幕間――シエラ高原、黒曜の森入口
 
 
 連合軍騎兵部隊、総兵数三千。
 行軍速度を保つ為に補給部隊、輸送部隊、偵察部隊は同行しておらず、代わりに兵卒から将兵まで一人一人が等しく其等の任を負っている。強行軍故に発生する幾多の問題を軍全体で分かち合い解決するこの方法で、多少の消耗はあれど兵達の士気は最高潮まで高まっていた。
 騎馬を半数以上潰してしまったが、代わりに予想以上に早く到達する事が出来たのも喜ばしい事だった。
 仮に到達が遅れていたならば戦場はシエラ高原の東、オウレル河から分化した此処ル河の流れる湿地帯に移っていた。足場の悪い湿地帯では騎兵の長所が全く生かされず、クルクスへの侵入を許す事態に陥っていた可能性がある。
 この事も兵達の士気を上げる要因の一つとなっていた。
 開戦の時を今か今かと待ち侘びる兵達の中心で、連合軍随一の勇将ミコト・ラングレンは静かに敵軍を観察・分析していた。
 (最初から森の中に布陣せず、敢えて森の入口へ兵を置いた、その理由は何だ?我等騎兵部隊の最大の長所は機動力と突破力。この二つを削ぐのなら森の中で構え此方の動きが鈍った所を小隊で各個撃破するのが定石。にも係わらず前に出てきたという事は何か此方を欺く策があるのか?)
 顎に手を当てると、深く刻まれた皴とすっかり白くなった顎髭の感触が返ってくる。
 「ミコト様、攻撃の準備は整いました」
 掛けられた声は幼子を思わせる程に高い。気付けば隣に白馬を進め並び立つ小さな影があった。
 神官の術衣を纏った、少女と呼ぶには幼さが過ぎる娘。
 茶色の髪は陽光に当てられ黄金色に輝き、水底の様な深みを湛えた瞳と相俟って、聖女と見違える程の神々しさがあった。
 (いや、聖女と言うには少々幼すぎるか)
 「あ、今失礼な事考えませんでしたか?」
 そう言って彼女は頬を膨らませた。その仕草も幼さに拍車を掛けているのだが、本人に自覚は無いらしい。
 「どうかしたのか?その様な慣れぬ言葉使いをするとは」
 「無視しないでくださいよ。いえ、まぁ他の兵達の手前、あんまりいつも通りだと示しが付かないんじゃないかなぁと思って……思いまして」
 最後だけ僅かに訂正するが、既に二言目の時点でその目論見は破綻しているのはどうかと思う。
 「別に構わんだろう、其に今更直した所で無駄だと思うが。到着するまでに散々普段の口調で話し掛けていたんだからな」
 その言葉に背後にいた数人の兵が頷きと苦笑を返す。
 「まぁ、其もそうさね。第一あんな喋り方してたら息苦しくて窒息しちゃうのさ。あ、せっかくだし昔みたいにミコトお爺ちゃん、って呼んだ方が良かったりして?」
 口調を戻した途端、ニヤニヤと音が聞こえてきそうな笑みを向ける。
 先程見せた聖女の様な神々しさは何処へ行ったのか、今目の前に居るのは悪戯を思い付いた子供にしか見えない。
 ミア・ランバード。連合軍第三大隊付き参謀という肩書を持った将であり列記とした成人女性でもある。普段は悪戯好きで無邪気な見た目通りの少女の様に振舞っているが、胸の奥に冷徹さ・残忍さを孕んだ激情家という一面を秘めている。
 無垢な見た目からは想像出来ない程強大な魔力を持ち、掃討戦や殲滅戦に置ける戦いの苛烈さと捕虜への容赦無き扱いを見た兵卒には『白姫』の異名で恐れられている。
 ごほん、と咳払いをして真面目な顔付きになったミアは森へ目を向ける。
 「ミコト様、恐らく竜族は既に撤退の準備を始めていると思うのさ。無理な遠征で疲れたこっちの動きを止めて陣を張った所でもう一回攻めてくるのが狙いなんじゃないかな」
 「確かに此方は疲労も溜まっており勝利の後という最も油断しがちな所を狙うというのは兵法に適ってはいるが、態々地の利を捨ててまで取る策か?」
 当然の疑問にミアは頷きを一つ返す。
 「こっちを殲滅する、って考えたら可笑しな話さね。でも、相手の狙いは違うんじゃないかな?」
 「此方に勝つつもりでは無いのか?」
 「時間稼ぎ、って考えたら解る動きではあるんだけど……でも時間稼ぎをする理由が全く以って不明なのさ。多分森を抜けてロウクス辺りにでも下がる腹積もりなんだろうけど、其処から攻め上がるくらいならこのまま森に陣を敷いて迎え撃つ方が楽な筈なんだけどねぇ。向こうがその状況で取る策でと有効なものがあるとしたら援軍による挟撃なんだろうけど、森からこっちには人間の土地しか無いし、北は魔族領だけど国境までは距離があるし、魔族の裏切りがあるにしても時期が妥当じゃないし。何をするつもりなのかさっぱりなのさ」
 若干舌足らずな言葉と、むぅと首を傾げる姿は年端の行かぬ童女のようだ。
 だが敵陣を読み抜く洞察力と予想される動きを並べたてるだけの想像力は軍随一と言っても過言では無い。
 その彼女が、思惑はさて置き竜族に初戦を得るつもりは無いと読んだ。ならば此方は相手の動きを利用しつつ、主導権を此方が握る形に持っていく。
 背後へと振り向きいい加減焦れて来た兵達を満足げに見やり、彼は腰に提げていた両手斧を雄々しく掲げた。
 「待たせたな、ヒヨッコ共!これより我等は竜族を打ち破る。奴等に祖国の土は踏ません、今この場で叩き伏せてやれ!」
 喉が破れんばかりに上げられた声が地を、風を揺らす。
 「第一から第四部隊、前へ!車輪の陣で竜族へ初撃を与えてやれ!」
 おぉ、と高く声を飛ばし前面の部隊が右端から順に土煙を巻き上げながら駆けて行く。馬上で槍を構えながら、しかし一斉にでは無く片側から、其も少人数毎に攻め上がる陣形に正面に対峙する竜族は怪訝な表情を浮かべる。
 其処へ敵陣の後方から良く通る澄んだ女の声が飛んだ。
 「駆動隊、人化の術を解き攻撃に備えろ!相手の狙いは接撃では無い、投擲による面制圧だ!」
 その言葉にやや焦りを見せながら竜本来の姿へと戻る竜族。
 「だが遅い。攻撃を開始せよ!」
 ミコトの号令と共に先鋒の騎兵四十人程が一斉に手にした槍を投擲する。
 竜化したものの反応が間に合わず比較的柔らかい腹部に槍を受け数人の竜族が倒れる。すかさず後ろの竜族が庇う様に前へ飛び出し、倒れた竜族を陣の後方へ転移術を用いて救出する。
 「まだ攻撃は止んでいない、気を抜くな!」
 再び敵陣の後方から声が飛ぶ。
 どうやら竜族は個々の力量に長ける分、陣形や戦術に明るい者は一部に限られるようだ。ならば其処に付け入る隙がある。
 間髪入れず走り込んだ騎兵が槍を投げ入れる。攻撃を終えた騎兵は此方の陣の手前まで戻り、味方から新たな投げ槍を受け取ると再び部隊の後ろに付く。円環の様相を呈した陣は宛ら車輪の様に途切れる事の無い波状攻撃を竜族に繰り出す。
 この陣を相手にする時、最も犯してはならぬ愚行は守勢に回る事だ。絶え間無い攻撃を可能にする性質上、一度受け手に回ると相手の馬が動かなくなるのを待つか、此方の攻撃を止める程の援護射撃が必要になる。
 「よし、四方の陣にて反撃に備えよ!第五、第六部隊前へ!第七から第十部隊は両翼より回り込み包囲せよ!」
 「教導隊、前へ!術式を展開しつつ駆動隊の援護に回れ!」
 待機していた二部隊四百人――一部隊に付き二百人の兵と馬――が攻撃を終えた部隊と入れ替わり前へ出る。また竜族も呼応する様に術師が魔力に依る壁を展開させながら前面に出る。同時に竜歩兵は部隊を左右へ分け術師の射線を確保しつつ此方へと距離を詰める。更に左右へ展開したそれぞれ二部隊が長弓を手に竜族の動きを牽制しつつ中央へ封じ込めに掛かる。
 新たに前に出た部隊は敵陣の近くへ寄ると騎馬を戻し、五十人ずつ大盾を構えながら前進を始める。数拍遅れて森の中から氷の矢が雨となって降り注ぐ。が、其等は大盾に阻まれ誰一人傷付ける事無く砕け散る。
 一通り防ぎ切った後、大盾同士の合間に僅かな隙間を開け其処から十字弓による射撃を行う。大半の矢は魔力壁に阻まれるが、数本貫通して来た矢が竜族の鱗を貫き鮮血を飛び散らせる。
 十字弓は通常の弓と違い、横倒しの形で矢を放つ特殊な弓だ。弦を引く為の懸刀が中折れ式になっている台座と連動しており、弓の扱いに習熟していない兵にも扱える小型の弓だ。取り回し易く鉄の鎧程度なら貫通出来る威力を持つが、射程が相応に短い為ある程度接近しなければならない。
 その為弓兵として運用するには射程距離の短さが、尖兵として運用するには次の攻撃までの遅延が枷となる。この様に扱いにくい十字弓兵だが、制圧力に乏しい大盾兵と組み合わせる事で対魔術兵並びに対長弓兵戦力として効果的な運用が期待出来る。
 氷の矢による攻撃は、一度に放たれる量は多いがその分次の攻撃までが長く数瞬空白の時間が生まれる。その隙に此方は横一列に並んだ大盾から十字弓を斉射する。
 徐々にではあるが飛び交う氷の矢の数が減り、魔力壁の強化と維持に回る竜術師が増え始めた。左右から長弓で抑え込まれた両翼は後進を余儀無くされ竜族は潰れた扇形の陣形へと変形させられていた。
 「前線の部隊は森の入口へ後退しろ!教導隊は森の中まで下がれ!」
 数度目の命でミコトは竜族の指揮官を見付けた。
 未だ人化の術を解いていない、緑銀の髪を動き易いよう後ろで束ねた長身の女性。戦線の後方中央部で術師を補佐しつつ両翼の歩兵に伝令を向かわせている。
 同じく其を認めたミアが訝しげに首を捻る。
 「どうやらあの娘が戦術指揮官みたいさね」
 「この戦場に例の道士は居らぬのか?」
 「今までの戦場での動きから考えたら、間違い無く先陣切って暴れてそうなんだけどねぇ。魔族のお嬢ちゃんに受けた傷が余程痛むのか、或いは向こうに残ったのか……まぁどっちにしたって今居ないんなら関係無いのさ。このまま森の中まで押し込んでやればいいさね」
 「よし、第一から第四部隊、長弓にて追撃を開始せよ!」
 その声で投げ槍から長弓に持ち替えていた騎兵隊が再び戦場へ舞い戻り、馬を乗り捨てると一斉に矢を射掛ける。上空に黒点が生まれ、碧空を覆う布となり、雨となって降り注ぐ。
 数百の衝撃が魔力壁を揺らし亀裂を入れる。あわや砕けるかと思った時、竜族の女性が両手を掲げる。放たれた魔力は暴風となり矢を此方へと吹き飛ばした。
 自らが放った矢が返ってくるのを見て一部の兵は浮足立つ。兵を諌めようとミコトが口を開くが、其より速く童女の舌足らずな声が飛んだ。
 「狼狽えるんじゃないさ!……喝!」
 気合いの声と共に蒼く光る防御円が中空に生まれ、向かい来る矢を阻む。
 すかさず彼女は前線の部隊に指示を飛ばした。
 「敵本隊への攻撃に拘る必要は無いのさ、森の奥側にも矢を射掛け相手を牽制する事も忘れないようにするさね!」
 その命に冷静さを取り戻した兵達は声を上げ前進を開始する。
 土煙を追いながら、肩で息を吐く童女へ声を掛ける。
 「大丈夫か、ミア」
 「はっはっは。流石にあれだけの大きさの防御円を張ったのは体に堪えるねぇ、久し振りにお姉さん疲れちゃったよ」
 額に汗を光らせながらミアが答える。だがその顔にはニヤニヤといやらしい笑みを張り付かせたままだ。
 疲れはしたが余力はある、という事だろう。彼は直ぐに意識を眼前の戦場へと戻した。
 竜族は術師部隊を下げ歩兵部隊を森の入口際へ置いた。漸く戦いの場を森の中へ移すようだ。
 森の中で騎兵はその力を十分には発揮出来ない。地を駆ける蹄は足元を巡る根が機動力を殺し、馬上で振るう武器は頭上に張り出した枝が動きを阻む。此方が攻撃の手を休めれば良し、追って来たなら動きの鈍った所を確実に仕留めるつもりなのだろう。
 だが、其は騎兵を相手にした場合だ。
 「長弓兵、大盾兵は兵装を剣兵の物へ変えろ!」
 その言葉に長弓兵は騎馬を此方へと戻し腰に提げた剣を抜き放ち、大盾兵は手にした大盾を投げ捨て、大盾の裏に収めていた戦斧を取り出す。
 その姿を見た竜族に動揺が走る。此方を騎兵部隊であると決めて掛かっていたのだろう。騎馬を用いたのはあくまで戦術移動の為で、ミコトの率いる部隊は騎馬の扱いに長けた歩兵部隊なのだ。
 前面の剣兵は凡そ六部隊、側面に援護射撃を続ける長弓兵が四部隊。後方に待機している予備兵力が五部隊と、此方にはまだ余力がある。
 このまま押し切れぬ相手では無い。
 勝利を確信した彼は右手の戦斧を振り上げ天高く鬨を上げた。
 「全軍掛かれ!今此処で竜族の命運を断ち切るのだ!」
 「悪いが、そうは行かぬな」
 静かに響いた声に勝鬨を上げていた兵達が一様に静まり返る。否、此方の兵達だけでは無く竜族も動きを止めていた。
 水晶を弾いた様な透き通った声。決して声量が大きい訳では無いその声はこの戦場に立つ者に等しく届いていた。
 「同胞達よ、良く耐えた。此処からは我等竜族による華々しい攻撃の時間と洒落込もうではないか」
 その声に呼応し、此方の両翼を抑え込む様にして新たな竜族が姿を見せる。伏兵かと思ったが竜族の足元に光る紋様が其を否定している。
 「転移陣か!」
 「御名答」
 次の声は背後から聴こえて来た。
 振り向くと陣の後方で、漆黒の術衣を纏った青年が銀の髪を風に揺らしながら此方に微笑んでいた。正確には横の童女へ、だったが。
 視線を受け、忌々しげにミアが青年の名を呼ぶ。
 「ヴィノ・ユーノクライン……!」
 「ふむ、幼女にまで名前を覚えられるとは光栄な事だ。ささやかだがお礼に一つ夢を見せると約束しよう。悪夢だが」
 青年の足元に方陣が浮かび、青年は此方の陣の更に後方へ転移した。
 其と同時に背後で驚く声が聞こえる。
 振り向かなくとも何が起きたかは直ぐ解った。森の入口に布陣していた竜族の歩兵部隊が此方の陣の後方に出現したのだ。恐らくは兵の増員も行われたのだろう、二千を下らぬ数の竜族が此方を取り囲んでいる。
 一瞬の内に、包囲していた筈の連合軍は逆に包囲されていた。
 
 
続きへ

inserted by FC2 system