終幕――シエラ高原、黒曜の森西部・藍の泉
 
 
 「ふむ、是はまた良い場所へ傷を貰ったものだな。傷は塞がっても暫く肉は食えぬぞ?」
 「そ、そんな殺生な!何とかなりませんか道士殿!」
 「お前は肉ばかり食べ過ぎる嫌いがあるからな、此度の事も未熟な自分を戒める良い機会と捉え、序でに食生活も見直すといい」
 悲痛な叫びを上げる若い竜に治癒術を施し、頭上の枝に注意を払いながら立ち上がる。
 先の戦いから一刻。動ける者はロウクスへと先行させ、負傷者と救護隊、其処に義勇隊を加えた面々は森林地帯の西部にある泉の前で休息を兼ねた応急処置を行っていた。
 義勇隊を構成する彼女達≠ノ案内されたこの泉。
 藍の泉の名に相応しく水面は深い藍色を湛えており、周囲には彼女達の住処となっている大樹が雄大に立ち並んでいる。
 大樹から伸びた枝に生い茂る葉が夏の強い日差しを遮り、心地よい温度を作り出していた。
 大方の処置を終え、泉の傍に置かれた長椅子へ腰掛ける。
 一ヶ所に集めた同胞達に大規模な治癒術式を展開させる方法もあったが、どうせなら野郎の道士殿よりも女子の救護隊に治癒して貰いたいという男達の声と、折角だからおもてなしをしたいという彼女達の声に押され、こうして束の間の平穏を味わう事となった。
 救護隊にも半々の比率で男は居るのだが、其処は気にしないらしい。
 『食べ物、持ってきた。これ食べると、元気出る』
 『ちょっと苦い、でもガマン』
 『これ傷口に塗る、痛み無くなる。ふしぎ』
 その彼女達はと言うと、森に恵みを分けて貰い怪我に効く薬草を取ってきたり、栄養価の高い木の実を皆に渡したりと走り回っていた。
 一部の竜はその微笑ましい様子に顔を綻ばせていたり息を荒くして救護隊の女性に殴られたりしていた。
 「気持ちは解らぬでは無いが、な」
 『気持ち?』
 『ヴィノは人の気持ち、解るの?』
 何時の間にか傍に立っていた少女二人が此方を見上げていた。
 両手に提げられた籠の中には紅く光る、指先程の大きさの木の実が敷き詰められている。この森に限らず、大陸に広く分布しているナヤの木から採れ、口の中に広がる芳醇な甘味と微かな酸味が絶妙な味わいを作り出す、菓子の素材としても人気が高い果実だ。
 「いや、正確に言うならば感覚だな。今我が言った気持ちは解らぬでは無い≠ニいう言葉は同胞達が感じた事を、我自身も同じ様に感じた≠ニ言い換える事が出来る」
 なるべく言葉を慎重に選び、誤解の無い様に伝える。
 彼女達は純粋過ぎる分、言葉の裏を読むという事に余り慣れてはいない。
 『じゃあヴィノも感じた?』
 『ヴィノは何を感じたの?』
 へにゃり、と首を傾げる仕草に微笑みを返しながら答える。
 「お前達が我等の為に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる姿を見て、可愛らしい、愛らしいといった感情を覚えたな」
 『にへ〜』
 『にへ〜』
 甘く蕩けそうな笑みを浮かべる少女達。
 我が手を伸ばすと頭を此方に差し出し上目使いに見詰めてきた。両手が籠で塞がっていなければ抱き付いてきたのは間違い無いだろう。
 そのまま二人の頭を撫でてやる。
 掌に暖かさが伝わり、さらさらと翠色の髪の毛が揺れる。
 気持ち良さそうに目を細める姿は猫そのものと言っていいかも知れない。
 暫く少女二人の頭を撫でていると、他の少女達も足を止め傍へ寄って来ていた。如何やら同様に頭を撫でて貰いたいらしく、じっと此方を見詰めている。
 「道士殿、大人気じゃないですか。羨ましくて妬ましい」
 「くっ、俺にもっと男気があれば……幼女達に囲まれるのに!」
 「道士殿も罪な御方ですのう、幼子にまで毒牙を掛けるとは」
 何やら風に乗せて男達の嘆きが聞こえてくる。最後の発言はヴァレンティンか、後で覚えておくといい。
 気付けば頭を撫でていた少女二人は列の後ろに並び、別の少女達が頭を差し出していた。その二人の頭を優しく撫でてやり、
 「待てローラ、カーラ。お前達二人が列の後ろに並ぶという事は、この流れ二週目が存在するのか?」
 『大丈夫、問題ない』
 『みんな、ヴィノ好き。心配いらない』
 何処かずれた返答をしながら親指を立てる少女二人。他の少女達も頷いている為間違ったのは我の方かと錯覚してしまう。
 まぁいい、と視線を前の少女二人に戻し優しく撫でてやる。
 「あぁ、憎しみで道士殿燃え尽きないかなぁ」
 「すげぇ、道士殿が幼女に手玉に取られてるぜ」
 「道士殿は案外尻に敷かれる方ですからのう。女性からしてみれば扱い易くていいのでは?」
 「よしヴァレンティン、暫く悶えているといい」
 手に余計な力を込めない様留意し、少女二人の頭を優しく撫でながら視線を奴に向ける。
 ――《枯渇》。
 魔力を言葉に込め地に染み入る様に呟く。
 言葉が大地に吸い込まれたのと間を置かずに、老竜が身を屈め激しく堰き込み始めた。
 「うぉっほ、げほっ、ぐ、ごはっ!」
 「うわぁぁっ、如何したんですヴァレンティン老士!」
 傍に居た若い竜が突然咽た彼に驚き立ち上がる。
 その声に思わず少女達も振り返るが、頭を撫でられている少女二人は幸せそうに蕩け続けていた。
 「何、喉の水分を一瞬で全て奪い取ってやっただけだ。激しく咽るだろうが命に別条は無い、老体には堪えるだろうがな。さて、交代だ。次はミューラとシーラだな」
 交代を告げられた少女達は名残惜しそうに列の後ろへ進み、名前を呼ばれた少女二人は眼を輝かせながら前に立つ。
 撫でては交代し、撫でては交代し。
 旧友の心無い言葉に深く傷付いていた――事にしておく――我の心も、愛らしい少女達の御蔭で平穏を取り戻していた。
 視界の隅でピクピクと痙攣している老竜が見えるが、あれは存外丈夫なので放っておいても平気だろう。
 漸く一週目最後の少女達の番が回って来た。
 「キーラ、リエーラ。随分と待たせてしまったな」
 『いい、待つのも楽しみの一つ』
 『代わりにヴィノ、いっぱい撫でて』
 返事の代わりに頭を撫でてやる。時折耳がぴく、と跳ねるように動くのは気分が良い証拠だ。
 しかし最後まで待たせてしまった割に、皆と同じというのは芸が無いか。
 ふと視線を下げると、二人は両手が空いていた。
 (そう言えば二人は薬草を直接手に持ち配っていたな)
 ふむ、と頷き両手を止める。
 他の者より早く終わってしまい、二人は寂しそうに此方を見上げる。
 『わぷっ』
 『んみゅ』
 突然強く抱き寄せられた所為か、胸に埋もれる二人は妙な声を上げた。
 それを見た少女達の間に動揺が走る。
 『あれ、抱っこ?抱っこ?』
 『私も抱っこされたい。どうする?』
 『最後になると、ヴィノ抱っこしてくれる?』
 『順番決める。じゃーんけーん……』
 「うわ、道士殿羨ましいなぁ!滅びればいいのに!」
 「くっそぉぉぉ!俺も幼女に取り合いされてぇぇぇ!」
 「っげっほ、がはっ、いやはや、流石ですのう、げほ」
 何やら随分と賑やかな事になっているが気にしてはいけないのだろう。そしてヴァレンティン、まだ言うか。
 両手で抱き寄せた少女達が静かな事に気付き、窒息させてしまったか、と視線を下げる。
 幸せそうに微笑む少女二人と眼が合った。
 微笑みを返すと恥ずかしそうに頬を染め、顔を伏せてしまう。そのまま我の胸元へ顔を押し付けると、
 『すんすん』
 『くんくん』
 「嗅ぐな」
 多少強引に引き剥がすと、満足そうに蕩けた笑みを浮かべたまま少女二人は離れて行った。
 是で一週終えたか、と軽く息を吐く。と、何かが凄まじい速度で此方へと伸びて来た。
 何事かと視線を向けると、表情を消したリィヴィィが我の左後方に立ち、真っ直ぐに拳を放っていた。
 (腰の入った良い突きだ。速度も重さも申し分無いが、何故其を我に向けているのだ?加えて……)
 理由は定かでは無いが、この拳を避ける事が出来ない。正確に言うと、避ける事は出来るのだが避けてはいけない≠ニ本能が感じている。
 見えない枷に囚われ身動きの取れない我の鳩尾に拳が伸び、
 「ぐがっ!」
 予想以上の衝撃が襲う。押し込まれた拳が肺から全ての空気を押し出し、皮膚を伝う振動が内蔵を激しく揺らす。
 前のめりになった所へ跳び上がる様にして放たれた左膝が迫る。
 咄嗟に上体を起こし衝撃を逃そうとするが、
 (速い……!)
 其よりも速く膝頭が我の鼻を打ち据え、衝撃を余す所無く脳へ伝える。
 つん、と顔面を強打した時特有の刺激臭を覚える我の眼に、右足を下げ踵に全体重を乗せるリィヴィィの姿が映った。
 襲い来る衝撃に備え、両腕を上げる。
 が、それは逆効果だった。
 側頭部を狙い放たれた右足は有ろう事か此方に届く直前で向きを変え、刈り取る様な動きを以て振り下ろされた。爪先から鳩尾に喰い込み、衝撃を受け止められなかった体が宙に舞う。
 口から出た音は「がっ」でも「ぐっ」でも無く「ふっ」と軽く息が漏れる様なものだった。
 視点は半月を描きながら後方へと向かう。
 途中見えた空は何処までも青く澄み切っていた。
 が、水面が見え流石の我も動揺を覚えた。
 今肺に空気は全く残っていない。着水の衝撃で潰れた肺が元の形へ戻ろうとしたなら、大量の水を吸い込んでしまう。そうなれば肺は更に空気を求めるが代わりに入ってくるのはまたしても大量の水である。
 不幸な事にこの泉は藍の泉なのだ。
 藍の色が示す様にこの泉は非常に深い。凡その水際に存在する浅瀬というものは存在せず、一歩踏み出せば水底まで一直線である。水深は周囲の大樹が丸々一本沈んで猶余る程。
 (是は非常に不味い……!)
 術式を展開しようと酸欠の脳を働かせる我の眼前に何かが飛び込んできた。
 一瞬、修羅かと見間違えた。
 リィヴィィは聖母の様な微笑みを湛えながら、酷く冷たい声を放った。
 「沈め」
 空中で体躯を回した彼女は申し分の無い回し蹴りを腹に当てる。
 空気すら漏らせぬまま、我の体は水面に打ち付けられる。
 大樹程の高さまで噴き上げられた水飛沫が太陽光を反射し、辺りに輝きを放つ。視界の端には虹も出ていた。
 「うわぁ、大丈夫ですか道士殿!ざまあみろですね!」
 「ありゃ道士殿死んだんじゃねぇか?胸がスッとしたな!」
 「いやいや、其も男の勲章ですかな?ほっほっほ」
 全ての動きを止めた我の体がゆっくりと水に沈んでいく。
 体内を澄んだ水に浸食され、意識もゆっくりと沈んでいった。
 
 
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