生まれた風は爆ぜ、周囲の木々を揺らした。此方の初撃で散らばった薪の表面が、風に撫でられ赤く染まる。
 先程まで立っていた場所に伸びる掌底を見、惜しい事をした、と思う。
 (勢いを殺し互いに動けぬ状態へ持っていければ、彼の手で存分に揉みしだいて頂けたものを……っ!)
 思い直す。非常に惜しい事をした。
 彼の逞しい腕が胸に伸びてきた時反射的に避けようとしてしまい、その通りに体が反応してしまった。よくよく考えてみれば彼から仕掛けてきた初めての機会だったというのに、だ。
 あの状況で最も効果的な反応は何だったのか。彼の手首を捉え当て身を食らわせた後、その手を取って胸を這わせるか。いや其では風情が無い、彼が自らの意思で弄んでくれるからこその愛撫だ。ならば伸ばした手を擦り抜け背後から抱き付き首筋の香りを思う存分に嗅ぐか。いや駄目だ、彼の顔が見えていないと物足りない。其は匂いを嗅がれて羞恥に染まる彼の表情が見えてこその行動だ。なら一体何が?
 其処まで考えた所で閃いた。
 (外に逃れるのでは無く敢えて内に逃れる事により彼と抱き合う格好に、後は情熱の赴くまま彼の唇を、舌を貪る様な激しい接吻!これです、これが最善ですのね!)
 彼の挙動を背後から眺めながら一人興奮していると、空気が浅く揺れた。
 瞬きよりも速く彼の姿が迫る。
 頸動脈を狙う左手は貫手の型、右手は魔力を纏い淡く青白い光を放つ。そして彼の紅い瞳には、微かな驚きと好奇が見て取れた。
 先程の動きを捉え切れていない。
 再び表情が消え失せた彼の顔に見惚れながら右足で地を踏み抜き同じ速度で飛び退り、腕を伸ばしても届かない距離を保ちながら左に構えた大剣を地に突き刺す。刃を支点とし体は宙を舞う。
 高度が最高点に達したと同時、全身を後方に捩りながら全力で左腕を此方の前方へと振り抜く。
 「っせい!」
 半月を描く様に軌跡を辿る刃が彼の爪先を撫で、
 「……っ」
 しかし返る衝撃は無く、叩き付けられた刀身が大地を割った。
 本能が警鐘を鳴らす。
 捨て置く様に柄から手を離し跳躍の為の力を量の足に溜める。来るのは右か左か。
 判断は一瞬。自身を叩き付ける様に地へ這わせ、頭から後方へと跳ぶ。その上を影が通り過ぎる。
 交差した影は大剣の傍らに降り立ち、此方は身を返して態勢を整える。丁度、先程と位置が入れ替わった形だ。
 間髪入れず彼が大地を蹴る。獲物を手放した今が好機と踏んだのだろう。
 (少し驚かせてあげますの)
 果たして彼はどんな顔をするのか。彼が先程見せた瞳の揺れを思い浮かべつつ、闇に抱かれた術式を紡ぎ出す。
 「空世の門(アティ・ナトゥータ)」
 呟く様に漏れた言葉が空気に溶け、映る景色が一変する。
 瞳に映るのは彼の背中。足元に突き刺さっているのは先程手放した大剣。
 彼は私が背後に移動した事に気付いておらず、眼前から消え去った私の姿を懸命に探している。
 「此処ですのよ、我が君」
 振り返る彼の眼に三度驚きが生まれる。
 「……如何いう事象だ、これは」
 「その顔、堪りませんの。右も左も解らぬ迷子の子供の様なその困惑した表情……あら、思わず涎が」
 じゅるりと湿った音を立て口の端を舐め取る。
 眺めているだけでこの恍惚具合。彼の心に触れ互いの体温を確かめ合ったとしたら、如何程の悦楽と為り得るのか。
 はしたない笑みが浮かびそうになるのを押し留め、右足を蹴り上げる。
 爪先に響く軽い衝撃と共に跳ね上がった大剣の柄を左手で掴む。
 此方の動きに呼応し、彼は瞬時に意識を戦場へと戻した。彼の肩が僅かに下がり、爆発的な加速を乗せて前方に跳んだ。最早彼の双眸に迷いは無く、今この瞬間に全神経を集中させている。
 その瞳に頬笑みを返し半身を左に傾ける。右手に持ち替えていた大剣の柄を前方に向け、魔力を込め、放つ。
 生まれるのは魔力の刃。柄から伸びる刃は妖しい紫銀の光を振り撒きながら一直線に彼の胸元へと向かう。が、其は囮。
 「瀑布の型……!」
 身を躱し尚も追い縋ろうと更なる加速を乗せて腰を落とした彼が此方の意図を理解し、咄嗟に右腕を突き出した。後に続くのは放射状に爆ぜる魔力の反刃盾。
 彼の身長の優に三倍はあろうかという規模の反刃盾は送り込まれる魔力に依って自重を倍加させながら、純粋な暴力と化して彼に躍り掛かる。瀑布の名に相応しい、全てを飲み込む圧力が彼の右腕を捉え、
 「ぐぅ……っ!」
 紫銀の光の奥で彼が苦悶の声を上げる。
 くぐもった声も素敵でこれはこれで有りだ等と邪念に塗れた思考が脳裏を這い回るが、次に聴こえてきた音に思考は散逸する。
 か細く高い、硝子細工に罅が入る様な音。
 何の音か、と疑問を抱くよりも早く答えは示された。
 「瀑布が……!割りましたの?割ったんですのね!?」
 中心から裂けた反刃盾は左右に二分され、その合間から彼の瞳が覗く。
 亀裂が彼の肩幅程に広がるのを待たずに動いた。右足を振り抜く様に蹴り上げ、その反動で弧を描く様に体躯を回す。
 一瞬遅れて、上げた右足の膝裏、傾けた肩口、汗が伝う喉元、その全てをなぞる様に銀の色が疾(はし)る。向かい来るのは彼の懐刀。紙一重の差で其を避けながら、私は言い知れぬ高揚感に包まれていた。
 口の端が自然と上がってくる。
 楽しい。
 愛しき人と同じ場所同じ時を過ごし、全力を以て相対してもらっている。
 至上の喜びを得た心は貪欲に更なる快感を求める。その苛烈な欲望を認識した時、既に行動は始まっていた。
 体躯を回した勢いをそのままに更に半回転を加え、彼の姿を正面に捉えたのを確認して、
 「……ぉぉぉぉおっ!」
 背後に回した右腕を高く振り上げ、肩から指先に至るまでの全ての関節を撓らせ鞭を振るうかの様にして大剣を投擲する。向かう先は彼の背後。
 次の動きへ移行する為に重心をずらしたのを見計らい、彼が後方か或いは前方にしか動けぬ瞬間を狙った。
 後方に跳ぶには分が悪い。彼の速さであっても避け切れるかは難しいところだ。となると前方にへ転がる様に身を投げ出すのが最善。無論、其こそ私の目論見だ。
 (その姿勢からでは反撃も出来ないでしょう、其処へ滑り込む様に体を入れたなら自然と彼に抱き締められる事に!)
 そんな邪な気配を感じたのか、彼は前方に跳ばない。代わりに彼は膝を折り上半身を深く沈めた。
 何を、と疑問を抱くより速く彼は両足で地面を蹴った。低い姿勢のまま擦る様な宙返りを披露し、体の上を滑らせる様にして大剣を受け流す。
 「なっ……!」
 刃が疾り切った瞬間を狙い、彼は両足を振り上げ柄を高く弾き飛ばした。
 勢いを殺された大剣は彼の背後、剣圧で捲れ上がった土へ突き刺さる。
 ぞくり、と言い知れぬ快感が肌を撫で上げた。
 彼の思考傾向や動きの癖は全て知っている。故に彼が取るであろう行動は容易に予測出来ていた。今までの動作も、幾つか予測した内の一つの動きを、彼は選び動いていた。
 だが、彼が披露した動きは此方の予測の更に上を行くものだった。成程、後方に跳ぶのでは私との距離が開いてしまう。一時とはいえ私の手から得物が離れたこの状況をみすみす逃す事は無い。
 そして、彼は気付いたのだろう。私の攻撃が全て大剣を起点として発生している≠ニいう事に。
 はっきり言って、私程の速さがあれば武器は必要無い。道端の小石を子供が投げたところで小型の動物を追い払うのが精一杯だろう。しかしその小石が雷よりも速い速度で打ち出されたとしたら、指先よりも小さな石は強固な盾をも貫く威力を持つだろう。
 そうして打ち出されたものが小石の何倍もの大きさを誇る人の拳であったら?全身の重さを乗せた踵であったら?
 生まれる破壊力は如何に強固な障壁であっても、そう何度も耐えられるものでは無い。
 幾度と無く彼は態と体を晒し、打ち込む隙を見せ付けてきた。しかし私はその全てを見過ごし大剣による斬撃を繰り出していた。
 当然彼は疑問に思った事だろう。そしてその理由を確かめる為に、彼は跳んだのだ。
 「呆けている暇は無いぞ」
 意識を飛ばしていた僅かな時間で彼は態勢を立て直し、懐刀を抜き放っていた。同時に放たれた数は五本。
 回避に移るには余りに遅すぎた。銀の刃は狙いを違わず急所へと向かう。
 唯一避ける方法があるが彼は其を待っている。私に対する如何なる攻撃も、彼にとっては謎を解く為の誘い水なのだろう。
 (……是程強く我が君に望まれたのなら、応えない訳にはいきませんの)
 どこか諦めた様な、しかし至上の喜びを湛えた微笑みを浮かべ、私は彼の望む言葉を紡ぎ出した。
 「空世の門」
 再び開かれた門を通り、私は彼の背後に存在≠オた。
 肉眼で捉える事が物理的に不可能なその動きを、彼は見切っていた。
 私の眼に映るのは彼の後姿では無く、紅く輝く双眸。此方に伸びるしなやかな指が私を捉え――、
 「あんっ」
 思わず嬌声を上げてしまう。
 突き出された彼の手は私の胸元に収まり、触れられた事で更に激しくなった鼓動を彼に余す所無く伝えている。
 一見すると彼が獣の様に激しい情欲に身を任せ私を今まさに蹂躙しようとしている様に映るが、その実掌の中心は私の心臓を捉えいつでも魔力で貫く事が出来る様になっていた。
 「あらあら、矢張り私では我が君を出し抜く事は叶いませんのね」
 ほぅ、とやや熱を帯びた息を漏らす。既に戦意を喪失したのが伝わったのか彼は手を離し私を静かに見据えていた。
 彼の手が離れるのを惜しいと感じつつ、右足で剣先を叩く。
 風を揺らしながら振り上がる柄を受け止め、枝垂れかかる様に大剣へ体重を預けた。
 「よく言う。元より出し抜く算段では無かったのだろう」
 「あら、何故そう思いますの?」
 「既に理解している事を改めて尋ねる様な奴には教えられぬよ」
 クク、と喉が鳴る音。どうやら彼は楽しんでくれたようだ。
 彼の笑みを見ていると胸に暖かい何かが生まれる。其が何かは解らないが今は其でいいのだ、と思えた。
 「そろそろ連合軍の騎兵隊が到着する頃ですの。南方から真っ直ぐ丘を越えて迫って来ていますのよ」
 「我に其を教えても良いのか?お前も連合軍の一員であろうに」
 「いいえ、私はまだどの組織にも加わってはいませんの。今の私は愛しの我が君に胸を焦がす一人の幼い少女ですの」
 ぺろ、と舌を出しおどけて見せた。
 そんな私に毒気を抜かれたのか、彼は優しい微笑みを浮かべた。
 「では私は御暇(おいとま)させて頂きますの」
 言って背筋を伸ばし、恭しく御辞儀をする。まるで侍女が主人を見送る時の様に。
 「しかし最後まで解らぬな、一体何の目的でお前は我に近付いたのか。只遊びに来たという訳でも無いであろうに」
 その言葉に、私は呆けた様に口を開けてしまった。が、直ぐにはしたない真似をしてしまったと慌てて口を塞ぐ。
 (……案外、鈍感なのかも知れませんのね)
 呆れやもどかしさの混じった微妙な笑みが浮かんでしまう。
 直ぐに其を打ち消し、純粋な、満面の笑みを彼に向ける。
 「其では、次の逢瀬を楽しみにしていますの」
 
 
 蠱惑的ともいえる甘い匂いを残し、彼女は陣を後にした。
 幾度かの衝突の余波で打ち払われた薪は殆ど燃え尽き、僅かばかりの熱を放ちながら辺りに散らばっている。その微かな炎を見詰め、暫く考えてはみたが矢張り結論は出なかった。否、出せなかったというのが正しい。
 突如現れた名も知らぬ少女。
 彼女が何を渇望し、何を思い動いているのか。
 (急く必要は無い、か)
 あの口振りから察するに、そう時間を置かずにまた姿を現す事だろう。
 頭上を見渡せば青白く染まった空が目に映る。夜明けまでは後半刻といったところか。
 幽かに、漂う風の中に不和が混じり始めた。
 蹄が地を打ち鳴らし、衝撃が風を揺らし、此処へ届いたのだ。
 時を同じくして背の高い女性を筆頭に、数人の竜族が駆けてくる。
 「ヴィノ、連合軍だ!数は三千程、騎馬兵のみで構成された機動隊、此方へ到着すると予想されるのは日の出と同時、後半刻だ!」
 存外早かったな、と呟きを地に落とし各部隊長に指示を飛ばす。
 「各部隊に通達。先鋒の駆動隊は森の入口に布陣し初撃の勢いを削いだなら後退、奴等が追撃を開始したならば森の中で騎馬の動きが鈍った所を撃退。誘いに乗らず静観の構えを見せるか、火矢を用いて来た場合は両翼より中心に向かって攻め上がり思う存分蹴散らしてやるといい。中盤の教導隊は部隊を左右に分け突破してきた騎馬を水壁・氷結系術式にて撃退。後方の守備隊は別命あるまで待機、輸送隊、補給隊は陣営の撤去・物資の回収を命じる。偵察隊は連合軍の監視と並行してロウクスまでの街道の調査・偵察を任せる。道中に転移陣を敷くのを忘れるな」
 「了解です、道士殿!」
 命を受け各部隊長は各々の戦場へと走って行った。
 残ったのは一人、救護隊部隊長兼作戦参謀であるリィヴィィだ。
 「ヴィノ、私達はどう動けばいい?」
 先程呼ばれなかった事に焦りにも似た苛立ちを感じているようだ。
 「五人程我の天幕に寄越してくれ。少しでも多くの魔力を補充しておきたいのでな。残りの者は輸送隊、補給隊の補佐に周りつつ負傷した者が帰って着たら手当てしてやるといい。お前は教導隊の後方で戦況を見定めつつ指示を飛ばせ。但し緒戦は無理に攻めるな、相手に此方が押している≠ニ思わせろ」
 「……撃退の成否に係わらず此処から移動するのか。解った、では部隊の中から特に魔力に秀でた者を向かわせる」
 「ああ、其と」
 「何だ?」
 逸る気持ちを抑えつつ走り出そうとした体を止める彼女。訝しげな表情が張り付いているが、放たれた言葉によって其は剥がれ落ち、代わりに呆然とした、ともすれば間抜けと評されそうな表情が浮かんだ。
 「手紙を書こうと思う。用紙を二枚、其と羽筆を一つ頼む」
 「……は?」
 
 
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