連合軍はほぼ壊滅し数人の将に率いられた小隊が僅かに抵抗の素振りを見せてはいたが、戦闘は終結したと言っていい。だが、とある一角に於いて戦闘は猶も継続していた。
 駆動隊の前面、戦斧を手に鬼神の如き戦いを見せる将が居る。
 「あれは……先程の老将か?」
 頬に深く刻まれた皴、やや伸びた白い髭。齢七十を越えようかという風体にも係わらず、精悍な顔付きは老いというものを感じさせない。
 幼女を乗せた白馬を庇いつつ、文字通り血路を開きながら此方へと向かってくる。死者は出ていない様だが、その強さに誰も手が付けられず包囲を突破されつつあった。
 「駆動隊、その老将の包囲を解け!負傷者の救助と手当てに回り、リィヴィィの下で別命あるまで待機せよ!」
 我の声に同胞達は道を開け、一人また一人とこの場を離れて行く。
 若い竜が多いとはいえ、流石に相手との力量差が解ったのだろう。多少の戸惑いはあれど、皆異議は無いようだ。
 老将は数人の護衛兵を幼女の周囲へ置き、しっかりとした足取りで我の正面に立った。
 黒い双眸が此方を射抜く様に向けられる。
 「竜族の道士ヴィノ・ユーノクライン。立ち塞がるなら切り捨てる」
 「邪魔はせぬよ。一つ、頼まれてはくれまいか?」
 訝しげに顔を歪める老将に折り畳んだ紙を見せる。簡単な術符で封を施せるようになっている、一般的な手紙だ。
 「其方の将である奄巫に『保護』されている少女がいる筈だ。その少女にこれを渡して欲しいのだよ。そう、この手紙を」
 「手紙、だと?」
 老将は戦斧を下段に構え警戒を解かず、此方の挙動に注意を払う。
 視線を手紙へ向けながらも全身に漲る殺気は片時も我の姿を離さない。
 (是程までに豪胆な者が人族に居ようとは、まだまだ世界は広いものだ)
 クク、と喉を鳴らし老将へ左手を伸ばす。
 「ああ、手紙だ。中を検めてくれても構わぬよ」
 数歩踏み出せば受け取れる距離に在って、老将は動こうとはしない。我の意図を量り兼ねているのか、軽率に行動を起こそうとはしない。
 黙して動く気配の無い彼に少しばかり情報を与える事にした。
 「騙し討ち等はせぬよ。その必要も無いのでな」
 言い終わるのと同時、左足の踵で地面を踏み抜く。
 上半身を揺らさず目前へ迫り懐刀の柄を老将の頸動脈へ押し当てる。
 老将が此方の動きに反応を返したのはその後。
 「何?」
 彼が咄嗟に身構えるより速く後方に跳び、先程の位置へ戻る。
 (有効ではないか、この移動術。矢張り奴の実力は底が知れぬな)
 再び金の少女へ向き始めた思考を強引に戻し、老将へ意識を向ける。
 「――この通り、貴殿を殺す事は非常に容易い。ならばこの場で態々裏をかこうと画策する、というつもりは無いと理解して貰えるかね?」
 その言葉の意味を理解し反応出来るようになったのは更に数瞬の後。
 彼の瞳に驚愕と焦燥の色が浮かぶ。
 だが流石は人族の将。一瞬で意識を切り替えると再び殺気を漲らせた。
 「見逃す代わりに伝令の真似事をしろ、と?」
 「其は違うな、老将。我は元よりこの場で貴殿を殺すつもりは無い。仮令(たとえ)貴殿が此方の頼みを断ったとしてもな」
 如何いう事だ、と睨み付ける様に彼が視線を送る。
 戦場に於いて敵将を逃す理由は大きく分けて三つ。即ち『上の者』が結んだ約定の中に将の解放が定められているか、敵将を逃す事で自軍の力を示し後の協定を有利に運ぼうとするか、其とも敵将と懇意にある者が其を逃すか。
 この戦争が始まって以来、相手方と言を交わす場が設けられた事は一度も無い。人族に於いては主だった将も交戦を支持している為、穏健派が約定を結ぼうとも何ら効力を持つものとは成り得ない。
 老将は視線を背後の幼女へ向ける。
 魔力の殆どを使い果たしたらしく、顔には疲労の色が濃く出ている。やや意識も混濁しつつある様に見受けられるが、彼の意図を理解すると気怠そうに言った。
 「私に竜の知り合いは居ないさね」
 ならば此方の生還を利用する腹積もりか、と彼は苦い表情で口を開く。
 確かに連合軍はほぼ全滅し生き残った者は数える程しか居ない。其等の者さえ態々見逃そうと言うのだから、対外的な宣伝効果は相当なものだろう。
 (そう思わせておいた方が何かと動き易いかも知れぬな)
 老将は表情を戻し、更なる疑問を発した。
 「しかし、何故貴様が奄巫の名を知っている?」
 その問いに我は笑みを浮かべる。成程、この将頭の回転も早いらしい。
 先程我は言った。奄巫に保護されている少女に手紙を渡して欲しい、と。
 奄巫は連合軍の中でも存在を余り知られていない。穏健派の智将であるフォウ・バルガロックと行動を共にする少女で、戦場に出る事はあっても後方での指揮が主な為戦力は未知数、将に献策する事も無い為各部隊長とも付き合いが薄く、最近では新顔の軍師付きとなったらしく姿を見る事も少ないという謎の多い将だ。
 その様な余り情報の入って来ない将を何故我が知っているのか。更には、何故その将が少女を保護したという情報を持っているのか。
 恐らく彼は間者を疑うだろう。或いは奄巫が竜族と通じている可能性もあると考えるのが普通だ。彼女が秘密裏に接触し竜族に情報を漏らしているのでは無いか、と。
 「いんや、其は無いさね」
 彼の背後から声が上がる。
 幼女が疲労に顔を歪ませながら此方を見ていた。彼が何を考えていたのか気配で察したのだろう。
 「彼女の身辺は個人的に調査しているんだけど、一度たりとも其らしい動きは見せなかったって話さ。勿論『飛鳥』の方も散々調べたけど、埃一つ出てきやしなかったさ」
 ふむ、と頷きを幼女に返し認識を改める事にした。
 (この幼女、只の幼女では無いな)
 この場で疑念が上がるより早く、彼女は奴等二人を何らかの理由で疑っていたのだ。我との因果には辿り付けずとも、その並々ならぬ嗅覚には目を見張るものがある。
 遠くない未来、厄介な存在になるかも知れぬな、と思う。
 幼女は我の左手、まだ封のされていない手紙へ視線を向ける。
 「その手紙、見た目は符術しか付いていない様だけど、果たして信じていいものなのかねぇ?」
 「先に言ったであろう?中を検めてくれても構わぬ、と」
 「……手紙を此方に」
 左手首を軽く撓らせ、指先で押し出す様に手紙を放つ。
 弧を描く様に飛ぶ手紙はパシッと乾いた音を立て、幼女の手に収まる。
 暫く字面を追っていたが、読み終えると其を折り畳み老将へ差し出した。
 「内容に不審な所は無かったのさ。……代わりにもっと厄介な事は書いてあったんだけどねぇ」
 吐き捨てる様に顔を顰め、次の句を継いだ。
 「その手紙はトトク村の少女へ宛てたものなのさ」
 「トトク村だと?」
 老将は目を見開き、受け取った手紙へ視線を落とす。
 トトク村は人族と竜族の領土の際に在った村の名前だ。その村が――理由については諸説あるが――壊滅した事が、此度の大戦の原因だ。生き残りはおらず、其故竜族により焼き払われたと人族が主張した事で両種族間の対立が激化したのだ。
 老将は是までに紡がれた言葉の意味を理解し、重々しく口を開く。
 「場合によっては強硬派が口封じに走るかも知れんな」
 「そう言う事だ。直接護衛に回って貰おうとまでは望まぬが、頭の片隅にでも置いてくれれば其でいい」
 無論、是等は全て方便だ。だが信じる者にとってはどの様な内容であろうとも、それが真実となる。
 「だが、何故貴様がその少女を知っている。そして彼女が奄巫の元に居るという事も」
 「存外優秀なのだよ。我等竜族の影≠ニいう奴は」
 不敵な笑みを浮かべ左手を上げる。
 会話の合間に張り巡らせて置いた転移術式が付近に展開し、魔力を注がれた空間が紫銀に淡く輝く。
 「余り答えを求め過ぎるのも如何かとは思うぞ?自らの内に秘められる以上の知識は心を蝕む。必要があればその都度必要な分だけ知識を得る、是が長生きの秘訣だよ老将」
 クク、と喉が鳴った。誰よりも永い時を生きる我自身が言うのだから間違いは無いだろう。
 もう言葉を交わす必要は無いとばかりに、術式の展開を終える。
 背後で幼女が解呪術式を唱えるが、遅い。
 「では戦場で会おう、老将」
 紫銀の輝きが増し視界が白く染まる。眩い光と共に浮遊感が彼等を包み、術式を駆け巡る魔力の流れが大気を引き攣らせる。
 「竜族の道士、此度の勝利は貴様に預ける。だが次はこうは行かん!」
 叫ぶ様に彼が言い放つと同時、膨れ上がった光が弾け転移は完了した。残っていた人族の将も序でに転移で飛ばした為、戦場から戦いの音は消えた。
 辺りに静寂が戻り、戦場に立つ者は同胞達と援軍の少女達だけとなった。
 軽く息を吸い込みつつ口伝≠フ術式を展開する。
 この戦場に居る全ての者に等しく、声が届く様になった。
 「皆、勝鬨を上げろ!此度の戦、我等竜族が勝利したのだ!」
 
 
続きへ

inserted by FC2 system