「守備隊は三列横隊に布陣、敵を通さず押し込め。駆動隊は部隊を二つに分け、前面の部隊は兵士を蹴散らしつつ敵将を狙え。後面の部隊は討ち漏らした兵士を確実に仕留めつつ徐々に包囲陣を狭めよ。教導隊は待機、森の中へ逃げ込まれぬよう魔力壁を展開。攻撃は他の部隊に任せ、突破されぬ事だけを考えろ」
 各部隊に指示を飛ばし、天高く拳を突き上げた。
 「進め、同胞達よ!此度の戦いに遠慮や手心を加える必要は無い、思うままに砕き、叩き潰し、蹂躙せよ!奴等に、大地に、太陽に、我等が力を見せ付けてやるといい!」
 『ぉぉおおおおおおお……!』
 放たれた声は圧を伴い、連合軍の騎馬の大半を怯えさせる。
 落馬する者は居なかったが、騎馬は明らかに騎手の言う事を聞いていない。騎兵は止む無く騎馬を降り、歩兵用の装備を手に取った。
 前線とは違い陣の後方には多数の騎兵が待機していた。其処へ部隊を出現させ、騎馬を混乱に陥れた。
 この包囲を抜け出し撤退するには、後方の騎馬部隊から順に離脱を始めるのが上策だ。しかし騎馬は逃げ惑うばかりでその機能を果たしておらず、此方の部隊と相手方の部隊の間にもう一つ壁を造っていた。陣を突破する為の騎馬が逆に自らを抑え込む檻となっている。
 駆動隊の面々は歩兵を叩き伏せつつ、時折錯乱した騎馬を追い立て相手の陣へと突撃させる。
 数人の兵士が騎馬に跳ね飛ばされ、地に転がった所へ更に別の騎馬が兵士の上を駆け抜ける。土煙が薄くなった時には、もう兵士は物言わぬ肉塊へと化していた。
 向かい来る騎馬に陣形を乱されながら徐々に押されていく連合軍。恐慌状態へ陥ろうかという時、魔力を含んだ雨が騎馬へと降り注ぐ。
 雨に打たれた騎馬は口の端から赤い泡を噴きながら地に伏せる。
 「情けない姿を見せるんじゃないさ!敵が現れたってんなら突破するまでさね!」
 甘く舌足らずな、しかし果敢な声が上がり兵士達は一応の落ち着きを取り戻した。手に提げた剣の重みを思い出したのか、駆動隊と交戦を始める。
 馬肉の足場を越えながら、先程の幼女への認識を改める。
 (言葉に魔力を乗せ鼓舞に用いるか。あの幼女、術師として相当な力量を持っているようだな)
 だが其は言葉の届く範囲にしか効力を発揮せず、前線の部隊は混迷の中にあった。正常な判断を下せなくなった軍勢が取る行動は無茶な突撃で命を散らすか、無様に逃げ惑い戦列を離れるかの二つ。彼等は後者を選択した。
 「森だ、森の中へ退け!」
 遠くで叫ぶ声が聞こえ、波打つように兵士達が移動を開始する。
 老将軍や数人の将が何とか纏めようとしているが、一度流された者が正気に戻るにはまだ時間が掛かる。守備隊と交戦していた三部隊が森の方へと転進を始めた。
 森に布陣しているのは魔力壁を構成する教導隊は五百人程。決して破れない数では無い。人間同士の戦いであれば、少なくとも下策では無かった。
 「読みが甘いな。義勇隊、攻撃を開始せよ!」
 我の声が響き渡るのと同時、森の中から幾つもの影が飛んだ。
 影は森へと走る兵士達へ降り注ぎ、その身を大地へと磔(はりつけ)た。
 予想だにしない攻撃に前線の混乱は更に高まる。
 「なっ……禍人(まがびと)≠セ、禍人≠ェ居るぞ!」
 兵士の一人が叫ぶ様に声を張り上げる。
 その視線の先、小柄な人影が幾つも見える。
 青々と生い茂る木々の葉より瑞々しく鮮やかな翠色の長髪、小麦色に焼けた健康的な肌、小さいながらもしっかりと肉の付いた艶やかな体躯。何よりも目を引くのは、どの宝石よりも美しく輝く琥珀色の瞳。その双眸は人の其とは違い、猫科の動物を思わせる程に大きい。
 体には麻や綿から作られた上下が一体となった薄手の服を纏い、足には葦の茎を編んで作られた涼しげな靴を履いている。そして手には古木を加工して作られた簡素な弓が握られていた。
 見目麗しい容姿の少女が弓を構えている姿は、時を忘れてしまう程に美しく扇情的だ。だが連合軍の兵士――其と幾人かの若い竜は恐怖に似た感情を抱いた様だ。
 原因は少女達の容姿にあった。
 百人を超える少女の姿形が、全く同じなのだ。
 人は外見に差異の無い人を三体以上目にした時、他の人との区別が付かなくなり脳に混乱が生じ、その混乱を恐怖と感じる事がある。
 その様な他者との区別が付かない少女が百人以上、殺気を込めた視線を向けてくるのだから恐怖を感じる事は当然とも言える。
 そして精神が許容出来る量を越えた恐怖を得た者は一様に行動を止める。
 其は生物として正しい反応ではあるが、戦場に立つ者としては致命的な反応だった。
 古木から切り出された簡素な矢が空を疾(はし)る。
 ある者は眼に、ある者は心臓に空洞を開け倒れ込む。
 断末魔を上げる間も無く命を散らす味方の姿に新たな恐怖が生まれ、前線の部隊は最早烏合の衆と化していた。
 (しかし禍人とは酷い名を付けたものだな)
 嘆息と共に視線を森へと向ける。
 彼女達が特異と評されるのは、その人を越えた美しさ・優雅さ・麗しさに限られるべきだ、と思う。
 彼女達の容姿が同じであるのは、母の胎内に居る間に何らかの理由で自身の魔力が変質した為だ。変質した魔力は胎児の容姿にも影響を及ぼし、先に上げた身体的特徴を付与する。加えて変質した魔力は必ず同じ魔力構素を形成する為に、産まれた赤子は皆同じ容姿を持つのだ。そして、産まれる赤子は必ず女児であった。
 嘗ては神託を受ける巫女として扱われていたが、矢張り人間に異質な存在を許容するだけの寛容さは無かったらしく、同じ人間でありながらも此処数百年の間は迫害を受けていた。産まれた時は忌み子と呼ばれ、遠くの山中へ捨てられる。直接手を下せば禍が降り掛かると信じられている為、産まれて直ぐに殺される事は無い。だが不思議な事に、彼女達は自然からの寵愛を受け何不自由無く森の中で生活する事が出来ていた。
 また、彼女達は不老である。十歳前後の姿までは成長するのだがその後は成長が止まり、外的要因で死ぬまで一生をそのままの姿で過ごす。その為、彼女達は魔族よりも長命である。だが彼女達が――森に住む人口が二百人を超えるという事は無かった。昔数えた時から変わらずきっかり百八人。減る事はあっても、百八人から増えるという事は無かった。
 彼女達の存命中に新たな少女が産まれる事は無く、誰かがその生を終えた時に、まるで生まれ変わる様にして新たな少女が生を受ける。そうして、森の中には常に百八人の彼女達が住む様になっていた。
 「ふむ、余り呆けても居られぬか」
 気付けば数人の兵士が剣先を此方に向けていた。
 (同胞達を鼓舞しておきながら自身は敵陣の中で呆ける、か。喜劇の主人公にでもなった気分だな)
 鈍く光る鋼の剣を構えながら此方に駆ける兵士。上段から振り下ろされた切っ先を一歩踏み出す事で避ける。
 擦れ違い様、逆手に持った懐刀を兵士の延髄に突き立てる。
 其方を見やる事無く再び歩き出すと、背後で肉塊が倒れ込む音が聞こえた。
 「この化け物め!」
 叫びながら別の兵士が落ちていた鉄槍を此方に投げ付ける。
 「狙いが甘い。この距離で投擲するのであれば上段で構え相手の腰か太股へ向かう様に意識するといい。無理に頭や胴体を狙っても当たる事は稀だ」
 伸ばした左手で通り過ぎた鉄槍の石突きを掴み半月を描く様に回し、持ち替えた右手で下段から投擲する。
 胸を貫かれた兵士は石突きに体を引かれ、鉄槍と共に宙を飛び背後の味方と激突した。猶も勢いを失わない鉄槍は更にもう一人を巻き込み、その身に三人の死体を乗せて漸く止まった。
 「おおおおおおぉぉ!」
 気合いを込めた斬撃を繰り出す剣兵。やや大袈裟なその動きに隠れる様にして十字弓を引き絞る弓兵。
 恐らくは同じ戦場を何度も駆け巡ったのであろう連携の取れた動きを見せる兵士二人に敬意を表し、少しばかり戯れてみる事にした。
 「面白いものを見せてやろう」
 右手の懐刀で斬撃を受け止め如何にも力が拮抗している風に見せ、突然腕を引いて見せる。突然支えを失った剣は此方の右肘を掠めながら滑り落ち、飛んで来た矢を弾いた。
 「なっ!」
 剣兵は目を見開く。自らの攻撃を利用し仲間の攻撃を阻害させた此方の技量に驚きを隠せない。
 左手に持ち替えた懐刀を剣兵の首へ突き立て、その体を蹴り飛ばす。
 空いた右手で落ちる剣を受け止め、弧を描く様に体を一回転させる。剣先に軽い衝撃が走り刀身に亀裂が入る。
 「強度不足だな。いや、人間が扱うのなら是で充分か」
 剣を投げ捨てるのと弓兵が倒れ込むのは同時。
 先程の衝撃は放たれた矢を打ち返した時のもの。自らが放った矢に自身の喉を貫かれ、其処から鮮血を迸らせながら弓兵は絶命した。
 今の動きを見て猶向かい来る勇気のある者は居なかった。
 多少血肉で歩きにくくなった足元に気を配りながら先を目指す。
 戦場を往くというより街中を練り歩く様な足取り。その自然な足運びが兵士達に畏怖を与えていた。
 が、意識は戦場では無く己の内へ向いていた。
 (戦場に身を置いているにも係わらず一切の高揚が無い、か。奴め、厄介な置き土産を残してくれたものだ)
 脳裏に浮かぶのは先程拳を交わした、大剣を繰る金の少女。
 全力で相対したのは久し振りだった。ノーヴィーやトゥーガであっても、此方が本気を出す事は無かった。十分の一以下の力でも、他を圧倒する事は造作も無い。
 その自分と互角に渡り合う少女。全力を出して応じた筈が、逆に良い様に弄ばれてしまった。
 肉弾戦に於いては向こうが数段上である事は疑い様が無い。あの奇術――恐らくは我の知らぬ闇術――を用いずとも、姿を追えぬ事が度々あった。少女が全力を出した時、どの様な動きをするのか。其を考えただけで胸の奥で熱く煮え滾った魔力が溢れそうになる。
 有体に言えば、中途半端な昂りを抑えられぬまま戦場へ赴いていた。
 妙な、表現し難い気分を携えている内、自然と足は止まっていた。
 「此処を通す訳には行かん!」
 その声に漸く意識を戦場へ戻すと、五人の兵士が前方に立ち塞がり剣先を向けていた。
 「別に構わぬよ、生きて通すか死して通すかの違いしか無いのだからな」
 「蜥蜴風情が人間様に舐めた事言ってんじゃねぇ!」
 恐らく傭兵上がりであろう男は剣を下段に構えながら此方に駆け出した。
 膝を狙って振られた刃を難なく右手で掴み、そのまま後方へと払うように流した。此方へ向けた力は柄へと逆流し、男の体を振り回す。
 自らの意思とは関係無く宙へ放り出された男は、自分の視点が一瞬で切り替わった事に思考が追い付かず呆然としている。
 「返そう。遠慮は要らぬ、受け取るといい」
 背後へ無造作に剣を放り投げる。鎧を貫く金属音が鳴り、続いて湿った激突音が響く。
 同時に左手を前方に払う。術衣の中に仕込んでいた懐刀を滑らせる様にして取り出し、指の間に挟み込む。右肩の辺りまで伸びた左手を、今度は元の位置に戻す様に払う。放たれた懐刀は一直線に伸び、三人の兵士の喉を突き破る。
 一瞬の内に味方が倒れ、自分が最後の一人となってしまった事に驚きを隠せない兵士。
 「なっ、あ……?」
 震えを孕んだ声は高い。
 明らかに自分の方へと歩みを向けた事に恐怖を感じてか、兵士の体は小刻みに震え始めた。
 (極力脅す事の無い足運びの筈だが……エリーゼの時といいクゥガの時といい、我の風体は其程恐ろしいのか?)
 漆黒の術衣が威圧的過ぎるのだろうか等と思考を散らしつつ、兵士へと近付く。一歩距離を詰める毎に兵士の眼に浮かぶ震えと恐怖の色が濃くなる。
 互いの手が届く距離まで近付いた時、兵士の手から剣が滑り落ちた。
 武骨な兜へと手を伸ばし、兵士の頭から外す。
 窮屈そうに兜の中へと押し込まれていた長い髪が、はらりと流れるように背中へ落ちた。無理を強いた行軍で多少毛先は痛んでいるものの、艶やかと言って差し支えない黒色の髪。
 兵士は女性だった。
 右手で女性の顎を持ち、顔を此方に向ける。
 「う……あ……」
 目を合わせた途端、女性の体から無駄な力が抜け全身の震えが止まる。
 (黒く澄んだ瞳に長く伸びた黒髪。東方の出身か)
 大陸の東方部では女性も男性と同じ様に武術を学ぶ文化がある。地方毎の達人と呼ばれる武人に師事し一定の技量を得た者は、国外で傭兵や軍人として生計を立てている。この女性もそうした武人の一人であろう。
 そっと右手を離す。
 「あっ……」
 女性は寂しげな声を上げる。頬は上気し瞳は潤んでいた。
 ふと意識を戻し、左手の甲を体の外側へ向けて打ち振るう。
 金属を打った衝撃が走り、当たった物体は飛んで来た方へ弾き返される。
 ぐふっ、と呻き声の様な音が聞こえ、やや焦りを含んだ声が続いた。
 「済みません、道士殿。邪魔をするつもりは無かったんですが」
 「気にするな、アヴィル。我も少々放心していたのでな」
 視線を向けると駆動隊で一番若い紫竜、アヴィルが立ち上がった。足元には今打ち払った兵士が転がっている。
 どうやら彼が殴り飛ばした兵士が此方に飛び、数倍の速さで打ち返された兵士が命中したようだ。
 「道士殿、その娘は……?」
 彼の視線は我の背後に隠れる女性に向けられている。既に敵意は無いと解ってはいるが、どう扱うべきか決め倦ねているのだろう。
 「済まないがこの娘を輸送隊に預けてはくれまいか?我の計らいと言えば通じるだろう」
 「は、はぁ……構いませんが」
 「あぁ、先程も言ったが気にするな。厄介払いや八つ当たりで頼んでいる訳では無い」
 彼の戸惑いに的外れな答えを態と与え、女性を彼の横に立たせる。
 女性は不安そうな瞳を向けていたが、微笑みを返すと大人しく従った。
 右手に魔力を込め、術式を中空に組み上げる。
 二人の体が輝いたかと思うと、次の瞬間には足元の転移陣を残し消え去っていた。
 その様子にふむ、と頷きを一つ返し再び足を進める。
 道草を食っている合間に前線は押し上げられていたようで、駆動隊の最後方で指揮をしていた筈の老竜が横に立っていた。
 目尻には皺が寄り頬肉はやや垂れ下がり気味だ。人化の術を解いているのだが腰は曲がったままで、顔の高さは我とそう変わらない位置にある。
 「ほっほっほ、相変わらず気の多い事で。その様子ではまた妹君が気を揉む事になりますぞ?」
 「ヴァレンティン、余り意地の悪い事を言わないでくれ。若い竜の間で我が好色な竜だと評判なのだぞ?」
 「いやはや、是は異な事を。儂よりも永い時を生きながら、未だ衰える事を知らぬ盛んな貴方を評するにはぴったりの言葉ではありませぬか」
 楽しそうに笑い声を上げる老竜に苦笑いを返す。
 確かに原因を作っているのは他ならぬ自分自身なのだから余り強い事も言えず、良い様にからかわれている。
 「まぁ老い先の短い年寄りの数少ない楽しみですからのぅ、勘弁してやって下さらぬか?」
 「良い趣味だな、ヴァレンティン」
 ほっほっほ、と心底楽しそうに彼は嫌味を受け止める。
 「しかしあれ程共に居る所を見ている筈なのに、一向に妹君の姿が思い出せませんなぁ。相対したその瞬間は確かに認識出来てはおりますが、直接視認出来ていない時は記憶に霞が掛かった様にぼんやりとしか思い出せませぬ」
 「……何時気付いた?」
 問い掛けには答えず、老竜は眼を細めて此方を見ている。其処に一切の疑念や好奇は浮かんでいなかった。
 慈しみに似た、柔らかな感情。老竜の眼に浮かぶ其が、記憶の中にある何時か見た情景と重なって見えた。
 (有難くも厄介なのだな、友という存在は)
 溜息を一つ吐くと老竜は楽しそうに声を上げた。
 「貴方が溜息を吐くとは、矢張り長生きはするものですな」
 「どうもヴァレンティンは我を誤解している様だ。我にも悩みくらいはあるものだ」
 「解っておりますよ。貴方が考えている事も、望んでいる事も」
 「その話は後だ、古き友よ」
 老竜の話を遮り、意識を前方に向ける。突如飛んで来た強大な殺気に導かれる様に足を進める。
 兵士の殆どは倒れ、遠方まで見渡せる程に戦況は傾いていた。
 
 
 
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