始めた。
 「我が魔力を上回ると言うのか……!」
 「いやぁぁぁ!こないでよぉぉっ!」
 半狂乱、という言葉が似合うような錯乱っぷりだ。
 障壁から伝わる衝撃は更に勢いを増す。
 多少の傷は覚悟して彼女を止めようと考え始めた時、法杖の先端に散りばめられていた白い宝玉が俄かに輝き出す。
 それと同時、辺りを覆うように魔力が立ち込める。
 「これは……そうか、あの石が!」
 魔力の奔流に気付いたヴィノは障壁を消し、彼女に駆け寄る。
 幾つかの光弾が体を掠める。それだけで皮膚は裂け、赤い血が滴り落ちる。その威力を再認識しながら、遂にヴィノは彼女の法杖を床に叩き落とした。。
 その瞬間、宝玉の輝きが一気に増す。
 「くっ!」
 「え、きゃぁぁぁぁっ!」
 彼女を庇うように抱き抱え、法杖から離れる。が、一足遅かった。
 一瞬で膨れ上がった閃光は二人を包み込み、空間を爆発させる。
 光が終息した時、二人の姿は掻き消えていた。


 最初は何故ここにいるのか解らなかった。
 目の前に広がる優雅な花壇を見て、自分が夢の中にいるのだと気付いた。
 ここは宮殿の庭。
 公爵達が父の顔色を窺いに、一年に一回会合が開かれる。それが余りに退屈だったので、私はこっそり抜け出して庭で遊んでいた。
 花壇に咲いているお気に入りの花で冠を作ったり、内緒で持ち込んだ小さな机と椅子に座り一人だけのお茶会を楽しんだり。
 暫くはそうしていたのだけれど、やっぱり一人では詰まらない。かといって部屋に戻っても、公爵達の心にも無い美辞麗句を聞かされるだけだ。
 どうしようかと溜息を吐いた時、庭の入口で私を覗き込むように一人の青年が立っているのに気付いた。
 柔和な笑みを浮かべているが、顔がはっきりと見えない。彼がこちらに歩いて来ても、靄が掛かっているように顔が解らなかった。
 曖昧な記憶が彼の顔を正しく認識させてくれないのだろう。
 彼は私の隣に立つと、優しく声を掛けてくれた。
 「会合を抜け出して庭園で日向ぼっこか。話には聞いていたが元気なお嬢様だな」
 水晶を弾いたような、澄んだ美しい声。
 何故だか顔が熱くなるように感じて、私はそっぽを向くようにして口を開く。
 「貴方は誰?」
 「君の父上の古い友人だ。今日は久方振りに呼び出されてな、暇を持て余していたところだ」
 彼は対面の椅子に座ると私に微笑みかける。
 私が名乗るのを待っているのだと気付き、居住まいを正す。
 「私は魔皇国国王、シャム・ルミナスの娘よ」
 ふふん、と鼻を鳴らし得意げに彼を見る。
 「名前を聞きたいのなら自分から名乗りなさい」
 その言葉に彼は一層笑みを濃くする。
 まさか笑うとは思ってもみなかったので、私は呆気に取られたように彼を見る。
 「そうだな、まずは我が名乗らせてもらおう」
 我という余り聞かないような一人称を使う彼は、私の眼を見つめながら答えた。
 「…………」
 声は聞こえない。
 その時は確かに聞いた筈なのに、彼の声にも靄が掛かってしまった。
 辺りが白く染まる。
 夢から覚めようとしていた。
 やがて彼の姿も、庭に咲き誇る花も見えなくなる。
 白くぼやけた景色の中で、私は彼の名前を思い出そうとした。


 



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